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★☆  鉄道三昧の三が日 JR西の未乗路線を巡る ☆★
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<ふたつのローカル線が出会う塩町駅。右は三次行きのキハ120形気動車
(青い枠がついている画像は、クリックすると拡大画像が開きます)

11)福塩線 福山ー塩町(78.0km)

 旅の 3日目、1月3日(水)は、福山を福塩線の始発、5時46分発府中行きでスタートします。
 福山はさすがに大きな駅で、この時間でも改札に駅員さんがいました。出発案内を見ると、山陽本線 は5時49分の姫路行きが出ていますが、始発はなんと4時50分発の姫路行きです。
 さて府中行き列車は最も北側の8番乗り場から発車。列車は105系電車の2両編成で、先頭車はク ハ 104-29でした。こんな時間ですが、先頭車には若者ら10人くらいが乗っています。
 福塩線は途中の府中までは電化されており、列車本数も多いので、この区間に限ると2022年度の平均通過人員(輸送密度)は1日 5,861人。可部線には及びませんが、十分に大都市近郊路線だといえます。
 左は 福塩線の終点、塩町の掲げられていた見やすい沿線マップです。福山にもあったのでしょうか。(三江 線は廃止ずみです)。
 あまりデフォルメされておらず、沿線の見どころがよくわかります。目立っているのは福山から3駅 目の神辺から府中までの間、異様に駅が多いことです。そう、飯田線などと同じく、前身が軽便鉄道 だった名残です。
 福山から府中までは1914年(大正3年)7月21日、両備軽便鉄道として開通しました。 1927年に 早くも電化されています。
 まだ 外は真っ暗なでので、ロングシートに座ってすごしました。神辺からは岡山県の総社へ向かう 井原(いばら)鉄道が分かれています。ICOCAは、神辺までしか使えません。せめて府中まで使えればいいのにと思います。
 6時32分、府中に到着。駅員さんがいました。ここはその名の通り、備後国の国府があった町で す。国府跡まで歩いて行ける距離ですが、乗り継ぐ列車までは30分しかなく、まだ暗いので、駅に近 い「日本一の石燈籠」を見に行き ました。江戸時代の1841年に建てられ、高さ8.4mです
 駅に戻ると少し明るくなっていました。
 福山 から府中までと違い、府中から北側、塩町までは非電化で、1日5往復しか列車がありません。時刻表を見てください。始発 は5時13分で、次が今回乗車する7時4分。その後は12時39分に臨時列車が走る場合があります が、そうでなければ次は15時になります。到達困難路線です。
 2022年度の平均通過人員も、1日180人しかありません。これはJR西日本管内では、芸備線 と木次線に次ぐ少なさです。

 7時4分 発はキハ120系気動車、キハ120-333です。福塩線は塩町までですが、列車はすべて芸備線に乗り入れ、3駅先の三次まで直通します。
 車内 は前半分がロングシートで、後部はクロスシートです。車内の前方は右の通りで、ドアが折り畳み式 で、ステップがあるものの、料金箱はコンパ クトで、手すりもあるので、キハ40系と比べると、前面展望はしやすいです。
 数人の乗客を乗せて定時の7時4分に発車すると、すぐにブレーキがかかりました。ホームに 乗客が2人うろうろしています。運転士さんが「三次へ行くの?」と聞くと、そうだと言うので、乗せて あげることになりました。次の列車は約8時間後なので、これは仕方ないですね。
 府中を出てすぐに芦田川を渡ると、しばらく右岸に沿って走ります
 府中 から3駅目が左の河佐で、府中行きの列車と行き違いです。この後もそうですが、輸送密度と比べて立 派な駅が多いです。
 河佐を過ぎると再び芦田川を渡り、すぐに6,123mの八田原トンネルに入ります。 芦 田川にダムが出来るため、1989年4月20日にトンネルによって路線が変更されました。
 八田原トンネルは、JR西日本の在来線では北陸トンネルに次いで2番目の長さです。3月16日か らは北陸トンネルが第三セクターに移管されるため、最長のトンネルになります。
 八田原トンネルを抜けると、福山 市からいったん世羅町へ入ります。しかし再び福山市に入り、7時49分、上下(じょうげ)に到着し ました。旧上下町の中心駅で、左のように、跨線橋のある大きな駅です。左側には貨物用らしきホーム の跡も見えます。
 「上下」というのは特徴ある地名です。ここは瀬戸内海へ流れる芦田川水系と、日本海へ流れる江の 川水系の分水界にあたります。
 また、旧上下町は白壁の町並みが有名で、先の沿線マップにも写真が載っています。でも残念ながら 列車からはその雰囲気はうかがえませんでした。
 上下 を出発すると、三次市に入ります。そして上の左の写真のように時速25km制限の徐行区間も出てき ました。
 8時20分に吉舎(きさ)に着くと、上の右の写真のように列車が停まっています。対向列車はない はずなのに、と思って調べると、三次から8時10分に到着し、この駅で折り返す8時50分発三次行 き列車でした。駅の近くに県立高校があるので、通学用の列車でしょうか。
 やがて右手から芸備線が合流してくると、分岐駅の塩町です。定刻8時38分に到着しました。

