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★☆ 「18きっぷの聖地」 下灘駅 (おまけ・高架になった松山駅) ☆★
(2025年5月16日)
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<曇天の朝、八幡浜行き普通列車で下灘に到着しました。中央が有名なベンチですが、隠れてしまいました>
(青い枠がついている画像は、クリックすると拡大画像が開きます)
1)「日本一海に近い駅」なの?
愛媛
県の下灘駅は、1998年冬から3年連続で「青春18きっぷ」のポスターに採用され、夕日が美しい
駅として全国的に有名になりました。
予讃本線の駅として開業したのは1935年6月9日で、もうすぐ開業90周年です。18きっぷの
ポスターで知られるまでも、「日本一海に近い駅」として、鉄道ファンにはそれなりに知られていまし
た。
しかし今回、八幡浜行き普通列車の最前部に乗って見ていましたが、ちっとも海に近くありません。
右は下灘到着直前の写真で、淡緑の建物が駅舎です。夏草が茂っており、海が全く見えません。
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トッ
プの写真は7時50分に到着し、降りてすぐに撮った写真です。
左は少し離れて動き出した列車を撮影。右端でも撮影している人が見えます。下は列車がいなくなっ
たホームです。この写真だと海に近いと言えなくもないです。
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左の
写真のように、駅と海の間には国道378号が走っていますが、この国道は1990年代に海岸を埋め
立てた改良工事で完成したもので、それまではもっと海が近かったのです。
とはいえ、線路は高台を走っているために海までは距離があり、「日本一海に近い」は盛り過ぎだと
思います。
辻本が行った駅で、一番海に近いのは、文句なしに鶴 見線の海芝浦駅です。ホームが岸壁になっていま
す。通っただけでは、新潟県の青海川駅 が有名です。
今でも下灘駅を「日本一海に近い駅」と書いているサイトもありますが……。 |
2)「18きっぷの聖地」で、夕日の美しい駅
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ちょっとケチをつけるような書き方になってしまいましたが、下灘駅が風情のある駅であることは間違
いありません。駅舎は改装されているものの、開業同時の建物が使われているようです。
駅舎前の道路から、駅の入り口と改札口を通して、海が望めます。ブルーのラインが入った駅名標が
良いアクセントになっています。
下の写真は待合室から見たところで、ほぼ同じアングルで撮った写真が、1999年冬の「青春18
きっぷ」のポスターに使われました。
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ポス
ターにも著作権があるので、直接ここには掲載しませんが、ネット検索するとすぐに見つかります。
1999年冬のキャッチフレーズは、「思わず降りてしまう という経験をしたことがありますか」
でした。右の写真とは違って、駅名標は半分だけ見せています。
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左の本はポス
ター制作チームの一人が、裏話を披露しています。撮影時、駅名標の
文字は海側にしかなく、JRにお願いして裏返し、前後の駅が逆になるのはCGで処
理したそうです。改札口の上の時計も、撮影のために隣駅から借りてきて掛けたそう
です。
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1998年冬のポスターは八幡浜側の線路上からホームと海を写しており、マネはできません。
キャッチフレーズは、「駅に着いた列車から、高校生の私が降りてきた」
でした。
2000年冬のポスターは、ホームの屋根付きベンチを画面の下に配置し、空を大きく取り込んだ構
図で、「前略、僕は日本のどこかにいます」とのコピーでした。
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【2025年5月20日・追記】上記の本を入手して読
みましたが、下灘駅のポスターの年代を逆に書いていました。改札口から見た風景は1999年冬のポスターで、線路上
から写したのが1998年冬です。修正しました。。
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左はホームから駅舎を見たところです。右手に数台分の駐車場があり、この日は平日の朝でしたが、撮影目的などの人たちが何組も、車、バイク、自転車で訪
れて いました。
駅舎前中央のベンチは、「らぶらぶベンチ」と名付けられていました。左側のベンチには、四国の形
がくりぬかれていました。
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待合
