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★☆  「日本一のモグラ駅」 土合駅と湯檜曽駅へ ☆★
(2025 年9月7日)

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  <土合駅の下り線ホームからは、駅舎まで462段+24段の上り階段が続きます>
(青い枠がついている画像は、クリックすると拡大画像が開きます)

1)清水トンネルと新清水トンネル

 「日 本一のモグラ駅」と呼ばれる上越線の土合(どあい)駅(群馬県みなかみ町)と、隣の湯檜曽(ゆび そ)駅を一緒に訪ねてきました。
 この駅の理解するには、県境越え鉄道の歴史を知ることが不可欠です。左の模式図を見てください。
 東京から新潟へ向かう場合、明治時代には長大トンネルの技術がなく、信越本線は高崎から軽井沢、 長野、直江津、長岡と大きく迂回していました。高崎ー直江津間は1893年(明治26年)、直江 津ー新潟間は1898年(同31年)に全通しています。
 上越国境の谷川岳を貫く「清水トンネル」は、1931年(昭和6年)9月1日に開通し、東京ー新 潟間は大幅に時間短縮されました。開通当時は日本最長のトンネルで、川端康成の小説「雪国」の冒頭 で、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」と書かれたことでも有名で す。
 少しでもトンネルを短くするため、トンネルの前後にループ線を設けて、標高を上げています。
 その後、上越線の複線化として1967年に開通した「新清水トンネル」では、より長く掘ることが 可能になっており、標高の低いところを通っています。
 この ため、土合駅の下り線ホームは、駅舎から70.7mも地下に設けられることになったのです。図を見 てください。湯檜曽駅はちょうど入り口部分にあたります。

 9月7日(日)、新潟県側の越後湯沢駅から12:16発の上り列車に乗り込みました。現在、土合 駅に停車する列車は上下各5本しかなく、 今回は湯檜曽駅もセットなので、選択が限られます。
 まず土合駅を通過して、湯檜曽駅を目指しました。到着前、ループのトンネルに入る手前で右下に湯 檜曽駅の上りホームがが見えることがわかっていたので、写真を狙いました。左の写真の左上に写って います。
 14:51、湯檜曽駅に到着し、 ホームからたどってきた線路を望みました。左の写真の前方の山の中腹に、架線が見えているところで す。ループ線を一周することで、これだけの標高をかせぐことが出来ます。

 ホームから階段を降りて外へ出ました。下の写真のように、トイレがあるだけのコンクリート製の小 さな駅舎です。右手の両側に階段が付いた土台の上に、2009年10月までは立派な駅舎が建ってい ました。
 清水トンネル開通時の湯檜曽駅は、上の写真を撮影したあたりにあり、新清水トンネル開通に合わせ て現在地に移っています。
2)新清水トンネル入り口の湯檜曽駅
 駅舎 の狭い入り口を入ると左側にトイレがあり、正面は突き当たりです。左に曲がると、左の写真のように 通路は2方向に分かれます。正面が上り線ホームへの階段。右手にトンネル内の下り線ホームに向かう 通路になっています。

 全景写真のように、階段を上がるとすぐに上り線のホームです。「海抜557.43m」の表示があ りました。
 下り線ホームへむかう通路は、下の右側の写真のように、階段はなく、100m足らずでホームにた どり着きます。
 左は出入り口部分から、東京側のトンネル入り口を望んだところです。入り口はすぐ近くにありました。地上の上り線ホームの南端まで行けば、トンネル入り 口が隣に見えるようですが、この時は気がつきませんでした。
 下の写真は反対側、新潟が方面を見たところです。こっちのほうがトンネルはずっと長く延びていま す。
 出入り口付近には黄色い柵が設けてあり、柵の先頭部分に4両編成の停止位置表示がありました。
 右の 写真を拡大すると、少し先の左側の壁面に「1/2」の標識が見えます。137.5kmなので、大宮 からの距離です。トンネル入り口から200mです。


