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★☆ 「ディスカバー号」と「秘境駅号」で巡る飯田線 ☆★
(後編・2023年11月19日) 前編はこち ら

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飯田線の秘境駅の主役、「小和田(こわだ)駅」。立派な駅舎が残っていま す>
(青い枠がついている画像は、クリックすると拡大画像が開きます)
8)賑やかに飯田駅を出発
 飯田 市では大学時代の友人夫妻と夜の一時を過ごしました。食事を終えて外へ出ると、しっかり雪が降って いて、道も白くなっていました。今シーズン一番の冷え込みだったようです。
 しかし翌朝は雪も溶け、良い天気でした。ホテルの窓からのぞくと左手に飯田駅の構内が見え、手前 に373系電車が停まっています。どうやら9時58分発の豊橋行き「伊那路2号」のようでした。

 市内を散策し、「飯田市川本喜 八郎人形博物館」を見学。「そば処 かざこし」で早めの昼食を食べ、飯田駅に 向かいました。
 飯田駅の外観は、8月に飯 田線を乗り通した時の記録をご覧ください。リン ゴを思わせる真っ赤な屋根が特徴です。
 出発案内表示を見ると、ディスカバー号とは違い、しっかり「飯田線秘境駅号」と記されています。 駅舎に接する1番ホームではなく、3番ホームからの発車です。ホームを見ると大勢の人で賑わってい ます。「橋北屋台囃子保存会」による太鼓の演奏がありました。
 喧騒を避けて、車両の最後部へ向 かいました。こちらが1号車になります。前編でも紹介しましたが、すでにヘッドマークが表示されて います。でもイベント列車なので、本当はもっと大きなマークを外側に取り付けてほしいものです。
 ホームの端っこから反対側を見ると、遠方の南アルプスの山々が真っ白に雪をかぶっていました。こ の時は山の名前はわからなかったのですが、秘境駅号が発車して飯田の市街地を過ぎると、左手にはっきりと見えるようになり、車掌さんから 「仙丈ヶ岳がよく見えています」と案内がありまし た。下の写真では正面のビルの左に見える山です。
  話が前後しましたが、ホームの中央に戻ると、沿線市町村のキャラクターが集合した記念撮影場所が用意されていました。見切れていますが右側に伊那市のキャ ラもいたようです。
 改めて下に秘境駅号の時刻表を載せましたが、今回は停車時間が前日よりも短めです。ディスカバー 号が天竜峡を除いた8駅に9分〜38分間停車したのに、秘境駅号は天竜峡を除いた9駅に7分から 16分間しか停車しません。
  全 体の所要時間がディスカバー号より1時間近く短いためでしょう。 各駅の紹介でも述べますが、かなりあわただしいケースもありました。
 飯田に宿泊した人間から見ると、もっと出発時刻を早めてくれてもいいのにと思いますが、東京から 訪問する人のことを考慮しているのかもしれません。新宿7時発の「あずさ1号」に乗り、岡谷で普通 列車に乗り継ぐと、飯田に12時19分に到着し、上りの秘境駅号に乗車できます。豊橋からは新幹線 で余裕で東京へ戻れます。
 その意味では、豊橋を9時50分に出発し、飯田に15時30分に到着する下りの秘境駅号は、12 駅に5分から33分停車し、もっともお得かもしれません。飯田15時58分発の「伊那路4号」でと んぼ返りすれば、東京、大阪から日帰りが可能です。
 ただ今回は飯田に宿泊する目的があったことと、秘境駅以外の駅にも興味があるので、ディスカバー 号と両方乗って正解でした。
9)長野県の駅  千代(ちよ)と金野(きんの)で「貯金」!?
  豊橋方面から飯田に到着する列車が遅れていたため、秘境駅号は定刻より5分遅れて13時10分 に出発しました。
 前日と違い、すぐに秘境駅エリアに到り、次々と停まっていきます。最初は左の千代。縁起の良 い駅名で、車掌さんからは「駅名標に触れると長生き出来ると言われています」と案内があり、ま た「千代と次の金野を続けて早口で読むと、ちよきん(貯金)になります」と、ちょっと無理やり のPRも。
 飯田側の手前の通路をたどると車道があり集落に到ります。地 理院地図を見ると、集落はすぐ近くです。
  もともと約10分の停車時間でしたが、遅れの影響で、13時32分着、38分発とわずか6分の 滞在です。
 辻本のルールとしては、ホームに降りただけでは、「駅の乗降」とはカウントせず、改札を出る か、改札がない駅の場合は、上の写真のように完全にホームを外れる地点までは行くことにしてい ます。
 短い時間ですが、せっかくなので長寿の祈願をして記念写真をとりました。親切な男の子が、夫 婦2人の写真を撮ってくれました。
  千代を出ると約2分で金野に到着。停車時間を少しカットして、ダイヤ通りの13時50分発まで 約10分の滞在となりました。
 この駅もホーム1面ですが、ホーム中ほどの出口を出ると、左のように広い草地があります。未 舗装ですが、ここまで自動車がはいってこれるようです。
 地 理院地図を見ると、黒い実線の道路(幅員 1.5m〜3.0m)が続いています。駅 は飯田市にありますが、駅名となった金野集落は泰阜村です。集落名に「きんの」とルビがついて いますが、同じ文字で「こんの」という地区も見えます。
  ここは駅名標に触れると金運が良くなるそうで、JR東海のスタッフが記念撮影に協力していま す。