12)芸備線 塩町ー三次(7.1km)
  列車は三次まで直通するので、塩町で降りたのは、辻本だけでした。しかし福塩線の「塩」になっ ているこの駅は、降りる必要があります。
 ホームは1面2線で、下の写真のように、福山寄り、備後落合寄りの地下道を通り、線路より低 い位置にある瓦屋根の駅舎に向かいます。手前のブロック建てはトイレです。線路をくぐった先の 駅舎の壁に、先に掲げた路線図がありました。
 駅舎は古いですが、荒れてはいません。待合室の壁には、駅の歴史年表が掲げられていました。
  田幸郷土誌編纂委員会が2001年に作ったこの年表は、かゆいところに手が届く優れものです。読んでもらうとわかりますが、塩町駅の歴史 は、移転、改名があるため複雑です。
 要約すると、現在の塩町駅は1933年4月2日(22日?)に「田幸」駅として開業しました が、今よりやや東にありました。そして同年11月15日、福塩線が田幸から吉舎まで開通するの に伴い、現在地に移転し、分岐駅となりました。そして約34年1月1日、塩町と改称されまし た。ややこしいのは西隣の神杉駅が1922年に開業した時、「塩町」という名前だったことで す。
 三次方面乗り場の外側には、側線と貨物用ホームの跡が 残っていました。貨物扱いがあったのは、年表によるとわずか12年間でした。
 さてこの後の目的は、芸備線の未乗区間である備後落合ー広島間の走破なので、順番としては備 後落合へ向かうことになります。ところが時刻表を見るとわ かる通り、次の備後落合行きは13時13分までありません。
 一方、三次行きは、タイミング良く9時8分があります。このため、三次の町を歩き回って3時 間過ごす計画をたてました。列車に乗り込む時の様子が、このページのトップに掲げた写真で す。この列車は福塩線の吉舎で、出発を待っていた列車です。
  この三次行きもキハ120-322の1両ですが、座席はほぼ埋まっていました。すぐに降りるの で、最前部に立ちました。
 左は神杉で、旧塩町駅です。ホームは1面2線ですが、右手の駅舎との間が広くあいている のは、開業時に終点駅だったためでしょうか。

 そして9時20分、三次の2番乗り場に到着。乗客の多くは跨線橋を渡って改札口に面した1番 線から9時24分に出る広島行きに乗り込みました。
  三次の駅舎は2015年2月28日に新しくなりました。下の写真がコンコースの様子です。駅員 さんはいますが、みどりの窓口はなく、オペレーターと電話で話す「みどりの券売機プラス」があ るだけです。

 コンコースの一角では、「芸備線・福塩線 春夏秋冬 写真展」が開かれて いました。
 四季折々の美しい風景のほか、国鉄時代の貨物列車の写真や、2007年まで芸備線を走ってい た急行列車の写真、それに2013年夏の「ちどり」リバイバル運転の写真もありました。
  2022年10月に備後落合を訪問した時の記録にも載せました が、かつての芸備線は、陰陽連絡線として 広島と米子を結ぶ準急・急行が走っていました。1964年10月の時刻表では準急の夜行列車も 運転されています。1981年12月の時刻表では、急行「たいしゃく」「ちどり」各2往復が 走っています。展示されていた写真を 見ると、1969年の「ちどり」は7両(!)という長い編成で、1984年でも4両編成で走っていま す。

