▽ お城めぐり

▽ 日本のあちこち
 
タブレット交換の名 松線
 有終のトロリーバスに乗車
 
特急「ひ だ」で長良川鉄道へ
 日本唯一 「スカイレール」

 ト ンネル駅・筒石

 
鉄 道三昧の三が日
 「秘境駅号」で巡る飯田線
 
木次線と芸備線の旅
 伊那と山梨の桜
 
さよなら500系 のぞみ
 苗 代桜と下呂の桜
 
日光滝めぐり
 
横浜の建築と産業遺 産
 
「あさかぜ」「さくら」
 
三井寺の夜桜
 
坂の町・金沢
 
石鎚山登山記録
 
海から見たしまなみ 海道
 
来島海峡大橋塔頂体 験
 
ワンダーランド手柄 山
 
灘のけんかまつりル ポ
 
姫路の地名

▽ Macのある生活

▽ 好きなもの色々

▽ リンク

▽ 過去の日記



★☆   「タブレット交換」が残る名松線  ☆★
 
(2024年12月22日)

このサイトは、MacのFirefoxでの閲覧に最適化されています。
Windows環境なら、Google Chromeを使い、「設定→デザイン→フォントサイズ→小」でご覧ください。


  <名松線(めいしょうせん)の家城(いえき)駅では、全国でも珍しい「タブレット交換」が行われています>
(青い枠がついている画像は、クリックすると拡大画像が開きます)

