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★ 横浜の建築と産業遺産(2005年3月12日)
(その1)

(赤れんが倉庫とランドマークタワーが新旧のコントラストを見せる)

1)桜木町駅からみなとみらいへ

 横浜へ行く用事があったので、仕事の合間をぬって、駆け足で産業遺産と近代建築をめぐってきまし た。あいにく、今 にも降りだしそうな鬱陶しい空模様だったので、掲載している写真はコントラストの低い「眠い」写真が多くなっています。
 スタートは鉄道発祥の地である桜 木町駅で す。

 桜木町駅は1872年(明治5年)に日本最初の鉄道が開業したときの横浜駅でした。改札を出 て、みなとみらいとは反 対側、西側を線路に沿って少し南へ歩くと、「鉄道創業の地記念碑」 が建っています。 このあたりが当時の駅前広場でした。
 3つの凹面からなる碑で、足元は車輪のイメージ、3方に当時の双頭レール、頂部に機関車の汽笛が ついています。正面には当時の横浜駅の絵、左側面には開 業時の時刻表や運賃表、右側面には碑建立の由来などが刻まれています。1967年(昭和42 年)10月16日に15mほど離れた場所に建てられ、1988 年(昭和63年)12月に現在地に移されました。右の白い看板にそのことが書かれています。

 ちょうど花壇かなにかの整備中で、シートがあったり、作業員が碑の向こう側に座っていたりと、写真撮影にはふさわしく ない状況でした。

 ところで一般に、最初の鉄道開業は「新橋・横浜間」とされ、開業式は10月14日(旧暦9月12日)です。(翌日から 営業運転)。しかし、その前、旧暦 5月7日には、ここ横浜と品川間が仮開業しているのです。1日わずか2往復、所要35分間。運賃は1等1円50銭、2等 1円、3等50銭でした。

 この鉄道建設に尽力したのが、いわゆるお雇い外国人のエドモンド・モレル。イギリス人の彼は1870年に初代鉄道建築 師長として来日。しかし開業前の 71年9月23日に病死してしまいます。桜木町駅の改札内コンコースには彼のレリーフがあり、当時の駅風景の写真なども 掲げれています。モレルの名前は鉄 道ファンにはおなじみですが、今回、かれがわずか29歳で無くなっていたことを知りました。お墓は横浜の山手外国人墓地 にあり、墓碑は切符の形をしている そうです。

  
 駅の東側には横 浜ランドマークタワーがそびえ立っ ています。地上70階、塔屋3階、高さ296mで日本一の超高層ビルです。1993年7月14日に 竣工しました。

 ここは三菱重工の造船所だった場所です。そしてタワーの東側の足元には、右の写真のように当時の2号ドックが、「ドッ クヤードガーデン」 とリニューアルされて残されています。長さ107m、上部の幅29m、深さ10m。写真にはいくつか窓が見えています が、中はレストランなどが入っていま す。まるでローマのコロッセオか、アテネ五輪の競技場のようですが、残念ながら周囲の階段部は安全管理上、登ることはで きません。
 なお1号ドックも隣りに残っており、こちらは水をたたえて帆船・日本丸の繋留地として使われています。

2)汽車道と鉄橋

 日本丸の横から、新港地区に向かって港を横切るようにのびているのが「汽車道」 です。かつての貨物 線・臨港線の跡が、約500mの遊歩道になっています。2つの人工島を3つのトラス鉄橋でつないで います。人工島も鉄橋も横浜市の認定歴史建造物であり、 正式名称は「新港連絡線鉄道線路護岸」というそうです。

 左の写真のように、桜木町側の港一号橋梁港二号橋梁は真っ直ぐです。遊歩道は板張りの ボードウォークで、2本のレールの ようなものが敷かれています。鉄橋のたもとには、それぞれ右の写真のような解説板が建っています。
 解説によると、一号は30フィートの桁橋2連と、100フィートのプラット・トラス橋からなり、1909年(明治42 年)に架橋。トラス橋は1907年 (明治40年)にアメリカン・ブリッジ・カンパニーで製作されており、銘板が付いています。(上の左の写真で、右側の親 柱部分に見える四角い黒い部分がそ うです)。二号は一号とまったく同じプラット・トラス橋です。

 ところで、汽車道は良い雰囲気の遊歩道なのに、道ばたに一定間隔でスピーカーが設けられており、安っぽい音楽が流れて います。はっきり言って雰囲気ぶち こわし。お洒落な横浜には似合わないので、すぐやめるべきだと思います。

 港二号橋梁を渡ると道はゆるく右にカーブし、正面に凱旋門型のビルが見えます。門からは赤レン ガ倉庫が見えます。
 このビルは横浜国際船員センター「ナビ オス横浜」 で、1999年10月の竣工。HPを見ると、この形は凱旋門ではなく、額縁だということです。
 左手に港三号橋梁が見えます。

