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★ ポン・デュ・ガール探訪(2018 年2月)
Pont du Gard
(青枠の写真は、クリックすると大きい写真が開きます)



ローマ帝国の建築遺産の代表がローマにあるコロッセオなら、
土木遺産の代表は、南仏、アヴィニョンとニームの近くにある
この「ポン・デュ・ガール」でしょう。
1985年にユネスコの世界遺産に選ばれています。

「ポン(Pont)」はフランス語の「橋」。
「ポン・デュ・ガール」は「ガールの橋」の意味です。
このため、「ガール川にかけられた橋」と書いている資料もありますが、
川は「ガルドン(Gardon)川」です。
この点を疑問に思っていたのですが、
フランスの国土地理院にあたるIGNの地図を見ると、
「Le Gard」または「Le Gardon」と書いてありました。
どっちでもいいんですね。下の地図も「Le Gard」となっています。



子供のころにポン・デュ・ガールの写真を見て、いつか行ってみたいと思っていました。
でも、パリやローマと違い、ポン・デュ・ガールは遠いです。
今回、イタリアからパリに向かう途中に寄ろうと思いましたが、
調べてみると、鉄道で向かうのは時間がかかりすぎました。
むしろ、パリからTGVで往復する方が早いようです。

次は、アヴィニョンから行くか、ニームから行くか、です。
ニームは後述するようにポン・デュ・ガールを通る水道の目的地であり、
ローマ時代の競技場も残っているので魅力的ではありましたが、
今回は橋を見るのが目的なので、
アヴィニョンの橋」とセットで訪れることに決めました。

ポン・デュ・ガールへのバスについては、こ のページを参考にしました。
ここに書いてあったバスの運行主体「Edgard」 の公式HPで、
ポン・デュ・ガールを経由するA15系統の時刻表を手に入れました。
本数は少なく、朝8:45の次が11:40、その次が16:30です。
しかし土日は12:30もあるようです。
パリからのTGVの到着時刻の関係で、12:30のバスに乗り、
現地を17:31発のバスで帰ってこようと思っていました。

ところが2月11日(日)の正午ごろ、
アヴィニョン・サントル駅の東側にあるバスターミナルに着くと、
出発表示板に12:30発、A15系統アレス行きの表示がありません。
案内所は閉まっており、バスを待っていた地元の人に聞いてもわかりません。
焦りましたが、もう一度時刻表を見直して、勘違いに気づきました。
土日の12:30発があるのは、「6月2日〜7月6日」の期間だけだったのです。
(下に時刻表の写真も入れています)。

仕方がないのでポン・デュ・ガール行きは翌日に変更。
時刻表を見ると、橋でゆっくりしても、帰りのTGVに間に合うバスはあるようです。
翌日に予定していたアヴィニョン観光を先にすませることにしました。

 

ということで、翌2月12日(月)、
左は朝のアヴィニョン・サントル駅。賑わっています。
この駅は元々アヴィニョンの中心駅ですが、
マルセイユ方面へ向かうTGVの新線は市街地の南側を迂回しており、
そちらにアヴィニョンTGV駅ができたたため、
これまでの駅は「Avignon Centre駅」になりました。
サントル駅の東側にバスターミナルのビルがあります。
8:45発のアレス行きは、8番乗り場からの出発です。


    
今度は案内所に人がいたので、切符が買えるか聞くと、
「バスで買ってくれ」とのこと。料金を尋ねると、
「1.6ユーロだが、往復だと安くなる」みたいな答え。よく聞き取れませんでした。

バスに乗って2人分の料金を払おうとすると、
女性運転手は「私にまかせな」みたいな感じで、
手のひらに広げた小銭から勝手にコインを抜き取り、
カードタイプの切符を2枚用意すると、運転席横の端末にピッと触れてから渡してくれました。
このため、運賃はよくわかりませんでした。
上の写真がそのカードの裏表と、バスターミナルにあった時刻表です。

バスターミナルを出発し、市街地を抜けると広い国道を走ります。
ただ、路線バスなので、時々国道を外れ、
狭い集落の中のバス停や、学校の門前にあるバス停に寄ることもあります。
定刻の数分遅れで、9:25ころに、ポン・デュ・ガールの最寄りのバス停
「Rond-Point(ロン・ポワン)Pont du Gard」に着きました。
「ロン・ポワン」とは「ロータリー交差点」のことで、フランスには多い形です。

バス停からポン・デュ・ガールまでは少し歩きます。
位置関係は下の写真を見て下さい。
ポン・デュ・ガールが越えるガルドン川は南西から北東へ流れており、
バス停のある北側が左岸、南側が右岸になります。



バス停から、受付などがある施設まで歩いて10分程度。
世界遺産の大観光地なんだから、バスも寄ってくれてもいいのに、と思いましたが、
そもそも路線バスで訪れる人など、ほとんどいないのかもしれません。
日本だったら、近くの主要都市から、直行の路線バスがあるのに、と思ってしまいました。
それに、日本だったらバス停が手前にある場合、
目的地までの間には土産物店などが並んでいるはず。
ここは何にもありませんでした。

 

受付施設に到着しました。上の左側の写真です。車道に従って北側から向かいました。
左側にインフォメーションの表示が見えます。
左側の建物には、他にトイレ、軽食堂、土産物売り場があり、
右側の建物は展示施設(博物館)となっています。
2月の月曜日の朝とあって、閑散としています。
 