 下の写真、4両の停止位置の先には7両の表示も見えます。そして下の右の写真、13:37発の列 車で土合駅に向かいました。2両編成でした。
3)にぎわう「日本一のモグラ駅」
 13:41に土合駅に到着。列車の先頭部には若者グループが立っていたので、前面展望はかないませんでした。
 ホームには大勢の人影が見えましたが、左の写真のように列車に乗らない人たちもずいぶんいまし た。駅の見物客です。
 左の写真の反対側を振り返ったのが下の写真。湯檜曽駅と比べるとホームはとても狭いです。その代 わり、下の左側の写真のように、使われていないかつてのホームに待合室がありました。2022年 11月まではトイレもあったよう です。待合室の隣の元事務室は、地ビールの熟成場所として使われていました。
 上の 写真は地上への出口付近です。待合室の横から見た別アング ルの写真だと、旧ホームと 現在のホームの関係がよくわかります。
 新清水トンネル完成時には、旧ホームに面した線路(副本線)の外側に、通過線(本線)がありまし た。2008年に副本線をつぶして新しいホームが造られましたが、旧ホームはそのまま残されまし た。待合室部分以外は柵があって入れなくなっています。
 新ホームは旧ホームより幅が狭く、長さも6両分くらいに短くなっているようです。

 左はトッ プに掲げた上り階段の 脇に設けられた案内看板です。上の写真の左前方にも見えています。丁寧な説明が書いてあります。 「日本一のモグラ駅」は、土合駅自身が認めた愛称のようですね。
 今回、上り列車で土合駅に着くのではなく、あえて下り列車で到着したのは、この階段を降りるので はなく、昇ってみたかったからです。
 「改 札口まで約10分」とあります。降りるならもう少し早いでしょうが、土合駅が有人駅だったころの時 刻表には、「改札は下り列車に限り、 発車10分まえに打ち切りになります」との注記がありました。現在の時刻表では「改札から下りホームまで約10分かかります」となっています。
 右は階段部分のアップです。2024 年4月9日に訪問した北陸のトンネル駅、筒石駅の 階段 と比べると、各ステップにすべり止めが付き、5段ごとに踊り場が設けられています。途中2か所には ベンチもありました。階段左側の空きスペースは、エスカレーターが検討されていたとの話も聞きます が、本当でしょう か。
 上の 写真の左側は、地上へたどり着いたところです。湯檜曽川を渡る通路が真っすぐ延び、突き当たりに風 除けがあります。見 物客らしき人が大勢います。入場券を発売したらいいと思いました。右側は、最上段から下を見下ろしたところです。ホームはわかりません。「足元に 注意」の表示は消えかかっていました。
 筒石駅と比べると、土合駅の階段は長いですが、思ったより楽に上ることが出来ました。筒石駅 は、通路の曲がり角が多く、他の利用者がいなかったことも加わり、土合駅よりも迷宮のような閉塞感がありまし た。
 通路の突き当たり、風除けの背後に左の写真のようなドアがあり、「お疲れさまでした」と「改札出 口まであと143メートル」の文字。鉄道らしく細かいです。
 左の 写真のような12段の階段を2回上ると、ようやく駅舎です。通路の突き当たりを右折すると、右のよ うに改札口に到着しました。昔なつかしい改札ブースが残っていました。
 このあたりの通路はゆったりしています。正面に進むと上り線のホームがあります。
4)谷川岳をイメージしたトンガリ屋根
 とりあえず外へ出てみると、三角形が目立つ立派な駅舎です。新清水トンネル開通の翌月、1967年10月に完成したコンクリート製で、三角形は谷川岳を イメージしたのでしょう。
 屋根や玄関部分に三角形を取り入れた駅舎は数多くありますが、ここはトンガリ具合が際立っていま す。横から見ると、さらにはっきりします。
 外壁には新清水トンネル掘削で出てきた石英閃緑岩が使われ、山小屋の雰囲気もあります。
 この デザインは、もちろん土合駅が谷川岳の玄関口であるためです。現在では列車の利用者は少なくなって いますが、それでも山開きの7月5日には、上野を23:42に出て、土合に03:10に着く、特急 「谷川岳山開き」号が運転されました。また夏から秋の終末にも土合に停まる大宮ー越後湯沢間の臨時 特急が運転されています。駅舎の出口脇には、登山届の提出ポストもありました。
 駅前の国道291号には、二段下の写真のようにバス停があり、谷川岳ロープウェイ駅行きのバス停 が あります。歩いても約1.5kmなので、昔はみんな歩いたのでしょう。昔の時刻表には、ロープウェ イ乗り場まで「徒歩15分」と書いてありました。実際は坂道なので、もっと時間がかかると思いま す。
 上の 写真の対角線側、改札を出て左側の目だ立たない場所に、谷川岳の登山案内図と、土合駅の紹介ポス ターが掲げてありました。
 登山目的には中途半端な地図で、目的はロープウェイ駅への案内でしょう。「約1.6km(徒歩 30分程度)」とあります。これが実態に近いのでしょう。
 駅の紹介ポスターは、「上越線で見つけた不思議。はるか地底のプラットホーム」と記され、イメージ 図が添えられています。地 下ホームへの階段が、地上の通路から「くの字」形に曲がっているように見えるところが、少し違和感 があるように思いました。
 現在 はロープウェイ駅には大規模な立体駐車場が接続しています。上越自動車道の水上ICから約14キロ なので、車が便利です。
 その途中に駅を見に立ち寄る人が多いのでしょう。未舗装の駅前広場は、乗用車でいっぱいでした。 後述するグランピング施設の利用者もいるかもしれません。
4)旧事務室は「駅茶モグラ」に
 駅舎 の入り口にも「日本一のモグラえき」の文字がありました。
 下の左側は、入り口から左手を見たところです。現在ベンチが並んでいる向こう側、ガラス戸の中が 旧待合室でしょう。現在は閉鎖され、物置きです。
 下の右側は右手を見たところです。切符売り場や手荷物扱い窓口は、そのまま残されています。そし て窓口の内側、かつて駅の事務室があった場所には2020年8月8日、駅舎内喫茶「mogura」がオープンしました。 駅構内に同年11月に誕生したグランピング施設「DOAI VILLAGE」に先立つ開業でした。メ ニューは「駅茶 モグラ」となっていました。
 今回 の訪問時点では、土日祝日の10時から15時の間のみ営業となっていました。
 店内は左のようにゆったり。うれしいのは下の左の写真のように、切符売り場などの窓口部分がカウ ンター席になっていることです。駅員さんの視線を体験することが出来ました。地下ホームで熟成され たビールを飲みました。
 土合駅が無人化されたのは1985年ですが、店内の壁には有人駅時代の掲示の一部がそのまま残っ ています。「土合駅有効長」を見 ると当時の線路とホームの状況がわかります。
 下の真ん中の写真のように、額に入った「土合駅沿革」もありました。
 最初 の「水上ー越後湯沢間開通」が昭和6年(1931年)4月1日とあるのは意味がわかりません。開通 と土合信号場の開設は同じ9月1日のはずです。土合信号場は1936年12月19日に駅に昇格して います。
 下のほう、「キロ程」の起点が上越線の起点である高崎ではなく大宮になっているのは、当初、高崎 線の延長として建設された経緯によるようです。湯檜曽駅のトンネル内のキロ程標識も、大宮起点でし た。