室には多くの写真が掲示されており、夕日の写真が目立ちます。辻本は2001年3月から2年半、松
山に住んでいましたが、当時から下灘駅のある旧双海町(合併して現在は伊予市)は、夕日の美しい町
としてPRしていました。
NPO法人「日本列島夕陽と朝日の郷づくり協会」が選定した「日本の夕陽百選」にも、伊予市双海町が選ばれてい
ます。
このあたりの国道378号は「夕やけこやけライン」と呼ばれています。また、下灘駅のひとつ松山
側、伊予上灘駅に近い「道の駅ふたみ(ふたみシーサイド公園)」には恋人岬があり、「恋人の聖地」です。
上の「らぶらぶベンチ」もカップルが多いゆえでしょう。
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実際
に夕日が美しい時期には、何十人もの人たちがやって来るようで、駅横の駐車場もあふれるため、伊予
市は近くの臨時駐車場などを案 内しています。
また下灘駅は、古くから映画やテレビドラマなどのロケ地に選ばれています。上の写真で、夕日の写
真の上に細かい字で詳しく紹介さ れています。
古くは小林旭の「渡り鳥シリーズ」にも登場したようですが、有名なのは「男はつらいよ」シリーズ
第19作、1977年8月6日公開の「寅次郎と殿様」の冒頭シーンでしょう。待合室にはロケ風景の
写真もあり、ホームのベンチに寝そべる渥美清さんが写っています。
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3)幹線からローカル線へ、そして観光列車が
停車

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左は駅舎の前から八幡浜方面を見たところです。この規模の駅にしてはホームが不自然に広く、屋根付きベンチの位置も、海側に寄りすぎています。駅舎との
間は埋め立てられているように見え、手前の手すり付き通路も、なんのためにあるのかわかりません。
ヒントは駅舎の前に描かれている白い破線です。かつてここもホームだった証しで、中央部分に線路
があったのです。
待合室に掲示してあった国鉄時代の写真を見ると、答え合わせができます。
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左の
3枚のうち、左下の写真が上とほぼ同じアングルです。駅舎前ホームと海側の島式ホームの間に線路が
1本あり、線路上の通路が結んでいました。上の写真の手すり付き通路は、中央の線路が使われなく
なったあと、埋め立てられるまで、通路として使われていたのでしょう。
なお、ベンチの上の屋根に描かれている乗り場案内を見る限りでは、駅舎前のホームは乗り場として
は使っていなかったようです。
また、キハ181系特急「しおかぜ」の姿が見えます。1986年3月3日に予讃本線の新ルートが
できるまでは、ここが幹線でした。
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下は
JTB時刻表の索引地図の下灘駅周辺で、左は1975年4月号、右が2025年4月号です。
1975年当時は予讃本線の五郎駅から内子線が内子まで延びていました。1986年3月3日に向井
原から内子まで予讃本線(JR四国になって予讃線と改称)の新線が完成し、内子線の西側部分は伊予
大洲への接続に変わりました。このため新谷ー伊予大洲間は内子線ではなく、予讃線となっています。
内子線は予讃線に両側を挟まれた形になりました。右側の地図で、内子線部分だけ地方交通線の青色に
なっています。

新ルートはトンネルが多くて直線なので、特急、急行はすべて新線経由となり、下灘経由の路線は一
気にローカル線となりました。
右は下灘駅の時刻表で、上部に路線図が描かれています。両ルートとも予讃線ではややこしいので、
下灘経由は「愛ある伊予灘線」との愛称が付けられています。内子経由は、予讃線と内子線を
合わせて建設時の仮称だった「内山線」と書かれている場合もあります。
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さて優等列車がなくなった海沿いの予讃線ですが、2014年7月26日から観光列車「伊予灘ものがたり」の運行が始まりました。当初は
普通列車で、2021年に運行を終了。
22年はるから特急として再出発しています。左の写真は伊予上灘駅にあった手作り案内板で、4本の
運行のうち「双海編」は伊予上灘に11分間停車します。その他の列車は通過ですが、時刻がされてお
り、「見送りお願いします」と書かれています。

4つの列車とも、下灘駅には8〜12分間停車し、時刻表には記載がなく、乗り降りできない「運転
停車」ですが、ホームに降りて記念撮影できるようです。この列車が賑わったことにより、JR四国
は、「四国まんなか千年ものがたり」「四国土佐
時代の夜明けものがたり」という観光列車の運行も始めました。
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下灘駅で1時間足らず滞在し、8時48分発の松山行き普通列車に乗りました。
到着時はキハ32形6号機でしたが、今度はキハ54型9号機です。
