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観光鉄道でお客の世代を考 える後編)
Rorschach
> Heiden > Walzenhausen > Rheineck > Altstätten > Appenzell
Appenzeller Bahnen
アッペンツェラー鉄道
(2011/08/11)



(Appenzell駅で発車を待つ電気機関車Ge4/4型1号機)

(前編はこちらです)

 アッペンツェラー鉄道訪問記の後編です。前編にも掲載したルート地図を再掲しておきます。
 後編はRheineck(ライネック)からAltstätten SG(アルトシュテッテンSG)に到着するところからスタートです。
合併繰り返して100周年
 ライネックからアッペンツェルへ行く場合、ザン クト・ガレン経由の方が時間的には早いのですが、今回の目的のひとつがラックレール区間をたどることなので、ア ルトシュテッテン経由で行きます。一番上の地図を見て、アルトシュテッテンで線 路が途切れているのがわかるでしょうか。
 国鉄の駅はAltstätten SGで、アッペンツェル鉄道の駅はAltstätten Stadt(アルトシュテッテン・シュタット)です。1975年まではアッペンツェル鉄道の路線が国鉄駅まで延びていましたが、いまではバスで連絡です。 歩けない距離ではありませんが、バスに乗ることにしました。
 左がバスの窓越しに見たアルトシュテッテンSG駅。SGはザンクト・ガレン州の意味で、チューリッヒにもアルトシュ テッテン駅があるためです。
 右はバスの車内。前方にわかりやすい案内板がついていました。終着のバス停名のほか、途中のバス停も表示され、進行に つれて表示が変わっていきます。ワンマンなのでボタンを押すと、バス停名の右側に赤字で「次ぎ停まります」の表示も出ま す。

 バスは一直線に向かうのではなく、市役所などに寄って約7分でシュタット駅に到着しました。

 シュタット駅は広場の一角にありましたが、建物は普通のビルで、ホームと線路が見えなければ駅と気づかないかもしれま せん。建物に 入ると、駅らしい施設としてはキップの券売機があるだけでした。
 券売機にはアッペンツェラー鉄道のわかりやすい路線図が ついていました。赤い太線がアッペンツェラー鉄道の路線。赤の中に白い点々があるところがラックレール区間です。
 これを使ってアッペンツェラー鉄道の歴史をたどってみましょう。
(1)Rorschach-Heiden間の旧ロールシャッハ・ハイデン登山鉄道(RHB)。
(2)Rheineck-Walzenhausen間の旧ライネック・ワルツェンハウゼン登山鉄道(RhW)。
この2路線ははすでに説明しました。このほかは次の通り。
(3)St.Gallenから南へ向かい、Gais(ガイス)を経てAppenzell(アッペンツェル)に至るのが旧 ザンクト・ガレン・ガイス・アッペンツェル鉄道(SGA)。
(4)Altstätten Stadt(アルトシュテッテン・シュタット)からガイスに至るのが旧アルトシュテッテン・ガイス鉄道(AG)。
(5)Gossau(ゴッサウ)からアッペンツェルに至るのが旧スイスローカル鉄道(SLB)。
(6)アッペンツェルからWasserauen(ヴァッサーラウエン)に至るのが旧ゼンティス鉄道(SB)。
(7)ザンクト・ガレンからTrogen(トローゲン)に至るのが旧トローゲン鉄道(TB)。

 そしてまず1947年1月1日に(5)と(6)が合併して旧アッペンツェル鉄道(AB)となり、同日に(3)と(4) が合併して旧ザンクト・ガレン・ガイス・アッペンツェル・アルトシュテッテン鉄道(SGA)となりました。さらに 1988年1月1日ににはその両社が合併して新アッペンツェル鉄道(AB)となりました。そして2006年1月1日にさ らに(1)(2)(7)を加えて現在のアッペンツェラー鉄道となったのです。
 えーと、書いていてもよくわかりませんね。系統図が必要です。