 車掌さんから「かつて天竜川の砂利を採取していたときの線路の跡があります」というアナウ ンスがあり、広場の川側には下りの斜面 がありました(日影でわかりにくい です)。しかし、天竜峡駅に掲示されていた2020年のパンフレットや、ネットの情報を 見ると、それは千代の話ではないかという気が します。その線路とは違うようですが、千代には今も側線が残っていました。
10)長野 県の駅 為栗(してぐり)
 次の 唐笠(からかさ)は通過ですが、駅のそばに天竜峡下りの舟の下船場があります。次の門島(かどし ま)も通過で、駅前には珍しく集落があります。次の田本(たもと)は約15分の停車がありました が、ここは前日のディスカバー号で訪問ずみなので、ホームに降りただけです。トンネル上の展望台は大混雑で した。発車も約3分遅れました。
 14時27分ごろ、次の温田(ぬくた)で、下りの秘境駅号と行き違いをしました。窓越しなのでうまく写せませ んでした。
 そして難読駅の為栗に到着。左のように天竜川に面して道路とホームがあります。
 この 道路を進むと百数十mで吊り橋の天竜橋に到ります。田本の発車が遅れた影響で、停車時間が約8分と 短くなり、「遠くへ行かないでください」とアナウンスがありましたが、何人もの人が橋の上まで行っ ていました。駅を遠望できる橋の上は、定番の撮影スポットなんです。
 急げば可能な距離でしたが、駅の写真で人が少なくなるのを待っていたために機会を逸してしまいま した。こういうイベント列車は駅の訪問にはありがたいですが、写真は撮りにくいですね。
11)長 野県の 駅  飯田線の大都会、平岡(ひらおか)で歴史を知る
 次は 天龍村の中心集落で、村役場もある平岡です。車掌さんからは「飯田線の大都会」との紹介がありまし た。
 駅舎は立派な建物で、左の写真やホームから見ると3階建てに見えますが、車道から見ると4階建てです。「ふれあいステーション龍泉閣」というい名前の施設 で、ホテルや売店、食事処があります。
 ディスカバー号、秘境駅号とも全車指定席で、前編でも書いたようにそれぞれ1か月前の昼休みに買 いに行き ました。ディスカバー号では夫婦で並びの席が確保できましたが、秘境駅号では前後並びしか取れませ んでした。
 妻の 隣の席は、飯田でも天竜峡を出ても空いたままで、不審に思っていたら平岡で男性が乗ってきました。 このホテルに泊まっていたそうです。
 線路沿いの広場では特産品などの販売が行われていました。右の写真は駅の南側から写しました。 
 龍泉 閣の豊橋側に陸橋があり、そこからだと駅の構内が見渡せそうなので、物販は妻にまかせて、陸 橋を渡りました。
 左の写真で、ホームから線路を渡って出口に向かう駅の構造がよくわかります。
 
