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 手柄山はJR姫路駅の南西、約1.5キロのところにあり、標高は49.3メートル。三角点があります。単なる普通の 丘ですが、いろん な施設が集中しており、遠くからでも目立ちます。JRを姫路駅の西側で越える「将軍橋」から見るとこんな感じです。

 手前に目立っているのが、モノレールの線路跡です。このモノレールは1966年(昭和41年)5月17日に、姫路駅 前と手柄山の間、 1.6キロを結んで開業しました。4月3日から、手柄山では「姫路大博覧会」が開かれており、その入場者を運ぶのに活躍 しました。
 しかし、6月5日に博覧会が終わると利用者は激減し、初年度の利用は約40万人と、見込みの3分の1に。このため67 年4月の市長選で、早くもモノレー ルをどうするかが争点となり、開通させた石見元秀市長が敗れたことから、モノレールの将来は暗いものとなりました。
 そして74年4月に運行休止、79年1月には廃止されてしまいました。高架のレールは今も約7割がそのまま残ってお り、「早すぎた新交通システム」の夢 の跡を見せています。

 手柄山が公園として整備されはじめたのは昭和30年代で、1956年(昭和31年)に、「太平洋戦全国戦災都市空爆死 没者慰霊塔」が建設されたのがきっ かけでした。この塔は今も公園の中心にそびえています。上の写真で、中央に少し出っぱって見えるのがそうです。

 

 左が慰霊塔。巨大な塔です。下には日本地図のレリーフがあり、爆撃を受けた都市が示されています。
 右の写真は塔の裏側のはずれ、市街地を見下ろす場所に、市街地には背を向けて立っている石見元秀・元市長の銅像です。 石見氏は、旧憲法下の1946年 (昭和21年)7月に市長になり、翌年4月に行われた初の公選でも当選して、5期20 年間市長を務めました。1981年(昭和56年)に建てられた像の説明によると、「遠大な構想のもと独創的なる都市復興 を実行し」、手柄山公園の開設や大 手前通りの建設など、「大姫路の雄図を確立した」とあります。

 山の最高所には駐車場があり、姫路市の緑の相談所があります。そして、少し階段を降りた山の中腹に市立水族館がありま す。

 ここはウミガメの飼育と研究では全国的にも知られており、入場料が大人200円、子供30円と安いこともあって、よ くにぎわっていま す。規模は小さいけれど、なかなか良い水族館です。
 その向こうに、なんか西洋のお城ふうの茶色い建物が見えます。近寄って見るとこんな感じです。

 展望台風の塔ですが、今は上れません。その左側には別の展望台が設けられており、市街地の中心部がよく見渡せます。

 

 左の写真がその展望台。右の写真はそこから見た風景で、中央の、背後のやまがちょうど窪んだところにぽつんと見える のが姫路城の大天 守です。その下側を左右に横切っているのが新幹線の高架です。手前、展望台のすぐ下にも別の城郭風建物が見えます。こち らはドアが開いており、中に入れま したが、階段があるだけの展望台でした。その右の白いたてものは、手柄山の山麓にある姫路市文化ホールです。


 このあたりは、レンガ造りの建物と、石造りの壁、岩を組んだ池のある庭園、など不思議な風景があちこちにあり、迷路状 に小道がつながっています。

 

 これらの建物はいったいなんなのでしょうか。たんなる公園の施設にしては手が込んでいます。これも、先に述べた姫路 大博覧会の施設 だったのでしょう。


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