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★☆   開業40周年、頑張る北条鉄道  ☆★
 
(2025年1月16日)

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  <北条鉄道の法華口駅では、平日の朝と夜のみ、新設されたホームで列車行き違いシーンが見られます>
(青い枠がついている画像は、クリックすると拡大画像が開きます)

1)「1日フリー乗車券」で全駅制覇

  近畿地方の第三セクター鉄道で、まだ乗っていなかった「北条鉄道」に 乗りに行ってきました。
 1915年3月3日、播州鉄道加古川線北条支線として開通し、ちょうど110年になる古い歴史が ある線区です。播丹鉄道、国鉄北条線を経て、1985年4月1日に北条鉄道として開業してから40 年になります。
 JR加古川線の粟生(あお)から北条町まで13.6km。粟生を除く7駅のうち有人駅は本社があ る北条町のみです。
 「1日フリー乗車券」はこれまで北条町駅でしか買えなかったのですが、2024年9月1日からセ ブン–イレブンのチケット端末で買えるようになりました

 これを使って、全駅を訪ねてきました。左の路線図は同社のHPから拝借しました。駅間距離が短い ので、徒歩での移動も含めて効率的に巡ることができました。
 1月 16日(木)の朝6時25分、三宮駅を快速で出発し、加古川で乗り換えて、7時44分に粟生に到着 しました。北条鉄道とは2分の連絡です。加古川線は2両の電車でしたが、粟生に近づくと「北条鉄 道、神戸電鉄にお乗り換えのお客さまは、一番前の出口から降りてください」との案内がありました。
 右の粟生駅は、2023年9月5日の訪問時に撮影。駅施設は中央部だけで、左手は「あお陶遊館アルテ」になります。
 北条鉄道の乗り場は、加古川線谷川方面乗り場の反対側ですが、加古川線は電化に伴ってホームがかさ上げされており、北条鉄道側とは段差があります。両 ホームの間には仕切りフェンスがあり、左の写真の手前側から出入りすることになります。手前には駅 舎へ神戸電鉄乗り場に向かう跨線橋があります。
 中央に見える黄色い端末機は、JRの出場用ICカード端末です。反対側にJR入場用の端末機もあ ります。乗り換えの下調べには、現役鉄道マンによるこのサイトが参考になりました。
 北条鉄道では交通系ICカードは 使えません。北条町駅以外で降りる時は、すべて下車時に運転席後ろの料金箱に切符やお金を入れる必 要があります。
 このため鉄道ファンにとって、フリー乗車券が事前に購入できるようになったことは、大変ありがた いです。
 7時46分発の列車は1両の気動車で、形式は「フラワ2000-2号」です。車両については同社のHPの 解説を見てください。
 朝のラッシュ時なので、この列車には運賃受け取り用の社員も乗っていました。
2)法華口駅で「票券指令閉塞式」を見る
  上 の左は7時56分、法華口到着時の様子です。粟生行きの列車が停まっています。鉄道は左側通行が基 本ですが、ここでは右側通行で停車します。また左手には古いホームが見えていますが、ここには止ま りません。
 上の右は北条町側から見たところです。紫の列車が乗ってきた北条町行きです。右は双方の列車が発 車後、ホームの粟生側にある構内踏み切りから見たところです。
 新ホームは2020年6月28日から使用され、同年9月1日 にはダ イヤ改正を実施。行き違いが可能になったこと で、平日の朝と夜に計5往復が増便されま した。ローカル鉄道にとっては大きな改善です。
 上の 写真には、上下線の間に細いホームのようなものが見え、手前の粟生側だけに屋根があります。屋根の 下にあるのが左の写真です。
 中央にICカードのタッチ装置、左の柱に静電気除去用タッチ装置、右の柱にボックスがあります。
 右の写真、北条町側はボックスはありません。拡大写真を見ると、粟生側のタッチ装置には「通票」 の文字があり、北条町側の装置には「通票」ともう一つ文字がありますが、読めません。
 これらの装置は、名松線の時にも書いた「閉塞」方式のひとつ、「票 券指令閉塞式」のために使われていま す。
 閉塞 方式の説明は難しいのですが、「票券指令閉塞式」とは、単線で行き違うための「通行手形」にIC カードを使い、無人駅で行き違えるようにした仕組みです。名松線の時にも紹介した「なぜ単線の路線で電車はぶつからないの?」にも北 条鉄道の解説があります。
 またやや専門的ですが、「非自動閉そくと信号場のサイト」という「通 票よんかく」さんのサイ トにある「キハ40@票券通票閉そく式」というページが、圧 倒的に詳しいです。
 ダイヤ改正の日に「鉄道チャンネル」に掲載された記事も参考にして ください。
 左は法華口に到着した次の粟生行き列車の運転士さんが、ボックスを開けてICカード?をとり出す ところ。そして8時37分の北条町行きが到着すると、中央の狭い通路を通って、北条町行きの運転士 にカードを手渡していました。
 平日 の早朝に出発したのは、法華口で7時56分と8時37分の行き違いを体験するためです。しかしこの 時は2回とも、ICカードをタッチする場面を写すことができませんでした。上の2枚もあわただしく 撮影しました。
 左の写真は帰り道、播磨下里から田原まで乗った粟生行き列車が、法華口に到着した時に、左側のド アのところで待ちかまえて写しました。この時は行き違いはなかったので、単にタッチしただけでし た。
3)三重塔が建つ法華口駅、ギャラリーのある 播磨横田駅
 やや こしい説明が長くなりました。話を進めましょう。
 法華口の駅舎は1915年3月3日の開業当時のもので、2014年4月25日、駅本屋とホームが登録有形文化財となりました
 駅の入り口に はその銘板が掲示されています。駅舎の内部には、2012年から「駅舎工房 モン・ファボリ」とい う名前のパン工房が営業していましたが、昨年8月末で閉店しました。
 上の 左の写真が駅舎の内部です。駅の入り口にかかっていた「モン・ファボリ」の看板はそのままでした が、中はきれいな待合室状態になっています。
 駅舎の右手には、上の右の写真のように立派な三重塔が建っています。これは駅の西南約4kmに ある一乗寺の 三重塔(国宝)の1/3サイズのレプリカだということで、2013年12月に完成しました。
 右は駅舎に掲示されていた構内見取り図です。先に説明した新しいホームと、駅舎、旧ホームの位置 関係がよくわかります。
 このほか、北条鉄道の歴史を記した案内 板もありました。他の駅でも感じ たことですが、訪問者に優しい工夫があちこちで見られ ました。
 法華 口を8時37分発の列車に乗り、8時47分に播磨横田に着きました。車両はクロスシート主体の「フ ラワ2000-3号」です。
 駅舎は下の写真のように新しく、内部はギャラリーになっています。この駅舎は神戸市の女性の寄付 によって建設されたもので、2014年11月3日に完成記念式典が行われました。駅舎にはその旨を記した説明板が掲げられていました。
 ここから終点の北条町(ほうじょうまち)まで歩いて向かいました。
4)運行の拠点・北条町駅
 播磨 横田ー北条町の駅間距離は2.2kmで、道のりは約2.6kmでした。
 北条町駅の南側の踏み切りのそばには、2022年にJR東日本から購入したキハ40形535号機 が留置されていました。五能線を走っていた時のカラーのままだということです。主にイベント用列車 として使われているようですが、個人的には全面展望が難しいキハ40形は好きではありません。
 正面奥に北条町駅の駅舎と、「フラワ2000-3号」が見えます。
 北条 町の駅舎はピラミッド形の屋根と時計塔が目立つお洒落な造りです。左の写真は駅と歩道橋で結ばれて いる北側の商業施設「アスティアかさい」のデッキから撮りました。
 播州鉄道としての開業時はこの位置に駅がありましたが、2001年11月20日の新駅舎開業にあ たり、100m南へ移転しています。
 写真の左手には広いロータリーがあり、バスやタクシー乗り場になっています。時計塔の内部は歩道 橋へ上がるエレベーターです。
 この駅には北条鉄道の本社がある ので、沿線唯一の有人駅です。きっぷ売り場に加え、回数券も買える自動券売機が ありました。

