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楽しさ満開、これこそ「氷河鉄道」(その2)
RhB・Bernina Line
レーティッシュ鉄道・ベルニナ線(2005/07/16)
(Cambrena氷河を望み、Lago Bianco沿いを走るベルニナ線の普通列車)
★緑の谷から氷河のそばへ
Poschiavo(ポスキアーヴォ)はベルニナ線沿線で唯一とも言える町らしい町で、駅には車両基地もあります。発
車するとすぐに70パーミルの急坂
が始まり、駅の構内がよく見えます。町の姿も見渡せます。
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やがて線路は山肌に張り付くようになります。小さなトンネルと橋が連続します。トンネルの断面
の小ささに注目。パン
タグラフは折り畳むのでしょうか。
ポスキアーヴォから、オスピツィオ・ベルニナまでの区間が開通したのは1910年7月5日。ベル
ニナ線では最後に残った区間でした。やはり難工事だった
のでしょう。
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ちなみに、オスピツィオ・ベルニナ以北の区間については、Morteratsch(モルテラッチュ)から
Bernina
Suotまでが1908年8月18日、Bernina
Suotからオスピツィオ・ベルニナまでが1909年7月1日に開通しています。
ヘアピンカーブを繰り返すので、下を見ると左の写真のように直前に走った線路が見えています。行きつ戻りつなので、
13分ほど走っても、右の写真のよう
にポスキアーヴォの町がまだ見えています。でもずいぶん高いところまで登ってきました。
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4つ目のヘアピンを過ぎ、しばらく走るとCavaglia駅。いちおう車道が続いているようで、
車が停まっています。
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小さな沢を渡る橋では、補修工事が行われていました。こんな山の中でも、工事は本格的。大きなクレーンが作られ、沢で
はショベルカーも動いていました。
線路脇では放牧風景も見られました。そして前方にパリュー氷河が見えてきます。最初は氷河の部分だけですが、短いトン
ネルを抜けると、氷河が溶けた水が
流れ込んでいる湖もすぐ近くに見えました。
★ヨーロッパの分水嶺を越える
ほどなくAlp
Grum(アルプ・グリュム)駅に到着です。石積みの駅舎は、小さいけれど重厚な頼もしさが感じられます。フルカ山岳蒸
気鉄道(DFB)
から見たローヌ氷
河より、はるかに立派です。それでも、この氷河も縮小しているのでしょう。
時刻は19時を回っていますが、まだまだ明るいです。けれど曇天なので、氷河の輝きが感じられないのが少し残念です。
駅舎には、姉妹提携5周年を記念し、箱根登山鉄道から1984年6月に贈られた日本語の駅名標が掲げられていました。
アルプ・グリュムを過ぎると、森林は消えゴツゴツした岩がころがる荒涼とした風景の中を走ります。
そして左手に氷河を溶かした白っぽい湖が見えてきました。その名もLago
Bianco(ラーゴ・ビアンコ=白湖)です。
アルプ・グリュムから7分、ベルニナ線の最高地点であるOspizio
Bernina(オスピツィオ・ベルニナ)に到着です。ここもアルプ・グリュムと同じく石積みの立
派な駅舎です。2階はホテルになっているようです。
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この駅はハイキングコースの拠点でもあり、各方面への所要時間が書かれた案内板もありました。下
には駅名と2,253mという駅の標高が書かれていま
す。
ところが駅舎に掲げられた3か国語のプレートには、2,256mとなっています。ほとんどの資料
は2,253mですが、「地球の歩き方・スイス鉄道の
旅」では「ベルニナ急行が通る最高地点(2,256m)」となっています。
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日本の小海線の最高地点が野辺山駅ではなく、清里駅との間の踏切脇にあるように、ここも駅舎の標高と、実際の最高地点
の標高が違っているのでしょうか。
それとも最近になって標高が変更になったのでしょうか。
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さてラーゴ・ビアンコの対岸には、トップに掲げた写真のように、カンブレナ氷河が見えます。
そして湖が尽きた所に黄色い看板が立っており、「Wasser
Scheide」と書かれています。分水嶺のことです。その文字の下には両側に向かって矢印が描か
れています。