 さて龍泉閣の2階に戻ると、左下の写真のように飯田線の前身「三信鉄道」 の歴史についての展示がありました。現在の三河川合ー天竜峡間で、1937年8月20日の小和田ー 大嵐間の開通をもって全通しましたが、険しい地形のため難工事が続きました。
 展示パネルで は、トンネルが連続するこの区間について、当時の写真も使いながら説明しています。
 この区間の建設で大きな役割を果たしたのが北海道での鉄道建設で実績のあったアイヌの測量技師、 川村カ子ト(かねと)で、差別や偏見と闘いながら工事を完成させたということです。
 またディスカバー号のページでも紹介した佐久間ダム建設に伴う路線変更についてのわかりやすい説明もありまし た

 実物 の展示もありました。写真の中央には、川村カ子トの色紙が見えます。
 その手前は、新宿発平岡行きの急行「こまがね」の行き先プレートです。現在の飯田線は、飯田より 北側に特急、急行は走っていませんが、手元にある時刻表の 1975年4月号を見ると、新宿発で飯田 や天竜峡行きの急行「こまがね」や、名古屋発 の「天竜」が走っています。平岡行きの時代もあったのですね。
 上段は中部天竜駅長が考案した「鉄道唱歌 飯田線」です。信濃毎日新聞社がこの10月に発行した 「伝う鉄路と物語 飯田線」に詳しく載っています。

12)長野県の 駅  伊那小沢(いなこざわ)、中井侍(なかいさむらい)
 この ほか駅周辺のジオラマもあるなど、平岡には16分間で はなく、もっと長い時間停車してほしかったと思いま した。飯田線の歴史をしるには欠かせない駅でした。
 次の鴬巣(うぐす)は通過し、その次の伊那小沢からは秘境駅が連続します。
 伊那小沢は列車の行き違いができる相対式ホームが2面ある駅で、道路へ出るためには遮断機のある 構内踏み切りを横断する必要があります。そしてこの遮断機は列車が発車する2分前には降りてしまい ます。
 このため「停車時間は7分間ですが、発車の2分前に遮断機 が降りるので15時12分までにホームに戻ってください」と何度も放送がありました。
 人家までは距離がありますが、駅のすぐ近くまで車道が通っており、上の写真では列車の右上に通っ ている道路のガードレールが見えています。またホームの近くに長野県で最も早く咲くといわれる寒桜 と河津桜があるようですが、今の季節では判別できませんでした。
 構内踏み切りのある豊橋寄りはホームの広さもそこそこありますが、反対側、出口がない飯田寄り は、ホームの幅もこんなに狭くなっています。写真を拡大すると、列車の貫通路の窓に「伊那小沢」の 駅名が掲示されているのがわかります。これがあるとどこで撮影したかが一目瞭然で、小さなことです が、ありがたいサービスでした。
 次は 中井侍です。豊橋側のホーム端近くに坂道の道路が通じており、少し坂を登ると、列車とホームと天竜 川を同時に写真に収めることができました。狭いので大混雑しています。
 反対の飯田側もホームの端に舗装道路が通じています。ホームの人たちがカメラで何を狙っているか というと、現在の線路のトンネルの隣に残っている旧線のトンネルを写そうとしています。右下の写真 がそうなんですが、明暗差が大きいのと、樹木が茂っているためよくわかりません。中央の架線柱の背 後、やや暗く見えるところがトンネルです。
 この駅は近くの斜面に広がる茶畑が有名で、線路のすぐ下にもあるのですが、列車に遮られて見えま せんでした。車内から見えたのかもしれません。
13)静岡県の 駅  小和田(こわだ)
 中井 侍を出ると静岡県に入り、すぐに小和田です。ここは15分停車の予定ですが、見るべきところは多い ので、列車の前寄りに移動して出口で待機しました。ホームに降りるとすぐに駅名標を撮影しました。 左側には「恋成就駅 小和田」と書かれた大きな柱が建っていました。

 前編の最初にも書きましたが、1993年6月9日の皇太子ご成婚に際しては、妃殿下の旧姓と漢字 が同じだったため、鉄道ファンだけでなく一般の人たちにも知られることとなりました。
 当時は牛山さんのウェブサイトも開設されておらず、「秘境駅」と呼ばれていたかどうかについては 記憶がありません。ただ当時も列車本数は少なく、到達困難な駅であったことは間違いありません。
 それでも困難な恋愛を成就させた お二人にあやかりたいと大勢の人が訪れることになり、旅行会社主催のツアーなどもあったようです。