 このほか、この春に新型車両での運行が始まる伯備線の特急「やくも」の写真も ありました。

13)三次の町並み、三江線廃線跡

 広島県北部の主要都市・三次市は馬洗川、西条川、江の川(可愛川)の合流部にあります。西条川と 江の川が作るU字型の中が、旧三次町で、観光の見どころが集まっています。一方、左の地図の右下、 三次駅がある十日町地区は、かつては別の町でした。
 ふた つの地区を結ぶのが川の町・三次のシンボルとも言える巴橋(ともえばし、170m)で、1983 年12月に完成し た赤いアーチ橋(ローゼ橋)です。
 橋を渡ると、石畳の道が始まります。そ の入り口にあったのが上の地図です。三次駅のバスターミナルにある観光案内所が3日まで正月休みの ため、事前の調査とこの地図を頼りに歩きました。
 石畳の道には卯建(うだつ)のある建物が 並び、左のような屈曲部もあって、石見銀山 から瀬戸内海の港町に向かう「銀山街道」の面影が残ります。旧三次銀行本店だった「辻 村寿三郎人形館」や、広 島県農工銀行三次支店として1924年に建てられた和菓子店「風季舎 昌平本家」も並んでいます。
 「夢街道ルネサンス」の地図を見ると、三次に街道が 集まっていることが一目瞭然です。
 近く には「三次もののけ ミュージアム」もありますが、どこも 休館中で、町並みはとても静かでした。とりあえず の目的地は市街地の北端、太歳(ださい)神社です。ここなら初詣でで賑わっ ているかと思ったのですが、やはり静かでした。


 次は大石内蔵助が植えたという枝垂れ桜が ある鳳源寺です。ここは三次藩主ゆかりの寺で、初代藩 主・浅野長治の娘(後の瑶泉院)が、赤穂 の藩主・浅野内匠頭に嫁いだ縁で、赤穂義士ゆかりの寺でもあります。境内には、四十七士の木造が並ぶ義士堂もありました。
 川の 町・三次には、縁起の良い名前がついた5つの橋があります。橋好 きの辻本としては全部見に行きたかった のですが、その時間はなく、巴橋に加えて2つだけ見てきました。
 上の左は江の川にかかる祝橋(いわいばし、210m)です。もともと可部 線沿いの太田川にかかっていた国道54 号線の太田川橋を転用し、1959年に架け替えられました。1921年製の古いトラス橋で、近代土 木遺産ですが、隣に新しい橋の工事が進められています。新橋完成後は保存されるのでしょうか。
 上の右は西条川にかかる旭橋(あさひばし、141m)で、こちらは赤い桁橋です。

 三次はまた毎年6月から9月に行われる鵜飼でも知られ、巴橋の上流、馬洗川の左岸に乗船 場があります。左は三次駅前広場に建つ モニュメントで、4羽の鵜と、その周りに腰蓑を着けた鵜匠が配置されています。
 先の 「三次町界隈ふれあいマップ」には2018年4月1日に廃止されたJR三江線がまだ描かれていま す。三江線は辻本が鉄道旅行を始めた70年代前半にはまだ全通しておらず、三江北線、三江南線でし た。1975年8月31日に全通したものの利用者は少なく、代替道路が未整備だとして国鉄末期の廃 線は免れましたが、やはり廃止に到りました。
 江津ー三次間は180.1kmと長く、関西から遠いこともあって、乗ろうと思いながら果たせず、 悔 いが残っていました。
 グーグルマップを見ると、旧尾関山の駅舎が残っていることがわかり、訪問は今回の目的のひとつで した。
 公園 の上り口にあるトイレに寄ると、その先に線路が見えました。上の写真のように、線路脇の標識も残っ ていま す。上の写真の右手にはトンネルがあり、柵がしてありました。
 線路沿いを進むと、すぐに旧尾関山駅に着きました。下の写真で、旧駅舎の横にはタクシーが停まっ ています。観光客が来るのでしょうか。
 線路へは「立入禁止」の看板と柵が ありましたが、ホームへは行けそうなので、階段を上りました。北側、江津方面を望んだのが右の写真 です。正面の森が尾関山公園です。駅名標や名所案内も残っており、今にも列車がやってきそうな雰囲 気です。

