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★☆ 鉄道中心 台湾の旅(2023 年2月24日〜3月3日)☆★
第3章 観光&街並み編その1(2月24日〜28日)


連休中の日月潭は、増発された遊覧船の行列ができていた
・青枠の写真はクリックすると大きい写真が開きます。


 1) 台南と安平(2 月25日)

台南は「府城」との別名を持つ古都なので、
最初に訪問することにしました。



駅からホテルのある中心部に向かう途中、
大きなロータリー(湯徳章記念公園)に面して建っているのが
国 立台湾文学館」です。 HPには日本語の説明もあります。
これは日本統治時代の1916年、台南州庁として建てられました。
建築家は台湾で多くの建築を手がけた森山松之助です。
マンサードルーフが特徴的です。
2003年10月17日に「国立台湾文学館」としてオープンしています。



こちらはすぐ北側の消防署、「台南市政府消防局」です。
特徴的な塔は1930年に火の見やぐらとして建てられ、
1938年に増築されて台南総合庁舎となったようです。



ここは「赤崁楼」で、台南市街地では一番の観光名所です。
今回は安平へ向かうバスに乗るため、前まで来ましたが、
有料の観光地でもあり、中には入りませんでした。
かつて台湾を統治していたオランダが1652年に築いた「プロビンシア城」の跡地で、
鄭成功が1661年から62年にオランダ軍を駆逐した後は、
台湾の首府機能が置かれていました。
現在は史跡公園で、写真中央の建物は1875年建築の資料館「海神廟」です。



赤崁楼前からバスに乗り、安平の「延平街」バス停で降りまし た。
ここは「安平老街」とも呼ばれる観光名所で、
連休とあって狭い通りは大混雑でした。



延平街を抜け ると「安平古堡」(入場料50元)に着きます。
1624年にオ ランダ軍が台湾に侵攻し、1634年に築いた「ゼーランディア城」の跡地です。
写真手前が、オランダ軍を駆逐した鄭成功の像です。
展望塔は観光用の施設です。その右は史跡記念館です。施設案内図 はこちら



ゼーランディア城当時の城壁が一部残っていました。



安平古堡の南には「安平開臺天后宮」 があります。
天后宮とは、航海、漁業の守護神「媽祖(まそ)」を祀るお宮です。
媽祖は台湾で広く信仰されて いる神様で、天后宮はあちこちにあります。
今回、宗教施設はあえてあまり訪問しませんでした。



さて台南、安平といえば、カラスミが名物です。
延平街の近くにある有名店「丸奇號」が休業中だったので、
町外れにあるもうひとつの有名店「吉 利號」へ行きました。
ご主人?は日本語がお上手でした。



「吉利號」からはタクシーでホテルへ戻りました。
そして近くの「林百貨」へ。上はあと で撮影した夜景です。
ここは1932年12月5日に「ハヤシ百貨店」として開業しました。
たいへん賑わったそうですが、戦争で空襲を受けて廃業。
戦後は事務所として使われていましたが、1998年に市の古蹟となり、
2013年、セレクトショップとしてオープンしました。
お洒落なグッズやお土産品が並び、観光施設としても賑わっています。
つい長居をしてしまい、夕食に向かうのが遅れてしまいました。



夕食からの帰り道、「司法博物館(旧台南地方法院)」がライトアップされていま した。
1912年(14年?)に建てられ、建築家は国立台湾文学館と同じ森山松之助です。。
HPには古蹟としての解説も載っています。



道を挟んだ北側にはモダンな「台 南市美術館2館」があり ます。
坂茂さんの設計で、2019年1月27日にオープンしています。
ちなみに1号館は国立台南文学館の東側にあり、
1931年建築の旧台南警察署の建物を使っています。



ホテルまで戻ると、近くの道が真っ赤な提灯で飾られていました。
「府城成功燈会」と書いてあります。



提灯をくぐって道を進むと、「
鄭成功祖廟」がありました。
鄭成功の長男・鄭経が父親を祀っ建立し、一族が代々修復してきたそうです。
廟の前は提灯で 真っ赤になっていました。
道に面して鄭成功の銅像があり、壁には大きく紹介文が書かれていました。
ここは昼間にちゃんと見ておけばよかったです。



 2) 日月潭(2 月27日)

日月潭(じ つげつたん、にちげつたん)は台湾有数のリゾート地です。
英語では直訳で「Sun Moon Lake」と呼ばれています。
もともとあった湖沼が1937年に水力発電用のダム湖となり、水位が上昇しました。
周囲は約33km、面積約は約7.9平方kmで、台湾最大の湖です。

 

名前の由来は、湖の西側が月(三日月)の形、
東側が太陽の形ということで すが、
今の地図ではピンときません。
ダム湖になる前の古い地図を見ると、多少はそれっぽいです。

