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★ サン・ベネゼ橋(アヴィニョンの橋)(2018 年2月)★ Pont Saint-Bénezet (青枠の写真は、クリックすると大きい写真が開きます) 「サン・ベネゼ橋」という名前を聞いたことがない人でも、 「アヴィニョンの橋」と いえば、 「アヴィニョンの橋で踊ろよ、踊ろよ、アヴィニョンの橋で輪になって踊ろう」という 童謡を聞いたことがあると思います。 そんなアヴィニョンという街は、橋好きだけでなく、 地図好きの人間にとっても興味深いところです。 これがアヴィニョンの地図です。(フランスの国土地理院「IGN」の地図サイトか ら)。 街の周囲を完全に城壁が取り囲んでおり、丸印の塔がいくつも残っています。 こういう城壁に囲まれた都市は各地にありますが、 アヴィニョンのような大都市は珍しいと思います。 1979年にミシュランのレッドガイドで地図を目にしてから、 ずっと行ってみたい街でした。 また、鉄道駅がそばにあるので、行くなら鉄道でと決めていました。 中心の北寄りにある、ひときわ巨大な建物が「パレ・デ・パプ(教皇宮殿、法王宮殿)」です。 アヴィニョンは1309年から1377年まで、教皇庁が存在したのです。 中学校の世界史では「アヴィニョン幽囚」と習いました。(今は「捕囚」かな)。 その左上、ローヌ川に突き出ているのが「サン・ベネゼ橋」です。 橋は教皇宮殿などとともに「アヴィニョン歴史地区」として1995年に世界遺産になりました。 2月11日、駅前のホテルにチェックインし、14時すぎから歴史地区に向かいました。 順番として手前にある教皇宮殿を見学しました。 巨大な建築です。24mmレンズでも収まりません。 ガイドブックには「所要1時間」などとありましたが、 タブレットでAR(拡張現実)を使った日本語の説明が興味深く、時間がかかりました。 見学を終えて外へでると16時を過ぎていました。 ようやくサン・ベネゼ橋へ向かいます。 橋は有料の施設になっており、教皇宮殿の入場時に、橋との共通入場券を買っておきました。 料金は宮殿が12ユーロで、橋が5ユーロ、共通券は14.5ユーロです。 しかし、「日本人ですか」などと聞かれ、割引料金の11.5ユーロになりました。 (敬老料金だったのかもしれません)。 宮殿前の広場には、橋への案内標識がありましたが、方向は宮殿北側の公園を向いています。 それで、ちょっと悩みました。 この公園は「Rocher des Doms(ロシェ・デ・ドン=ドンの岩壁)」と呼ばれ、 ローヌ川に面したところが岩壁で、展望台になっています。 このページの最初に掲げた写真はここから撮ったのですが、 このアングルは、サン・ベネゼ橋の紹介で必ず使われる定番となっています。 この景色を見てから橋に向かうのが、コースとしても定番なのでしょう。 しかし、夕刻になってきたため、橋の「閉館時刻」が気になりました。 有料施設なので、冬場でもあり17時に閉まるかもしれません。 最終入場時刻は、さらに早いかもしれません。 岩壁の上から写真を撮っていて、橋に入れなくなっては残念です。 このため、まず橋に向かうことにしました。 細い坂道を下って川べりに出ました。橋が目の前です。この時点で16:32でした。 近くで見た橋は、思ったよりも立派でした。 画面に写っていない右側に、道路をまたぐもうひとつのアーチがあります。 衛星写真はこんな感じ。橋の南側の「コの字」型の建物が入口です。 入場可能だったので、急いで橋に向かいました。 この橋の特徴は、途中で切れていることと、橋の上に教会があることです。 遠くからの写真では小さく見えましたが、近くでみると立派な教会です。 左は川岸側から見たところ。橋脚の基礎部分に立っており、 橋の路面より低いところに入口があります。 実は教会は二階建てになっており、路面のほうにも入口があります。 下層は、最初に橋が架けられたときに建てられたロマネスク様式のサン・ベネゼ礼拝堂で、 上層はゴシック様式のサン・ニコラス礼拝堂で、 かさ上げされて再建された橋の路面に合わせているようです。 右の写真は教会の向こう側から、先端方向を見た様子です。 橋の建設には伝説があります。 1177年、羊飼いの少年ベネゼが、「ローヌ川に橋を架けよ」との神のお告げを聞きます。 司祭や街の人々は信じませんでしたが、 ベネゼが巨石を橋の基礎にすえることができたため、人々も協力することになり 1185年に橋が完成したとのことです。 (完成したのは「10年後」、1190年など諸説あります)。 当初の橋は基礎(橋脚?)は石造ですが、橋桁は木製で、 1234年から37年にかけて石造で再建されたようです。 その後、17世紀まで何度もローヌ川の氾濫による流失や、 戦乱による破壊があり、そのたびに再建が繰り返されます。 現在まで残る橋が造られたのはいつのことかよくわかりませんが、 かつての橋はアーチが22、全長が約900mという大規模なものでした。 最初の全景写真を見て、「対岸はすぐ近くなのに、アーチが22もあったのか?」と 不思議に思う人がいるかもしれません。辻本も最初はそう思いました。 実は、対岸に見えるのはローヌ川の中州であるバルトゥラッス島なんです。 上の写真の右側、白い角張った「フィリップ端麗王の塔」が建つ場所が対岸なんです。 フ ランス語版ウィキペディアに紹介されている昔の地図や絵をみるとよくわかります。 最終的には17世紀(1667年?)の洪水で、アーチ18連が流され、現在の姿となったようです。 ところで、ウィキペディアやミシュラン・グリーンガイドを見ると、 「ベネゼ」の綴りが「Bénézet」となっていて、 アクサンテギュ(アクセント記号)が2つ付いています。 しかし、公式ページやIGNの地図では「Bénezet」とアクサンテギュは最初だけです。 このページは公式ページに従いました。 もしかしたら、フランス語の発音は「ベヌゼ」なのかもしれません。 歴史の話が長くなりました。 左の写真は、橋の先端部分です。上流側に立って、下流方向を見たところです。 少し上の写真でもわかりますが、欄干はなく、細い柵が設けられています。 「ヨーロッパの名橋巡礼」(小学館スクウェア、2005年発行)の写真を見ると、 この柵は先端から2連目のアーチの途中までしかありません。 もしかしたら当時は、先端までは行けなかったのかもしれません。 また、ミシュラン・グリーンガイドの説明には 「橋は狭いので、みんなで輪になって踊るのは不可能」と書かれ、ウィキペディアも引用しています。 しかし、写真でわかるように、先端部は少し広くなっているので、 「みんな」では無理でも、数人なら輪になって踊れそうです。 右の写真は教皇宮殿方向を見たところです。意外と近くに見えます。 もう少し広角で、ロシェ・デ・ドンの岩壁を見るとこんな感じです。 橋の定番写真を撮るために、改めて岩壁の上まで戻らないといけません。 橋に続く城壁から、塔を通って崖の上まで行けそうにも見えます。 城壁を歩き、中央に見える塔「Tour des Chiens(犬の塔)」まで行ってみました。 写真はいずれも城壁から見た橋の姿です。 しかし塔の入口には扉があり、鍵がかかっています。 仕方がないので、施設の外へ出ることにしました。 Open Street Mapを見ると、やっぱり塔から崖の上へ道は続いています。 このため城壁からではなく、塔の地上部分も確かめましたが、やはり入れませんでした。 しかたないので、広い道にでて、地図の右端に見える階段を登りました。 そうして展望台から撮ったのが、最初に掲げた写真です。 全景だけでなく、アップの写真も載せておきます。 礼拝堂が木立の陰にならないようにすると、撮影位置は限られます。 展望台にはフェンスがありましたが、撮影用の穴が開いていました。 左のように解説板もありましたが、橋の説明は少なく、 対岸遠くに見える「フィリップ端麗王の塔」や、「聖アンドレ要塞」の話が中心でした。 展望台の側から橋へ降りる道はないのか、探してみました。 右の写真のように、道は確かに「犬の塔」へと続いているのですが、 こちら側も扉が閉まっており、通ることは出来ませんでした。 翌日、アヴィニョンを去る前に観光案内所で入手したパンフレットを見ていると、 8月には毎日朝10時から、橋から教皇宮殿まで歩く有料ツアーがあるようです。 また、2010年に訪問した方の記録を見ると、 当時は「犬の塔」の通路が自由に通れたようです。 「ポン・デュ・ガール探訪」のページに書いたように、 今回は、12日の午前中にサン・ベネゼ橋を見学する予定だったのを、 急きょ、11日の午後に変更したため、下調べが不十分なところがありました。 橋の見学可能時間は、冬場は17:45分までで、30分前まで入場可能でした。 (1985年のミシュランでは、1月15日から2月末までは閉館でした)。 いつものように最後は少し慌ただしかったですが、 ロシェ・デ・ドンの公園から、教皇宮殿まえの広場に戻ってくると、 ちょうど17時半で、公園の扉が閉まるところでした。 「橋が好き」へ戻る |