 広い待合室はグッズ売り場を兼ねています。下の写真のように、「播州鉄道110周年 北条鉄道 40周年」をPRするポスターが掲示され、周囲には多くの色紙が飾られていました。
 また待合室には古い駅名標が、 外から見えるように飾られていました。
 待合室のグッズには欲しいものが なく、代わりに神戸新聞の元記者が書かれた「北条鉄道の100年」 という本を記念に購入しました。
 きっぷ売り場の左手に進むとホームがあります。南側から見たように構内に線路は複数分かれていま すが、ホームは1面だけです。
 9時39分発の列車は、2両連結でした。輸送量を考えると1両で重文だと思いますが、こういう運 用もあるのですね。
5)石像が出迎える長駅、石庭のある播磨下里 駅
 9時 45分に長(おさ)に到着しました。ホームは1面、線路も1本ですが、かつて線路が敷かれていたと 思われるスペースを挟み、以前のホームも残っていました。
 加西市には「長石(おさいし)」と呼ばれる凝灰岩の砕石場があ り、この駅は長石を積み出す拠点だった ようです。ホームには長石で作られた駅員さんや男女の石像があり、到着する客を出迎えています。
  この駅舎も開業時のもので、本屋とホームも法華口と同時に登録文化財となりました
 左の写真は待合室から当時の出札窓口と手荷物・小荷物扱い窓口をみたところです。かつての営業時 間案内板がそのまま残されています。

