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★様々な転用材(続き)

 転用材に石棺や五輪塔、宝篋印塔が多いのは、もともと姫山に古墳や寺院があったことによるものです。
 また、単に石材不足を補ったという意味よりは、宗教関連の石造物を壊して城の礎とすることで、新しい時代の到来を宣言しようとする意味があったと考えられています。確かに、転用材が多いとは言っても、全体の石材の数からみれば、たかがしれていますから。
 さて転用材はまだまだ見つかります。

地図・青の5。
 「姥が石」のあった場所から、天守へ向かう見学順路は天守の北側を巡って備前門へと続きますが、本来の天守へのルートは「水の一門」から「水の二門」「水の三門」へと続きます。
 これは「水の三門」の右手、目の高さにある宝篋印塔。下から二段目の基礎の部分です。

地図・青の6。
 備前門のすぐ右手には大きな石棺が縦にはめ込まれています。石垣に説明板が取り付けられているので、気が付く人も多いと思います。
 これは石棺のふたではなく、本体(と呼ぶのかな)のほうですが、くぼみは内側で見えなくなっているので、説明がなければ、ちょっと大きい長方形の石材だと思ってしまいます。

地図・青の7。
 備前丸から上山里丸へ向かう道沿いの石垣にも、かつて石棺がはめ込まれていました。いまは外されて、かわりに同じ大きさの石材がはめ込まれています。
 写真の上方の大きな長方形の石がそうです。
 このあたりの石垣は第二期ですが、修理されている部分です。

地図・青の8。
 上の場所から外された石棺は、上山里丸の南隅に展示されています。
 小さいのは子供用の棺なのでしょうか。

 転用材として使われていた五輪塔などの一部は、現在では下山里丸の一角に、本来の姿に戻して安置されています。地図・青の9です。
 このあたりは、有料エリアの外側で、ほとんど人通りもなく、いつも観光客でにぎわう姫路城の中で、エアポケットのような場所になっています。


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