 港三号橋梁は3つの鉄橋の中では最も古く、1906年(明治39年)に北海道・夕張川橋梁として架けら れたものです。そして1928年 (昭和3年)に、横浜の大岡川に架かる旧生糸検査所引き込み線の鉄橋として転用されました。そして1997年(平成9 年)に現在地へ移され、三度目のおつ とめです。
 港一号、二号橋梁がアメリカ系のプラット・トラス橋であるのに対し、港三号橋梁はイギリス系のワーレン・トラス橋で す。

3)赤れんがパーク


 ナビオス横浜をくぐると、広い空き地の向こうに2棟の赤レンガ倉庫が見えます。周辺は赤レンガ パークという公園になってい ます。

 横 浜市港湾局のホーム ページによると、このあたりの新港埠頭は1899年(明治32年)から埋め立てが始まり、1905年(明治38年)から 06年に完成。そして1911年 (明治44年)に2号倉庫(上の写真の左側)、13年に1号倉庫(右 側)が完成しました。 どちらも保税倉庫です。2号倉庫は 長さ150mで、10室に分かれています。写真の左側に見えるのはベランダで、2つの塔はエレベーターです。設計は大蔵 省臨時建設部と妻木頼黄(よりな か)。妻木頼黄は東京・日本橋のデザインで有名ですが、横浜では旧横浜正金銀行本店の設計者として知られています。
 1976年ごろから利用量が激減し、荒涼とした風景のために映画のロケ地として有名になります。やがて1989年には 倉庫としての役目を終えました。

 その後、1992年に横浜市が取得して補強と改修を施し、2002年4月12日、あらたに「横 浜赤レンガ倉庫」と してオープンしました。広い2号倉庫は2号館としてレストランや様々なショップが入り、1号倉庫は1号館としてホールや 展示会場として使われています。両 館の間は石畳の広場で、いろんな催し会場として使われており、この日は日産自動車が展示会をしていました。

 2号館の西側には、発掘現場のように建物の基礎部分が残っています。これは旧横浜税関の 建物跡で、赤 レンガパークの整備中に発掘されたそうです。現在は花壇になっています。
 2号館の向こうに見える高層ビルは、神奈川県警本部です。

 こちらは旧横浜港駅のプラットホーム。屋根は新しい材料で復元したものです。
 先に汽車道の説明のところで貨物線、臨港線が通っていたと書きましたが、1920年(大正9年) から1960年(昭和35年)までは、外国航路の客船に 連絡する「岸壁列車」が運航されていました。
 その歴史は少し複雑です。

 もともとこの場所は1911年(明治44年)、横浜税関構内の荷扱所だったのですが、1920年に横浜港駅となり、外 国航路の船が着くときに限って連絡 列車が運行されるようになりました。その第一号は7月23日のシアトル航路「香取丸」でした。第二次大戦中は中断したも のの、1957年(昭和32年)に 「氷川丸」 のために再開。しかし1960年 (昭和35年)に「氷川丸」が最後 の航海を終えると、岸壁列車もその役割を終えたのでした。臨港線自体と貨物駅としての横浜港駅はその後も残っていました が、1982年(昭和57年)に駅 は廃止となりました。

 赤レンガパークからは、ベイブリッジもよく見えます。右側の建物は最近改築されて、そのユニー クな形が話題になって いる大桟橋埠頭の国際旅客船ターミナルです。ここも見に行きたかったけど、遠いのであきらめまし た。


 下の左の写真は、赤レンガパークではありませんが、8号岸壁にある「50t定置電気起重機」です。 1914年(大正3年)に設置された東 洋最古の電動式クレーンです。これも産業遺産として保存されています。


 また遺産ではありませんが、赤レンガパークに隣接して横浜海上保安部があり、その一角には九州南西海域で巡視船と銃撃 戦を展開した「工作船」を保存展示 している海上保安庁の「海上保安資料館横浜館」があります。なかなか賑わっていました。

 上の右の写真は、新港地区から山下公園方面へ向かう臨港線が渡っていた新港橋梁です。1912年(大正 元年)に浦賀船渠株式会社(後の住 友重工)で作られた100フィートのワーレン・トラス橋で、汽車道の港三号橋梁に少し似ています。この鉄橋も汽車道の3 つの橋と同様に横浜市の認定歴史建 造物で、認定時の記 者発表資料によると、「英国式を模倣しながらも剛性を高めるための工夫をしている」とあります。斜めの鋼材 の他に垂直の鋼材が使われているのが、 その工夫なのでしょう。汽車道とあわせると、英、米、日の3型式がそろっているわけです。
 現在は山下公園方面への遊歩道の一部となっています。山下公園部分の臨港線は高架線路だったので、「山下臨港線プロム ナード」と名付けられたこの遊歩道 は見晴らしが良いそうです。歩いてみたかったのですが、時間がありませんでした。
 なお、この記者発表資料がある横 浜市都市計画局のHP には、認定歴史建造物の一覧表をはじめ、興味深い内容が多く掲載されています。

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