 旧駅舎の窓に貼ってあったチラシを見ると、「みよし SL保存倶楽部」さんが駅舎の保存・清掃活動を行っているようです。また2024年3月から「レー ル・マウンテンバイク」を運行するとして、スタッフ募集の貼り紙もありました。
 倶楽部が行っていたクラウドファンディングのページを見ると、旧神岡鉄 道の線路を走る岐阜県飛騨市の「ガッ タンゴー」を参考にしているようです。ここは2015年5月に訪れて、乗ってきました。予想以上 に気持ちの良い体験だったので、三次でも運行が評判になるといいですね。
 旧尾関山駅から三次駅方面には、民家のすぐ近くを走る旧三江線の高架がそのまま残っていました。

14)芸 備線 塩町ー備後落合(32.7km)
 さて 三次発の芸備線備後落合行きは13時発ですが、訪問駅を増やすため、ひと駅東の八次(やつぎ)から乗車することにしました。
 巴橋を渡ると、銀山街道は左へ折れて旧十日町地区の中心部を東へ向かいます。左へ曲がった所には 上の左の写真のような古い商店がありました。街道沿いには川の町らしく、鬼瓦の上が帆掛け船形になっている民家もありました。
 国道183号線と交差し、三次中学・高校の前を通り過ぎる八次駅です。三次なので八次(やよし) かと思ったら違いました。
 小さな駅ですが、高校が近いので利用者はあるのでしょう。右手に自転車置き場がありました。
 広い待合室はありましたが、ト イレはありません。最近は小さい駅のトイレが次々と閉鎖されています。上の写真を見ると、臭気抜き の煙突があるので、駅舎の右側はトイレだったようです。
 ホームには古い案内標識も残っています。 備後落合の名前がないのが今では意外ですが、かつては多くの列車が芸備線の終点・新見へ直通してい ました。
 13時5分発の備後落合行きは、キハ120-327の1両編成。鉄道ファンらしき人たちで 座席はふさがっていました。でも前部に立っている人はいなかったので、前面展望を楽しみました。
 左の写真、塩町で福塩線が右へ分かれていきます。ここから備後落合までは未乗区間です。
 塩町 を過ぎるとしばらくホーム1面だけの小さな駅が続きます。七塚の先は左のように珍しく真っすぐな路 線が続いていました。
 備後庄原はこの地方の中心で、大きな駅舎があります。帰りに下車する予定です。
 備後庄原を過ぎると西条川の右岸に沿い、時速25km制限の区間となります。対岸を走る路線バスが、楽々と 追い越していきました。
 前方に、川を渡る新しい道路が見えます。高速道路かと思ったら、国道183号線のバイパスでし た。 こんな立派な道路が出来るのだから、地方の鉄道が太刀打ち出来るわけはありません。
 清流 の西城川を渡ると備後西城です。行き違い可能な2面2線の駅で、駅舎も立派です。 改札口へは列車を降りて線路沿いを進み、写真の前方に見える通路 で線路を渡ります。発車時に手を振ってくれてい るのは、読売新聞の記事によると、西城町観光協会の岡崎優 子さんのようです。
 次の比婆山(ひばやま)も、ホームは1面1線ですが、大きな屋根が目立つ立派な駅舎です。
 比婆山から備後落合までは西城川沿いでトンネルも多い険しい地形になり、時速25km制限のため 5.6kmを14分かけてゆっくり走ります。そして左手から木次線が合流すると、14時 21分、備後落合の2番乗り場に到着しました。