1)6年半の運休を乗り越えて存続

  三重県に名松線というローカル線があります。左は「JTB時刻表」の2014年10月号です。松阪 から伊勢奥津(いせおきつ)まで、路線延長(実キロ)は43.5kmで、全線単線非電化の路線で す。
 線名は松阪と名張を結ぶ目的で付けられました。1929年8月25日に松阪ー権現前間が開通し、 順次延伸して35年12月5日には伊勢奥津まで開業しました。
 国鉄末期には、代替道路未整備で廃止対象から外れましたが、2009年10月8日、台風18号の 豪雨被害で全線不通となり、家城ー伊勢奥津間17.7kmが復旧したのは2016年3月26日でし た。
 左の地図には「名松線」の文字の隣に※印があり、地図を拡大するとわかりますが、欄外に不通の説 明があります。
 しか し最近のローカル線に厳しい情勢では、いつ廃止になってもおかしくない路線です。「青春18きっ ぷ」で乗りに 行きました。
 三ノ宮を6時25分の快速で出発し、草津、柘植、亀 山、津と乗り継いで、松阪には10時45分に到着しました。遠いです。南口の駅舎は、1979年4月4 日に来た時とあまり変わっていま せんでした。
 松阪はJRと近鉄の共同使用駅で、JRが1から5番線(2番線は欠番)、近鉄が6から8番線を使っています。
 中間改札はなく、JR側の南口、近鉄側の北口とも、自動改札機には両方のきっぷが区別なく通せま す。もちろん18きっぷも問題なく使えました。ただし交通系ICカードの利用には制限があるようで す。
 名松線は5番ホームから出発します。11時33分の発車までまだ時間がありますが、列車はすでに ホームで待っていました。11時1分に到着した列車でしょう。
 車両はキハ11形303号機。JR西日本のキハ120形と 同様、両側に運転台があり、トイレもついたワンマン運転用のディーゼルカーです。他のJR東海の車 両と同じく、オレンジ色のラインが車体を巡っています。
 車内はこんな感じの セミクロスシートで、発車時刻になっても他の乗客は1人だけ。同好の士かもしれません。
 定刻に発車した列車はしばらく単線の紀勢本線の本線上を走り、約1分後、下の左の写真のように名 松線が左へ分離します。
 しかしその後も約2分間、まるで複線区間のように紀勢本線と並走し、 松阪駅から約2.5km先で、ようやく分かれていきます。
 松阪 から2駅目の権現前は、名松線の最初の開通区間の終点ですが、ホーム上に小さな待合室があるだけの 簡素な駅でした。
 4駅目が左の一志で、ホームは1面ですが駅舎がありました。この駅の北側、200m余りのところ に近鉄大阪線の川合高岡駅があります。JRも近鉄も案内はしていませんが、時刻さえ合えば十分乗り 換えが可能な距離です。
2)高校生たちが応援
 小雨 で濡れた前面ガラス越しに、Y字形分岐が見えると、沿線で唯一、列車の行き違いが可能な家城(いえ き)です。ホームから一段低い位置に立派な古い駅舎がありました。
 12時10分に到着し、13分も停車するので、いったん降りました。 伊勢奥津側から見たのが右 の写真。反対側ホームにはベンチが見えます。
  駅舎がある松阪側には構内踏み切りがあります。駅の近くには三重県立白山高校があり、訪れたのは日曜日でしたが、何人もの高校生が松阪行きの列車に乗り込 みました。
 駅の待合室には、名松線の各駅や沿線で高校生らを写した写真が何枚も壁に飾られていました。よく 見ると「名松線 勝手に応援団」というロゴが入っています。
 調べてみると、白山高校が地域課題解決型キャリア教育として2020年度に始めた、PR用ポス ターを作る企画でした。白山高校のホームページに、3年間で作った作 品が紹介されています。いずれも文章付きで、青 春真っ盛りが感じられる秀作ぞろいで す。
3)タブレット交換とはどういう作業か
  さて家城では「タブレット交換」が行われていると、トップの写真の説明で書きましたが、これはどういう意味でしょうか。鉄道ファン以外はほとんど知らない 言葉でしょう。
 ごく簡単に言うと、「単線区間で衝突しないために、列車が持ち運ぶ“通行手形”の受け渡し」のこ とです。
 列車の正面衝突や追突を防ぐため、鉄道では定められた一定区間には1列車しか立ち入れないという 大前提があり、この区間、または仕組みのことを「閉塞(へいそく)」と言います。現在では信号機に よる「自動閉塞」が普通ですが、かつては駅員を介して様々な“通行手形”をやりとりする閉塞方式が あちこちで見られました。
 閉塞については「ねとらぼ」の「月刊乗り鉄話題」にある「な ぜ単線の路線で電車はぶつからないの?」などを 参考にしてください。
 最も 簡単な閉塞の仕組みが「スタフ閉塞」、より一般的だったのが「タブレット閉塞」です。
 上の 写真は、2016 年に訪れた京都鉄道博物館の1階、信号や 閉塞、ポイントの説明コーナです。手前のガラ スケースに並ぶ4枚の円盤がタブレットです。その向こう側、ヤリのような形をしたものがスタフだと 思います。説明が読めず残念です。
 右手の螺旋形の柱(通票受器)に引っかかっているのが「タブレットキャリア」で、下の鞄のような ところにタブレットを収めます。

 本来、タブレットとは中に入っている円盤のことなのですが、キャリア全体をタブレットと呼ぶこと が普通にありました。左の写真は2022年11月に「み まさかスローライフ列車」に乗った時、美作加茂 駅で行われた演出で、「タブレット交換 のデモン ストレーション」と称されていました。
 右上 の写真は、往路のキハ11-303の運転席に架けられていたキャリアです。ケースが2つ付いていま す。
 実は 家城でのタブレット交換は事前に把握しておらず、トップに掲げた写真と左右の写真は復路で撮りました。
 左は列車が運んできたキャリアを対向列車へ持っていく駅員さん。キャリアのバッグ部分はよくわか りません。
 右は対向列車が運んできたキャリアを持ってきた駅員さん。キャリアには下の鞄部分に加えて、黒い クッション状のケースがついています。
 ウィキペディアによると、家城ー伊勢奥津間は「スタフ閉塞」で、松阪ー家城間はスタフ閉塞を改良 した「票券閉塞」だということです。
 ただ 「テツ語辞典」には、 スタフについて、「本来棒状の金具だが、タブレットで代用されるケースも多かった」とあります。
  このように人手を介した閉塞方式は複雑で例外もあるようなので、実際のところ、どういう閉塞方式が使われていて、キャリアの中にどんなものが入っているの かはわかりません。
 なおウィキペディアによれば、「スタフ閉塞」を行っているのはJRでは名松線と、越美北線のみ で、地方の私鉄では数か所あります。「票券閉塞」はJRではここだけで、私鉄も3か所だけだという ことです。
4)急勾配を登って終着駅へ
 さて 話を戻して、12時20分に家城を出発しました。ここからは山あいの区間に入っていきます。線路脇 には茶畑も見られました。
 線路は雲出川(くもずがわ)に沿い、何度も川を渡ります。だんだん川幅も狭くなり、渓谷の様相を 見せてきました。
 家城から松阪行きの列車には高校生が何人か乗り込みましたが、伊勢奥津行きは松阪を出てからずっ と乗客2人のままで乗降がありません。家城以外の駅のほとんどが利用者が二桁以下で、一桁の駅もあ ります。
 「伊 勢鎌倉」という駅もありました。鎌倉と関係があるのでしょうか。
 伊勢八知(いせやち)ー比津(ひつ)間には、28パーミルの勾配がありました。水平距離 1000mに対して28m高くなる急勾配で、蒸気機関車時代なら例外的な勾配です。

