|
1992年6月。縦
28cm、横28cm。48ページ。
3代目セブン、FD3Sが登場したのは1991年12月。このカタログはFD版登場時のカタ
ログと表紙は同じで、内容も変わっていないと思われます。写真よりも実際は濃い深緑色です。
テーマは「THE SPORTS CAR」。「スポーツ
カーに、昂
る」「あとは、ドライバーだ」などと、運転技術にこだわった内容です。前半は南仏・プロヴァンス
の風景の中を走る真っ赤なFDの写真が続き、「driven by Pierre
Dieudonne」とのキャプションが付いています。デュドネ氏はRX-7でスパ・フランコルシャン24時間レースで優勝し、ルマンにも出場した
マツダに縁の深い元レーサーでジャーナリスト。本文も「スポーツカーの操縦では、必
要最小限にして正確かつ素早い動作がすべての基本である」などと、まるでデュドネ
氏が語っているかのような解説が続きます。
最後に主査の小早川隆治氏が「ド
ライバーと心の昂りを共有する。それがenfini RX-7に託した夢」と綴っ
ています。
|
|
1993年8月。縦28cm、横
28cm。48ページ。
最初のマイナーチェンジを行ったいわゆる「2型」のカタログ。表紙は銀色で、RX-7の文字
は最初のカタログを思わせる深い緑色。車はフロントの写真だが、わかりにくいですね。
「1型」ではタイプX、タイプR、タイプSの3つだったラインナップが、タイプR、タイプ
R-II、ツーリングX、ツーリングSに変わり、前2車がマニュアル、後2車がオートマチック
と明確化。タイプRはダンパーを大型化し、R-IIは2シータ−とするなど走りを強化していま
すが、カタログでのアピールは少なめです。
上のカタログと同じく南仏での走行シーンと、スポーツカーの操縦についての熱い語りが続きま
すが、「デュドネ氏運転」のキャプションはなくなりました。1型の主査は小早川隆治氏でした
が、2型では、FCのサスペンションを作った貴島孝雄氏が、主査として巻末にあいさつ文を書い
ています。。
|
|
1995年4月。縦28cm、横
28cm。36ページ。
ラインナップ見直しが中心だった「3型」のカタログ。92年10月に限定300台、93年
10月には限定150台で発売された2シータ−のタイプRZが、カタログモデルとしてライン
ナップに加わったのが一番大きな内容。表紙写真もそのタイプRZで、Cピラーに見える赤い文字
は「RZ」のマークです。
ラインナップはRZのほか、タイプR-S、タイプRバサースト、ツーリングXの4種類。見開
きで、17インチ用大径ブレーキディスクローターや専用開発ビルシュタインダンパーなど、RZ
の特別装備を紹介していますが、1型からの南仏の走行写真と操縦への語りも残っています。タイ
プRバサースト以外の3車種は、リアウイングの形状が変更されました。主査は吉岡史郎氏になり
ました。
|
|
1996年1月。縦
29.5cm、横24.5cm。36ページ。
1996年1月にマイナーチェンジした「4型」のカタログ。ウィキペディアのRX-7の
項目では、4型への変更で<車名が「アンフィニ・RX-
7」から「マツダ・RX-7」となる>と書かれていますが、このカタログは「アンフィニ」のままです。車名が変わるのは4型の途中、97年10月からです
(2つ下のカタログ参照)。
「4型」は最高出力が10馬力アップして265馬力となったのが大きな変更点で、スタイルで
はテールランプが丸形の3連となり、リアウイングが大型化しました。カタログの表紙では、新し
いリヤのスタイルが強調されています。
本文の解説に添えられた南仏の写真はなくなり、走行シーンはモノクロ写真になりました。全体
的に内容がすこし薄くなってきた感じがします。貴島孝雄さんが再び主査になっており、最後に
「『マン=マシンインターフェイス』の新たな進化。」というメッセージを載せています。
|
|
1996年12月。縦
29.5cm、横24.5cm。36ページ。
これも「4型」のカタログ。まだ「アンフィニ」がついています。表紙はやはりリアの写真で、
1月のカタログと比べると、テールランプよりもリアウイングが強調されているのかな。
内容は上の1月のカタログとほとんど同じですが、表紙をめくった裏側には、新しく
「That's MAZDA」というキャッチフレーズが登場しています。
そのほかの違いとしては、これまでは豪華仕様のTouringXのみの標準装備だった運転席
エアバッグが、このカタログから全車種に標準装備になりました。これにともない、ステアリング