15)賑わう秘境駅 備後落合
  2022年10月に木次線から備後落合に到着した時は、 2分しか乗り換え時間がなく、外へ出て 写真 を撮るだけでせいいっぱいでした。このため駅舎の駅名が写せなかったのですが、今回は折り返しの 14時39分発まで18分もあります。
 まず外へ出て、改めて駅舎の写真を撮りました。ちゃんと駅名が掲げてありました。JRの車が停 まっ ているのは、無人駅ですがこの時間帯は駅に社員が配置されているからです。時刻表を見るとわかります が、毎日この時間帯だけ3方向から列車が集まり、それぞれ戻っていくシーンが見られるんです。

 路線図がほしいので、「鉄道ファン」2021年12月号の付録の地図を借用します。クリックする と芸備線、福塩線全線のエリアが見られます。マーカー付きは辻本が訪問した駅です。
 待合室の壁面は写真などで埋め尽くされており、備 後落合駅傘寿記念」という文字も見えます。駅は1935年12月20日に開業しているので、米寿を 過ぎています。
 ヘッドマイクを着けて、訪れた人たちに説明している男性がいました。待合室に貼ってあった新聞記 事を読むと、元国鉄機関士の永橋則夫さんのようです。声をかけるとその通りでした。
 2017年の春から駅前の雑草取 りやトイレ掃除を続けられているそうです。
 14時28分、3番乗り場に新見からの列車が到着すると、ホームは乗り換え客で賑わいます。行楽 シーズンだった2022年10月より混雑していました。乗り間違えがないように、JRの職員がメガ ホンを使って行き先と乗り場を何度も案内しています。
 2両の列車が並ぶ下の写真は、前回の訪問時と同じ構図ですが、備後落合といえばやはりこの場面で すね。
 そして14時32分、宍道からの木次線列車が駅舎側1番乗り場に到着しました。3番乗り場の新見 行きの発車まで4分なので、乗客が急ぎ足で線路を渡っています。
 右の 写真は2番線の三次行き列車から撮影したのですが、写真の左側のホームの先端から広角レンズでこち ら側を写せば、1枚の写真に3両の列車が写せたかもしれないと後で気がつきました。

 先の時刻表には12時57分発の「トロッコ列車」が載っていますが、「奥出雲おろち号」は残念な がら2023年11月23日限りで運行廃止となりました。後継となる観光列車「あめつち」は、備後落合まではやってき ません。
 「飯田線秘境駅号」の記録で紹介した牛山隆信さん の「秘境駅ランキング」では、備後落合は現在101位 ですが、牛山さんは「日本一の秘境ターミナル駅」 とも語っているようです。同感ですね。
 到達困難度では上位ランクなのに、一日一度だけ賑わうというこの雰囲気は、ほかの秘境駅では味わ えないと思います。駅はやはり列車の姿があってこそだし、路線だけでなく、「人と人が落 ち合う」場所だと思います。木次線出雲坂根駅のスイッチバックは運行上の難所ですが、備後落合にやっ てくる観光列車がまた復活してほしいと願います。

 木次線宍道行き列車が定刻14時39分に発車し、芸備線三次行き列車も同時刻に発車して、宍道行 きを追いかけます。1番乗り場で永橋さんが手を振って見送ってくれました。

16)芸備線 三次ー広島(68.8km)
 三次行きになったキハ120-327は、来る時より混雑していました。このため早くから最前部を確保していたのです。
 三次までは同じルートを戻ります。木次線が右へ分かれていくと、線路の右側に、かつて備後落合の ホームで販売されていた「おでんうどん」を販売する「ドライブインおちあい」があるのですが、残念 ながら芸備線はトンネルに入るため、またしても写真を写すことは出来ませんでした。
 いくつかトンネルを抜けると、左のように西城川に乗り出すような鉄橋がありました。このあたりは 景勝地ですが、来る時はうまく撮れなかったので、帰りに撮影しました。
 備後 庄原は庄原市の代表駅で、2020年10月5日に駅舎がリニューアルされたことがわかっていたの で、下車してみたいと思いました。でも降りてしまうと次の列車は2時間半後です。
 しかしよく調べると、列車は15時24分に着くと、行き違い待ちのため4分間停車することがわか りました。ここは跨線橋のある2面3線の駅です が、駅舎の配置から見て、列車は改札口の前に停まるだろうと思いました。
 予想通りに改札口前のホームに停車したので、すぐに降りて駅舎を撮影しました。改札には委託の駅 員さん がおられました。
 駅舎は1923年の開業時の木造建築ですが、昔の雰囲気を残しながら美しくリニューアルされています。改札に向かってコンコースの左手が待合室で、 広々としています。他に地域の会議やイベントに使う交流室が2室あります。
 庄原市は広島カープとゆかりが深く、ホームには選手の人形モニュメントが並んでいまし た。