上は、シャトル船の案内チラシです。
湖には北側の「水社」、南側の半島の突端の「玄光寺」、
そして南側の「
伊達邵(イタサオ)」と3か所に碼 頭(埠頭)があります。
シャトル船が半時計廻りの一方通行で運航しているほか、
湖全体を巡る遊覧船もあるようです。



ホテルから歩いて水社碼頭に向かいました。上は遊歩道から眺めた碼頭です。
多くの船が集まっています。

碼頭に降りる階段の脇に、乗船券売り場があり、おばさんに呼び止められました。
シャトル船は1回100元、1日券は300元です。
出発地点に戻るのに3回乗るため、1日券を買いました。
何も言わなかったのに、65歳以上の「敬愛票」料金になり、150元でした。



最初に乗ったのはこんな派手な船です。運航会社は「金馬船隊」です。



水社 碼頭を出ると、右手の丘の上にお洒落なホテルが見えます。
台湾有数のリゾートホテル「涵碧樓(The Lalu)」です。



水社碼頭の対岸、玄光寺碼頭に着くと、玄光寺の門があります。
まっすぐ登る階段を行くと駐車場です。玄光寺へは左手の坂道を上ります。

門の右手に「金盆阿嬤の香亦葉蛋」という茶葉卵の店があるのですが、
この日は閉まっていました。
「の」は間違いではなく、店の看板にそう書いてありました。



門の手前、左側の広場では、民俗衣装のグループ が演奏していました。
日月潭の周辺には「邵(サオ)族」という原住民族が暮らしているの で、その人たちでしょうか。
CDを売っており、「那魯克楽団」との名前が出ていました。
音楽は見た目と違い、日本の昭和歌謡のようなメロディーでした。



坂道を少し上ると玄光寺に着きまし た。
第二次大戦で日本軍が中国・南京から奪った玄奘三蔵(三蔵法師)の遺 骨が
戦後に返還されることになり、奉納場所として1955年、この寺が建 てられました。
1965年、この寺のさらに高い位置に玄奘寺が建立され、 遺骨は玄奘寺へ移されています。

このページのトップに掲げた写真で、山の中腹に見 えるのが玄奘寺です。
さらに山の頂上に見えるのが九重の「慈恩塔」です。



玄光寺の前が展望スポットになっています。

正面中央の島が「
拉魯(ラル)島」で、邵族の聖地とされています。
邵族以外 は上陸できないらしいです。
以前はもっと広い島でしたが、ダム化で水位が上がり、 てっぺんだけが見えています。
周囲にドーナツ状の人工緑地が作られ、波による侵食を防 いでいます。

画面の右手奥が水社碼頭。こちらへ向かってくるシャトル船も見えます。
玄奘寺までは歩くと遠いので、またシャトル船で伊達邵碼頭へ向かいました。



伊達邵碼頭から見た街並みです。こちらも埠頭の前にホテルが並んでいます。
街並みの賑わいぶりは、「食べもの編その1」に書いたとおりです。



伊達邵集落の外れには、
「九族文化村」へ向かうロープウェイがあり、
埠頭からよく見えました。



伊達邵から水社に戻るシャトル船では、船室内に座りました。
船長はガイドを兼ねており、ずっと立ちっぱなし。
操舵輪に手をかけていたのは、伊達邵碼頭を出る時と水社碼頭に着く時だけ。
日本だったら、「これはアカンやろ」という状態でした。
まあ航路は真っすぐなんですが、オートパイロットが付いてるのかな。



水社碼頭をシャトル船 から眺めた様子です。
目立つ高層ビルは「台湾真美日月潭会館 (Taiwan Beauty Hotel)」です。
中央左手に、埠頭と街をつなぐ階段が見えます。



  3) 台北 迪化街(2 月28日)

28日午後に台北に戻りました。
ホテルにチェックインし、近くの「迪化街(てきかがい)」へ向かいました。



4連休の最終日でしたが、通りは人で埋まっていました。
通常の休日の人出がどうなのかわからないですが、
この日は明らかに大混雑していました。



迪化街は淡水河の水運が利用できることから、清時代の18世紀末から
栄えて来ました。
空襲の被害を免れたことから、
1910年前後に建てられた商業建築が多く残っています。
道路に面した正面は
バロック、アールデコ、モダニズムと様々な様式と装飾が見られ、
独特の風景を見せています。

乾物や食材、布地などの問屋が中心の商店街で、
最近では古い建物をリノベーションしたショップもあり、
観光地として賑わっています。

1階部分 がアーケードになっているのが特徴なんですが、
バイクの駐車がアーケード内にはみ出しているなど、歩きにくいです。
この日は車道が歩行者天国状態でした。