 駅舎のホーム側には古い駅名標や木製ベンチが残されており、昭和ムードが漂います。
 事務室内は「駅ナカ婚活相談所」となっており、訪問時は中には入れませんでした。
 長ー 播磨下里は駅間距離が1.8km、ほぼ線路沿いの小道を歩きました。
 播磨下里の駅舎は、珍しい妻入りの建物です。法華口、長と同時に駅本屋とホームは登録文化財となりました。文化財の資料では開業か ら3年後の1918年建築となっていま すが、建物の一部は1915年の播州鉄道開通時に完成していたともいわれています。
 しかし駅の営業は開通から2年5か月後の1917年8月14日。当時は播磨王子駅で、国有化され た1943年6月1日に今の名になりました。
 この駅はホームに立派な石庭があ ることで知られています。石庭の傍らに立つ解説板には、北条鉄道の整備に力 を注いだ同社の取締役、佐伯武彦氏の業績が詳しく述べ られています。
 佐伯氏がこだわったのは駅のトイレの整備です。北条鉄道は北条町駅以外はすべて無人駅ですが、ど の駅にも暖房便座がそなわった清潔なトイレが設けられています。下の写真のように、入り口横には整 備に協力した人たちの名前も記されていました。
 全国のローカル線を訪ねている と、無人駅でトイレ自体が廃止されることが多くなっていることを実感します。そんな時代にあって北 条鉄道の取り組みは大変貴重で、素晴らしいと思います。

 駅の事務室では月に2回、「ボランティア駅長」の僧侶による「下里庵」が開か れていますが、それ以外 の日は待合室として開放されています。
 きっぷ売り場として使われていた窓口は、木製の上げ下げ窓が今でも稼働状態です。古い建物を保存 するには、使い続けることが大切なんだと思います。
6)手作りの田原駅、大イチョウに見守られる 網引駅
 播磨 下里10時48分発の列車に乗り、法華口を経て10時54分に田原に着きました。駅名標やホームの 屋根は真新しい木製です。
 「北条鉄道の100年」によると、かつてはホーム上の小さな待合所だけしかない駅でしたが、「高 校生ものづくりコンテスト全国大会」で最優秀賞を受賞した後、埼玉県の「ものつくり大学」で学 んでいた地元出身の学生6人が、2010年7月、ボランティアで完成させたということです。

 下の左の写真のように、他の駅と同じく快適なトイレも整備されました。下の右の写真は待合所の様 子です。
 田 原ー網引間は駅間距離1.1kmと近いです。県道を歩き、万願寺川を渡ってから線路沿いの小道を行 くと、上の左の写真のように、線路沿いの土手に「列車事故殉難の碑」が建っていました。網 引駅前には、2003年8月8日、事故についての説明版が設置されています。
 終戦間近だった1945年3月31日、近くにあった鶉 野(うずらの)飛行場に着陸しようとした紫電改 が線路脇に墜落し、尾輪がレールを引っ かけて破損させたため、通りかかった列車が脱線・転覆してパイロットを含む死者12人、重軽傷 104人という大惨事になりました。
 戦時中ということで大きく報道されることのなかった事故が、こうして伝えられていることは大切だ と思います。
 なお鶉野飛行場の跡地は戦争遺跡 として整備が進んでおり、紫 電改の実物大模型もあります。 最寄りとなる法華口駅には案内板がありまし た
 さて網引駅前には大きなイチョウが目立っています。訪問時は葉っぱがないので地味ですが、北条鉄道の紹介写真を見ると落ち葉が地面を埋め尽 くす姿はすごいです。説明板によると、 樹高は21mで、樹齢約80年と若いものの、1989年9月には「加西市ふるさとの樹」に選ばれて おり、2018年9月4日には兵庫県の景観形成重要樹木に指定されています。
 駅舎 は播磨下里のように妻入りですが、入り口の前がピロティー風になっています。網引も播州鉄道開通時 からの駅ですが、駅舎は1984年6月に放火によって消失してしまいました。長らく仮駅舎でした が、2013年2月19日に現在の駅舎が木造で再建されました。

 駅前にはベンチがおかれ、右の写真のように「幸せを汲み上げる 銀のポンプ」があります。観光案 内などの説明板も多く、「播磨中央自転車道」の休憩所 としての役割もあるようです。
 1945年の事故で列車を牽引していた蒸気機関車C12-189号機の動輪もあったようで、解説板だけが残っていました
 駅舎の中には多くの本が並び、壁 には切り絵が飾られています。ボランティア駅長の妻木敏彦さんによるもので、毎月2回、切り絵教室 も開かれているようです。
 また焼失前の旧駅舎や貨物列車、北条鉄道開業時の記念列車などを写したモノクロ写真も飾られていました。
 本は「まちライブラリー@網引STATION」と名付けられ、地元の「九会(くえ)地区ふるさと 創造会議」が管理されているようです。北条鉄道の無人駅は、こうして多くの人たちの手によって美し く保たれていることがよくわかります。
 ホー ムの向かい側には桜の木が並んでいます。まだまだ小さな並木ですが、やがては美しい名所となること でしょう。
 駅前には「手打ち駅前そば あびき」があります。平日はメ ニューが限られています。お品書きの表紙 には黄葉した大イチョウの写真が使われていました。
 そして網引11時57分発の列車に乗り、報道鉄道探訪は終わりました。


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