ローカル線の探訪は列車本数が少ないのが悩みですが、朝はそれなりに本数があります。下灘駅も
10時以降は2時間に1本ですが、6時〜8時台は1時間に1本です。ローカル線に限りませんが、
「降り鉄」には早朝から活動することが大切なんです。
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4)ローカル線の魅力あふれる伊予上灘駅
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左は下灘駅に向かう途中、手前の伊予上灘駅での行き違い風景です。かつてのタブレット交換がしやすいように上下列車がずれて停車するホーム配置で、中央
に横断通路があります。
構内遮断機はありませんが、小学生たちは列車が停止し、警報が鳴り終わるのをまって横断していき
ます。上級生が先頭に立ち、下級生を誘導しているのがほほ笑ましいです。
左側ホームの使われていない部分は草が伸びています。
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下灘
を8時48分に発車し、伊予上灘に8時55分に到着した松山行き普通列車は、ここで9時15分の発
車まで20分間も停車します。この日は行き違いの列車はありませんが、上に載せた案内にあるよう
に、「伊予灘ものがたり大洲編」が通過するダイヤです。
「降り鉄」にはありがたい停車時間です。駅舎はホームからやや低い位置にあります。緑が濃いホー
ムの樹木は、桜の木でしょうか。
下の左のように、小振りな木造駅舎で、玄関部分の装飾がお洒落です。地元の方がプランターの花の
世話をしておられました。
待合室は「伊予灘ものがたり」の写真や利用者の色紙などで埋め尽くされていました。
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5)高架化で様変わりした松山駅
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上は
松山駅に着くところです。2024年9月29日に高架駅になりました。島式ホーム2面4線で、どの
ホームも宇和島方面との到着、出発が可能です。
左は高松方面で、こちらも同様です。出発信号機が1番から4番まで設置されています(4番用は
ホームの柱で見にくいです)。
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上は
広々とした2階の乗り換えコンコースです。天井は愛媛県産の木材を使っているそうで、なかなか見ご
たえがあると思います。
上の左側は宇和島方面を見たところで、右側は高松方面。こちらに改札口への階段とエスカレーター
があります。
左が改札口を外から見たところです。自動改札機が入場、出場各2通路あります。JR四国のアプリ
「スマえき」対応ですが、ICOCAなどには未対応なのが残念です。
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改札
を出ると、目の前が高架下の商業スペース「だんだん通り」です。頭上にはリング状の案内表示があ
り、リングの内側には「ようおいでたなもし松山へ」などの伊予弁が記されています。
天井はここも木材で、写真ではわかりにくいですが、唐破風をイメージした曲面になっています。
なお松山駅の施設については、「JR四国 NEWS」2024年9月号や、同社の松山駅構内図をみてください。
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ふた
つ上の段の左は、旧駅のある東口で、架設通路で工事区間を通り抜けます。右は西口で、駅の前は未舗
装の広場。ベンチが並び、多くの人が休んでいました。
上の段の左は、旧ホームの宇和島側、右は高松側です。線路はほとんど撤去されており、屋根の解体
が進んでいます。
右は1番乗り場後に掲げてあった横断幕です。松山駅の高架切り換えを伝えた「乗 り物ニュース」2024年10月16日の記事を
見ると、この横断幕は旧駅の最終日であ
る9月28日の夜に、歴代松山駅長が掲げていたもののようです。
この記事には多くの写真が掲載されていて、当時の様子がよくわかります。
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左は
駅周辺の整備計画です。路面電車は一応駅前広場へ引き込むようですが、駅舎が後退しているのだか
ら、思い切って駅に近づけてほしいですね。スイッチバック形がいいと思います。ただ、駅の西
側への延伸構想もあるのでしょう。
下の左は旧駅のコンコース。改札口部分を通り抜けて新駅へ向かいます。下の右側は切り換え前の
2024年8月16日に写したコンコースです。自動改札がないことで有名でした。
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以上で、下灘駅と伊予上灘駅、松山駅の紹介は終わりです。
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