ホイールのデザインを変更。走り仕様のTypeRZからTouringXまで4本スポークの同
じデザインになっています。。
|
|
1997年12月。縦
29.5cm、横24.5cm。36ページ。
上のふたつとおなじ「4型」のカタログ。内容は文章も写真もほとんど同じですが、車名が「ア
ン
フィニ・RX-7」から「マツダ・RX-7」に変わっています。車の前後に付けられたアンフィ
ニマークが、すべてマツダの「M」マークに変わり、リヤの右側にまとめて取り付けられていた
「RX-7」と「アンフィニ」のエンブレムは、左側に「RX-7」、右に「MAZDA」と分け
られています。
カタログの表紙の裏には「飛翔の原点」というタイトルで「新しいシンボルは、世界に羽
ばたくマツダの姿を<M>の形に象徴したものです。」などという文章が掲げられています。こ
の文章は下の「5型」のカタログでも継承されています。
車名の変更はこの年の10月14日に発
表されています。ロータリー車誕生30周年を記念した限定車「タイプRS-R」の
発売に合わせ、さりげなく発表されています。
|
|
1998年12月。縦
29.5cm、横24.5cm。36ページ。
「5
型」へのマイナーチェンジに合わせたカタログ。最高出力はさらに15馬力もアップ
して280馬力となり、エアインテークやコンビネーションランプの形状変更など、フロントの印
象が大きく変わりました。カタログでも見開きいっぱいにフロントのアップが使われるなど、変わ
り様を強調しています。
初代セブン誕生から20年の節目にあたり、中面では「20年目のDesigned by
Rotary」として3世代の車が並んでいます。なお「Designed by
Rotary」というのはSA22Cの最初のカタログにうたわれていたキャッチコピーです。
これまでの「操縦にこだわった熱い語りの解説」はなくなり、淡々とした技術解説が続いていま
す。主査の貴島さんは最後に顔写真付きであいさつ文を書いています。
|
|
2001年11月。縦
29.5cm、横21cm。36ページ。
2000年10月には最終型となる「6
型」へのマイナーチェンジが行われており、このカタロ
グは少し日にちがたっています。それまでのカタログと比べて横幅が狭くなり、スリムになりました。
初代セブンから23年、FD登場から10年がたっても、その美しさはいっこうに衰えていませ
ん。初めのほうでは4ページ分を使った見開きに、3世代のセブンと1991年にルマンで優勝し
た787Bも登場させ、「頂点に到達したRX-7。ここには、私たちの夢と情熱と経験のすべて
がある」とうたわれています。
今回はブレーキやサスペンションの見直しと、メーターパネルなどの小変更なので、技術解説は
5型のカタログをほぼ踏襲。ラインナップはタイプRS、タイプR、タイプRB、同Sパッケー
ジ、同(4AT)の5種類。主査のあいさつはなくなりました。
|
|
2001年12月。縦
29.5cm、横21cm。6ページ。
これは特別モデルとして発売された「タ
イプRバサースト」の単独カタログで、3つ折り6ペー ジのパンフレット形式。
特別モデルとして登場しましたが、このタイプは結局、次に紹介する2002年春のカタログに
も登場し、その夏の生産終了までカタログモデルとして残りました。辻本はこれを買いました。
「バサースト」というのは、RX-7が3年連続優勝したことがある「バサースト12時間レー
ス」を記念した名前で、「3型」時代にも「タイプRバサースト」としてカタログに載っていたほ
か、「R-IIバサースト」「RバサーストX」「RBバサーストX」「RバサーストR」など、
様々なバリエーションで特別モデルの名前になっており、大変ややこしいです。
|
|
2002年3月。縦29.5cm、
横21cm。22ページ。
セブンの最後のカタログ。ラインナップは特別モデルの掉尾を飾った「ス
ピリットR」の3車種である「タイプA」「タイプB」「タイプC」と、上で説明し
た 「タイプRバサースト」の4車種。
実態は「スピリットR」のためのカタログとも言え、最後なのに22ページと、全盛期の半分の薄さなのが残念です。
「スピリットR」の真髄は高剛性ステンレスメッシュブレーキホースなど、通好みの渋いものな
ので、目立っていたのは派手な真っ赤なシート(タイプAはレカロ社製フルバケット。タイプBと
Cは本革シート)でした。辻本は真っ赤なシートが嫌なので、「タイプRバサースト」を選んだと
もいえます。
このほか、FD時代の10年間に発売された限定モデル8車種を見開きで紹介しています。主査
の名前はありません。
|