 12時57分、終着駅の伊勢奥津に到着しました。樹木の陰で見にくいですが、正面の列車止めの右 手にSL時代の給水塔が残っています。駅のスタンプにも描かれており、駅のシンボルなのでしょう。
 松阪 寄りのホー ムの端にある出口から外へ出ると、立派な駅舎 でした。でも、津市八幡出張所や八幡地域 住民センターと同居しており、駅の部分は右端だけです。
  「また来てなぁ〜!」というピ ンク色の文字が目立っていました。待合室にはSLが運行していた頃のモノクロ写真や、開通50周年か60周年の記念列車の写真などが飾られていました。
 左は 空白が目立つ発車時刻表です。だいたい2時間に1本の運転です。下は、長期不通によるバス代行運転 が行われていた2014年10月号の時刻表です。

 国交省の2021年度版「鉄 道統計年報」を見ると、名松線の1キロあたりの1日平均通過旅客数は195人で、JR 東海の中ではひとつだけ3桁の数字です。同社には今のところ、廃止に向けた動きはないようですが、 豪雨災害などがまた起きればどうなるかわかりません。名松線の存続を祈っています。
5)帰りは近鉄特急でワープ
 伊勢 奥津は折り返しで、9分後の13時6分に出発しました。家城で行き違った対向列車には、鉄道ファン らしき複数人が車両の先頭でカメラを構えていました。
 東京を早朝5時20分に出発すると、18きっぷでも松阪に12時46分に着き、13時9分発の伊 勢奥津行きに乗れます。もしかしたら18きっぷの利用者だったのかもしれません。
さて松 阪に14時30分に着いたあと、まだ乗ったことがなかった参宮線に乗り、終点の鳥羽で折り返し、伊 勢市にも降りました。
 近鉄駅とつながっているJRの鳥羽駅は閑散としていましたが、伊勢市駅は外宮の最寄り駅なので、 外国人も多くみられ、よく賑わっていました。名古屋行き「快速みえ」も、伊勢市で増結します。
  伊勢市を16時20分に出発し、このままJRで帰ると、津、亀山、柘植、草津で乗り換えて三ノ宮には20時22分に到着します。しかしもう少し早く帰る必 要があったため、16時40分着の松阪で降り、16時47分発の近鉄特急に乗り換えました。
 左の写真です。愛用している小学館の図鑑「NEO POCKET 鉄道」 を見ると、2階建て車両を連結しているので、ビスタカーの三代目、30000系「ビスタEX」のよ うです。
 鶴橋着が18時12分とさすがに早いです。18きっぷと近鉄の切符を2枚重ねで連絡改札に通し、 4分で環状線に乗り換え。大阪駅では18時37分発の快速に間に合い、三ノ宮には19時5分の到着 でした。


日本のあちこちへ戻る