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★ 消える「あさかぜ」「さくら」(2005年2月20日)
(その1)

(長崎駅4番線ホームにバックで進入する東京行き「さくら」)

1)ブルートレインの横綱・大関

 寝台特急列車、いわゆるブルートレインは最近では新幹線や新型特急電車の陰に隠れて細々と生き 残っている状態でし た。なにしろ、速度が遅い上に料金が高いので、よほどの理由があるか、鉄道ファンでなければ必要がない乗り物でしょう。
 鉄道ファンの辻本にしても、関西在住だったこともあって、これまで東京と九州を結ぶ寝台特急には乗ったことがありませ んでした。鹿児島県串木野市出身の 友人の結婚式に出席するため、新大阪発鹿児島行きの「なは」に乗ったのが、唯一の寝台特急の経験でした。
 そんな中で、2005年3月1日の全国ダイヤ改正で、東京・下関間の「あさかぜ」と、東京・長崎間の「さくら」が消え ることを知りました。この2本は、 数あるブルートレインの中でも横綱・大関クラスの名列車です。これは乗っておかないと後悔します。というわけで、2月 19日の夜から21日の朝にかけて両 列車に乗ってきました。

2)歴史と伝統の名前

 この写真は、東京の交通博物館で展示されている「あさかぜ」と「さくら」のヘッドマーク(トレ インマーク)です。牽 引する機関車の正面に掲げられているものです。
 「あさかぜ」は現在でもこのマークなのですが、「さくら」は現在、「はやぶさ」と併結されている ため、単独運転区間も含めて、2つのマークを一緒にした ものが使われています。

 このため、このシンプルな「さくら」のマークは見られません。ただし、最終日となる2月28日だけは、このマークをつ けて長崎を発車するようです。

 さて両列車の歴史について、ごく簡単におさらいしておきましょう。
 「あさかぜ」は、1956年(昭和31年)11月19日、東海道線全線電化完成に伴うダイヤ改正で、東京-博多間の特 急として誕生しました。東京と九州 を直結する戦後最初の特急列車で、東京発18:30、博多着11:55。2等、3等の寝台車のほか、座席車や食堂車など 10両編成でした。この列車が画期 的だったのは、大阪駅停車が深夜2時台となったこと。当初、大阪鉄道管理局は大反対したそうです。
 でも「あさかぜ」は好評を博し、1958年(昭和33年)10月1日のダイヤ改正で、20系の固定編成客車を使った列 車として生まれ変わります。これが 現在につながる「ブルートレイン」のルーツと言えます。(編成は12両+電源車ですが、この時にはまだ2等座席車1両、 3等座席車2両が含まれており、 「寝台専用」ではありません)。紺色のボディーに3本の白いラインが美しい20系客車の「あさかぜ」は、「走るホテル」 との異名を取り、1968年(昭和 43年)10月1日のダイヤ改正で、1往復増発。さらに1970年(昭和45年)10月1日のダイヤ改正で、東京-下関 間の1往復が増え、「あさかぜ」は 3往復体制となりました。
 しかし、1975年(昭和50年)3月10日、新幹線博多開業に合わせたダイヤ改正で東京-博多間の1往復は廃止。そ の後は個室寝台の新設など、車両の 更新が行われたものの、利用者の減少はくい止められず、ついに1994年(平成6年)12月3日、本家とも言える東京- 博多間の「あさかぜ」は廃止とな り、東京-下関間の1往復が残るだけとなっていました。

 一方、「さくら」の歴史はもう少し複雑です。
 東京-長崎間の特急としての歴史は、1959年(昭和34年)7月20日、それまでの「平和」が20系固定編成化され て、「さくら」と改称された時に始 まります。しかし、「さくら」の名前が鉄道ファンの間で特別の響きとともに愛されるのは、「富士」とともに1929年 (昭和4年)に誕生した日本で最初の 列車愛称名だということが大きな理由です。(当時は漢字で「櫻」でした)。この愛称は公募され、東京-下関間の1、2等 主体の特急列車には、1007票を 集めて1位だった「富士」の名が付き、同じく東京-下関間の3等主体の特急列車は844票で3位だった「櫻」と決まりま した。(ちなみに882票で2位 だったのは「燕」で、翌年に東京-神戸間に誕生した「超特急」の名前となりました)。
 東京-長崎間の「さくら」に話を戻すと、1965年(昭和40年)10月1日から佐世保行き編成が併結されることにな り、1999年(平成11年)12 月4日のダイヤ改正で佐世保編成が廃止されるまで、長らく「長崎・佐世保行き」として親しまれていました。佐世保編成廃 止の代わりに、熊本行きの「はやぶ さ」と鳥栖以東は併結となり、現在に至っていました。

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