 話を戻して、上のほうの写真でも見え ていますが、シュタット駅前にラックレールとピニオンギアを使ったモニュメントがありました。説明版も ついていますが、ドイツ語なのでよくわかりません。作られたのは2002年6月7日のようです。
 2枚の説明版のうち下の方はデータなのでわかります。この鉄道の歴史が書かれています。
 ▽1911年11月14日 Altstätten-Gais Bahn開業▽48年1月1日 St.Gallen-Gais-Appenzell Bahnと合併▽1975年6月1日 国鉄駅との直結線を廃止▽1988年1月1日 Appenzeller Bahnと合併。
 さらにラックレールのデータとして▽最急勾配 160パーミル▽ラックシステム シュトループ式▽ラックレール区間の 延長 3,250mと書かれています。
 歴史については上で述べたデータ(「Schienennetz Schweiz」2010年版による)と少し違いがあります。本ではアルトシュテッテン・ガイス鉄道の開通は11月18日となっています。よくある「開通 式 典」と「実際の開通日」の違いか、あるいはモニュメントのほうは会社の設立日なのかもしれません。またAGとSGAの合 併は本では1947年となっています。
 いずれにせよ、まもなく開通100年の節目を迎えるところでした。

 やがて13:28発のガイス行きR3134列車となる電車が山を下ってきました。駅のすぐ先からラックレール区間が始 まっています。到着した列車は客車2両の前にオープン式の荷物車(貨車?)をつないでいました。それほど大きな荷物を 持った観光客が乗るような路線ではないので、生活物資を運ぶ貨車でしょうか。
 定刻に標高467mのシュタット駅を発車した列車は、ぐんぐん登っていきます。左手には遥かに高山を望みライン川の広 い谷が広がっています。のどかな牧場風景も見えます。ガイスの手前、Hebrig駅がサミットで、標高972mになりま す。
 サミットを越え、アッペンツェルへ向 かう線路と合流するとガイス駅。13:47、定時の到着。構内は広く、駅舎も立派です。アッペンツェル へはここで乗り換えです。
 乗ってきた列車は4分後にアルシュテッテン方面へ折り返して戻っていきました。中央の動力車は BDeh4/4の16号機。1993年製造です。
 側線には「SGA」という旧社名が描かれた古い2軸客車が停められていました。そこそこ古びており、保存車両なのか、 単に放置されているだけなのかよくわかりません。
青空議会と牛の行列が 似合う町
 14:10発のアッペンツェル行き列車が到着しました。ザンクト・ガレンからのSバーンです。逆光で見えにくいです が、3両編成です。車両の形式は不明。近郊電車のSバーンとはいえ、列車のステップは高く、アルトシュテッテンから同じ 列車でやってきた老夫婦が、大きなスーツケースを抱えて乗り込むのに苦労しているようでした。
 盆地になった町並みが見えてくるとアッペンツェルです。定時14:21に到着しました。さっきの老夫婦がスーツケース を下ろすのを手伝いました。
 アッペン ツェルは以前は「スイスの秘境」とも呼ばれ、伝統的で保守的な風土のようです。今でも住民が広場に集 まって重要事項を決定する直接民主制「ランツゲマインデ(青空議会)」が行われていることで有名です。
 駅舎も伝統的なスタイル。標高は785.6mです。かつての「秘境」も現在は土産物店が並び、観光客 があふれていました。
 町のメーンストリートを歩いていると、突然ガランガランと大きな音が聞こえてきました。

 牛の行列ですが、観光向けなのか、本物なのかよくわかりませんでした。

 アッペンツェルには2時間余りの滞在。16:38に出発です。駅の4番線には、アッペンツェル鉄道唯一の本格的な電気 機関車Ge4/4型1号機が停まっていました(このページのトップの写真です)。3番線にも別の列車が停まっており、 どっちに乗ったのか思い出せません。
 帰りの列車はザンクト・ガレン行きな ので、ガイスで乗り換える必要はありません。停車中に反対側に停まっていた列車を見ると、運転席の窓の 下に、アルシュテッテン・ガイス間の開通100周年を記念したロゴマークが描かれていました。ヤギの絵 が似合っています。
 ガイスからザンクト・ガレン方面へは、上の左の写真のように幹 線道路沿いを走ります。途中では右の写真のように併用軌道の区間もありました。
 ザンクト・ガレンの手前、Riethüsli駅からはリッゲンバッハ式のラックレール区間になりま す。最急勾配は100パーミル。写真はボケボケでした。
 坂を下りながら右手にザンクト・ガレンの町並みや大聖堂が見えたのですが、写真は撮り損ねてしまいま した。
 こうしてザンクト・ガレンには17:28に到着。17:48発のICNに乗ってチューリッヒに向かいました。駅をでて すぐ、ジッター川にかかるスイス東南鉄道(SOB)の鉄橋を撮影しました。写真は「フォアアルペン・エクスプレス」のページを ご覧下さい。


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