 さて急いで駅の外へ出ました。ホームと駅舎の関係は左の通りです(これは後でホームに戻ってきた 時の写真です)。
 駅舎を出ると前方へ続く簡易舗装の坂道があります。進むと道の脇が小さな広場になっており、下の ような東屋がありました。
 ここは当時の水窪町が募集した カップルが結婚式を挙げた場所です。二人掛けの椅子には「愛」の大きな文字と「小和田発ラブストー リー」「お二人の幸せを呼ぶ椅子」との言葉が書かれていますが、文字は薄れてきています
 さらに道を少し下ると、建物の残骸(下の左)と廃屋があります。ここは元製茶工場のようです。道 は前方へ続いており、川辺というかダム湖沿いに通じています。廃屋の湖側には、小型三輪自動車「ミ ゼット」の残骸が残っています。
 地 理院地図を見ると、廃屋横の道を進むと「小和 田」と記された小集落に到りますが、建物 は総て無人です。
 さらに山道を登ると「塩沢」集落 です。ここは人が住んでいるようです。上の廃屋の写真を拡大すると、手前に「塩沢まで1時間」と書 かれた案内標識が見えます。
 またウィキペディアに掲載された1937年の写真を見ると、駅の下の天竜川沿い、現在はダム湖と なった場所に家が建ち並んでいることがわかります。

 秘境駅号の乗客の多くは、ミゼットまで行ったようで、辻本は駅舎に戻りました。人が戻ってこない うちに写真を撮るためです。右の写真では駅舎の前にバイクの残骸がありますが、8 月に写した写真を見るとバイクの向きが変わって います。定期的に駅舎周辺の整備などが 行われているのでしょう。
 駅舎 の右手には、今は使われなくなったホームへの通路が見えています。2008年1月までは相対式2面 2線の駅で、伊那小沢のように列車の行き違いが可能でした。現在は反対側の線路ははがされていま す。

 駅舎の中は上の写真を見てください。有人駅だった時代もあり、きっぷ売り場の窓口が残っています が、カーテンが引かれており、事務室内部の様子はうかがえませんでした。
 窓口には、上で述べた結婚式の記念写真と思われる写真が掲示されていました。またネット上にある 過去の駅舎訪問記などを見ると、かつては壁面の上部にぐるりと数多くの写真などが貼られていたよう です。

 駅舎のホーム側には、左のように「三県境界駅」の表示と、県名の案内標識がありました。以前は もっと大きな標識がホームに立っていたのですが、今は中部天竜駅の横にある元レールパーク施設の中 に移されていました。前日のディスカバー号で訪問した時に気がついたのですが、残念ながら撮影禁止 だったので写真はありません。この標識はまだ新しいように見えました。なお、天竜川の対岸が愛知県 なんですが、大嵐駅などと違い、対岸へ渡る橋は近くにはありません。
14)そして豊 橋到着
 さて 小和田を定刻の15時44分に発車しました。このあと「S
字鉄橋」を最後尾からもう一度ながめました。終着の豊橋までにあとひとつ、同じ静岡県内の浦川(う らかわ)にも停まりますが、ここは前日のディスカバー号でも訪問しており、トイレに立ち寄っただけ でした。
 車内のアナウンスはこの日も詳しく続いていましたが、愛知県内に入ると日が暮れてきて、車窓を楽 しむことも難しくなってきたため、列車内はお疲れムードが漂っていました。
 そして定刻の17時54分、豊橋駅の1番ホームに到着し、2日間の飯田線探訪は終わりました。

 左は前編で紹介した「見 どころガイド」と一緒に車内で配られた手作りガ イドです。「見どころガイド」は豊橋運 輸区作成でしたが、こちらは飯田線北部を担当する伊那松島運輸区の乗務員が作成しています。
 下の左はディスカバー号、秘境駅号それぞれの記念スタンプ。裏は小和田駅と沿線風景です。2号車の車端部は4 人が向かい合って座れるテーブル付きのセミコンパー トメントになっており、そこがスタッフ控え室兼スタンプ押し場になっていました。
 下の右は往復の乗車券と急行指定席券です。丸いスタンプは車掌さんに押してもらったもので、 「『秘境の入り口』へようこそ」「豊橋運輸区」の文字が入っています。 


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