 寄贈品という制帽も壁にかかっていました。
5)上り線ホームの周囲は広々
 「モ グラ」の閉店時間まで休憩し、15:34発の水上行き列車に乗るため、上り線ホームに向かいまし た。改札口を入って右手へ通路を進み、突き当たりから外へ出ると、右手前方に島式ホームがありまし た。
 今は片面だけしか使われていませんが、架線を支える支柱を見ると、ホームの両側に線路が敷かれて いたことがわかります。現在の線路の左側にも、使われていない線路が草に覆われていました。
 ホー ムから駅舎を振り返りました。三角屋根はよく目立っています。出入り口との間は、かつては線路を横 切っていたのでしょう。

 ホームの前方まで歩きました。4両の停止位置まではホームがかさ上げされており、点字プロックも ありました。その先に見える水色の標識は6両の停止位置です。
 下の右はホームの端から東京方向を見たところです。左側から線路が合流しています。柵の向こう側 にも駅 名標が立っていました
 二段 上の右側の写真の「電」の標識のところから、駅舎方向を見たのが上の写真です。このあたりは隣の線 路がよく見えています。
 先に紹介した「土合駅有効長」 では、上り本線、上り1番線のほか、貨物線が2線あったようなので、ホームの駅舎側に2線あったの でしょうか。
 さて15:34発の水上行きは4両編成でした。湯檜曽駅を経て、水上までは15分です。
 以上で、湯檜曽駅と土合駅の訪問記録を終わります。
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