 備後庄原を15時28分に発車する列車に再び乗り込みました。最前部の右側は別の乗客が立ってい たので、運転席の後ろに立ちました。キハ120形は、ここでも前が見えます。
 芸備線の2022年度の平均通過人員(輸送密度)は細かく区 切られていて、備後落合ー備後庄原間は1日75人と二ケタです。でも列車によっては今回のように立 ち客がいるくらいの乗車率なので、休日などは2両でもいいのかなと思います。
 一方、備後庄原ー三次間は327人と少 しは多くなっています。

 三次には定刻16時1分、3番乗り場に到着。また跨線橋を渡り、1番乗り場で待つ広島行きの快速 「みよしライナー」に乗り込みました。キハ40系気動車の2両編成で、先頭車はキハ47-1102 です。
 同じ キハ40系のキハ40形は、両側に運転台があり、ドアは片開きなのに対し、キハ47形は運転台が片 方だけにあり、ドアは両開きです。
 「みよしライナー」は4分の接続で、16時5分に発車しました。初めて乗る路線なので、最前部で 前面展望を楽しもうと思いましたが、山口線のところでも書いたように、キハ40系は前が見にくい車 両です。
 アプリの「乗換案内」を見ると、志和口で5分停車することがわかりました。16時42分に1面2 線の島式ホームに停車したので、ホーム端の通路で線路を渡り、外へ出て写真を撮ってきました。
 上の写真のようにきれいな駅舎ですが、無人駅です。帰省Uターン客を見送るためか、送迎のマイカーが何台も停まっていました。
 ここでも行き違いでした。三次行きの列車が着いた線路を横切って、広島行きに再び乗り込みます。 16時47分に発車すると、次は下深川まで20分ノンストップで、6駅も通過します。
 このまま乗っていれば17時30分に広島着ですが、今回は下深川で下車しました。それはここから 列車本数が増えるのと、芸備線の平均通過人員の表が、この駅で区切られて いるからです。
 三次ー下深川間は1日あたり 988人ですが、下深川ー広島間は8,529人と大幅に多くなっています。どんな場所なのか興味が ありました。
 17時7分に到着した下深川は丘のふもとにあります。島式1面2線のホームから階段を上がると上 の写真の駅舎があり、駅の南側、山手には大規模な住宅地が広がっています。駅の地図を見て歩いてみようと 思いましたが、急坂なので断念。写真の右端に見えるエレベーターでふもと側へ降り、三篠川にかかる深川橋まで往復 しました。
 駅のふもと側から見たのが左の写真で、背後に高層住宅がそびえていました。
 時刻表を見ると、広島方面はさ すがに本数が多いです。そして最終ランナー、17時50分発の広島行きに乗りました。この列車もキ ハ47形だったはずですが、メモも写真も忘れてしまいました。広島に近づくと車内はどんどん混んで きました。
 定刻から1分遅れの18時14分に広島に到着。階段から遠い8番乗り場です。神戸へは18時29 分発の「のぞみ190号」でワープする予約をしていましたが、エスカレーターもお土産売り場もU ターン客で大混雑で、ちょっと焦りました。新幹線改札口横のコンビニで、キリンの「一 番搾り 糖質ゼロ」を買ったつもりが、新幹線で 袋から出すと「金麦」。あわてるとダメ ですね。
 ちなみにおつまみは、広島発祥「カルビー」の「じゃがりこ」。広島駅にある「カルビープラス」で買いました。

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