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矢印の下、右側には「Schwarzes Meer(黒海)」、左側には「Adriatisches
Meer(アドリア海)」とあります。右側が黒海ではなく北海やバルト海だと、さらに南北が強調されて分水嶺の雰囲気が
でるのですが、仕方ないですね。黒
海ということは、ドナウ川水系ということでしょう。
ただし、「地球の歩き方・スイス鉄道の旅」によると、「本当の分水界はラーゴ・ビアンコの中を横切っていて、湖の南北
両側に堰堤がある」とのことです。
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上の地点の北側には黒い水をたたえたLej
Nair(レイ・ネイル=黒湖)があります。ラーゴ・ビアンコはイタリア語でしたが、分水嶺を越え
るとレト・ロマン語(ロマンシュ語)に変わります。
左側にはラーゴ・ビアンコの堰堤が見えています。
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★最後まで氷河とともに
下り坂は緩やかなS字カーブが続きます。少しずつ樹木も見えてきます。
次のBernina
Lagalb駅は、アルプ・グリュムやオスピツィオ・ベルニナとは違い、近代的で簡素な駅舎でした。ここで対向列車と行
き違いです。
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やってきたのはABe4/4型の2両連結ですが、客車ではなく、木材を積んだ貨車を引っ張って
いました。RhBはこ
のように貨物輸送も担っているのが大きな特徴です。
またこのABe4/4型は1988年と90年に製造されたパワーアップ型のようです。
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Bernina Lagalb駅の次はBernina
Diavolezza駅です。ここにはディアヴォレッツァ(悪魔の山)と呼ばれる展望台
(2,973m)へのロープウェイ乗り場があります。展望台からは
巨大なモルテラッチュ氷河を間近に見ることができるそうです。
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さらに標高が下がり、周囲がまた森になってきたころ、左手にそのモルテラッチュ氷河が見えてきました。
この氷河はこれまでの2つよりずっと遠くにありますが、多くの部分を見ることができます。
氷河の右手はこの地方の最高峰で、ベルニナ線の名前の由来になったPiz
Bernina(ピッツ・ベルニナ、4,049m)があるのですが、頂は雲に隠れています。
この氷河と列車を同時に写し込むと「定番」の写真になります。2両の列車からは困難でしたが、な
んとか撮し込めました。
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ちなみにこの場所は、その名もMontebelloカーブという名が付いています。Monteは山、Belloは美し
いということですね。鉄道写真の名
所であり、長編成の列車で、もう少し手前で撮すともっとはっきり氷河が写せるようです。
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氷河と同じ名前の付いたモルテラッチュ駅(左上の写真)は近代的な駅舎です。氷河の末端までは
約2キロで、ハイキン
グコースになっています。100年前は、駅のすぐそばまで氷河が来ていたそうです。
次のSurovasは山小屋風のスイスらしい駅になりました。もうPontresina(ポント
レジーナ)の町に近く、後ろにはホテルも見えています。
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ポントレジーナは、日本では知名度は低いですが、サンモリッツ同様にホテルが並ぶリゾート地。駅舎も上の写真のように
立派です。
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ここにも車両基地があり、ABe4/4型が停まっています。51号機と53号機のペアです。
51号機以降は、
Bernina
Lagalb駅の所で触れたパワーアップ型です。大きな窓の数が、1等室、2等室とも片側2枚で
す。一方、41-49号機は2等室の窓が片側3枚か4枚な
ので見分けられます。
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ベルニナ線はさらにサンモリッツまで続きますが、今回は接続の関係でポントレジーナで降り、Samedan(サメダ
ン)を経てFilisur(フィリ
ズール)へと向かいました。
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