入場券を買おうとすると3種類あり、違いがよくわかりません。
ほかの客がいなかったので、受付のおじさんに聞きました。

Discovery Pass(8.5ユーロ)は、橋の下部の通路(後付けの橋)を渡るだけ。
Pass Aqueduct(11.5ユーロ)は、橋の最上部を渡るガイドツアー付き。
Patrimoine Pass(15.5ユーロ)は、橋全体のガイドや博物館でのガイド付き。

これは2番目のPass Aqueductで決まりです。
事前の調べで、「最上部はツアー客しか通れない」という情報があったので、
てっきり、いわゆる団体ツアー限定だと思い込んでいました。
ツアーの時間は11:30から約30分間とのこと。
帰りのバスは13:20発なので、余裕で間に合います。うれしい。

上の右の写真がチケットの表裏と、おじさんがくれたパンフレット。
集合場所に○をつけてくれ、余白に集合時刻を書いてくれました。

はやる気持ちを抑えて、まず受付の反対側にあるシネマと博物館へ。
橋を説明する映画は、水辺のトンボの視点で、
セリフはなく、外国人にもわかりやすい内容でした。
 
 

上は、橋の規模を、ローマのコロッセオや、旅客機A-380と比べている絵です。
下の左は、水源のユゼス(ユーゼス)からニームまでの水道のルート。
地形が立体模型になっているので、山を避けたルートがよくわかります。
距離は約50kmですが、その間の高低差は12.27mしかないそうです。
(橋で買ったパンフレットの数値。ウィキペディアでは17mとなっています)。

 
 
ポン・デュ・ガールが造られたのは、1世紀の半ば、西暦50年ごろです。
古い資料を見ると「紀元前18年に建設」と書かれています。
これも疑問だったのですが、
英語版のウィキペディアに解説がありました。(誰かが日本語に訳したページはこ ちらです)。
最近の発掘調査の成果で、これまでの説が変更になったようです。
(最近といっても、2002年発行の公式パンフレットは「西暦50年」説です)。
いずれにせよ、建設から約2000年たっていることには違いありません。

ローマの植民都市だった当時のニームは人口数万人の大都市でした。
そしてローマ人と同じく、ニームの人たちも温泉好きで、
なによりも豊富な水を必要としていたようです。
博物館にもそのことを示す当時の絵(壁画?)などが展示されていました。

右の写真は橋を造っている様子。
近くから切り出された赤みがかった石灰岩のブロックを積み重ねています。
工事にはローマの兵士や囚人がかり出されたそうです。

さあ、橋に向かいましょう。

 

受付施設からの道は、橋の下層を渡ります。道からは二階建ての橋に見えます。
川のほうを見ると、三階建てになっています。

 

橋のたもとまで来ました。
この車道は1743年から47年にかけて造られた橋で、アーチは水道橋に合わせています。
この橋が出来るまでは、水道橋の下層を渡っていたそうで、
大砲を運ぶために中層アーチの柱が厚さ1/3も削られたそうです。

車道橋は水道橋に接して架けられており、欄干はそれほど高くはないので、
乗り越えれば水道橋の本体に行くことも可能です。
このため、それを防ぐように、
「モニュメントには立ち入るな。欄干に登るな」という掲示が
橋の入口の欄干に取り付けられていました。右の写真です。
 
  

川を渡って右岸側へやって来ました。
左の写真の左下の欄干部分に、上で紹介した注意書が見えます。
中層部のアーチの柱に見える石材の出っ張りは、工事中の足場の支えに使ったそうです。
車道は下流側へ続いているので、そのまま下流へ向かいます。
橋の全貌が見えてきました。残念ながら天気が良すぎて逆光です。



広い河原に降りると、橋の全体像が見えました。
下層は6個のアーチがあり、長さ142.35m、高さ21.87m。
中層は11個のアーチがあり、長さ242.55m、高さ19.5m。両端のアーチは木立に隠れています。
上層は35個のアーチがあり、長さ275m、高さ7.4m。左側の3個のアーチは隠れています。
建造時の上層には47個のアーチがあり、長さは490mもありました。
写真でも、右側が欠けているのがいるのがわかりますが、中世に壊されたそうです。
最上部からの高さは48.77mになります。

当時の橋としては下層、中層のアーチが大きく雄大です。
下層部でいうと右から2番目、ガルドン川の流れをまたぐアーチが最も大きく、
幅は24.5mもあります。

しかし、こちら側から見るポン・デュ・ガールは、
18世紀に架けられた後付けの橋が下層部に重なっています。
建造当初に近い姿を見るためには上流側へ回る必要があります。
公式パンフレットの表紙も、上流側からの空撮写真が使われています。

 

河原を歩き、橋の下をくぐって上流側へ向かいます。
下から見ると、下層部のアーチは、継ぎ足してあることがよくわかります。
でも18世紀の道路橋も、アーチ部分は古代の橋とまったく同じサイズで造られています。
右の写真は上層部、中層部のアップです。
橋の最上部は何枚もの板が並んでいるのがわかります。水路部のフタです。



こちらが下流側から見た橋の全容です。順光なのできれいに写りました。
ただ、最初に掲げた衛星写真でもわかるように、上流側は山地が川に張り出しているため、
左岸側の木立が橋の姿をかなり隠してしまっています。
上流側が古代のままの本来の姿なのですが、下流側と比べて雄大さでは見劣りがします。
なかなかうまくいかないものです。

ただ、上流側は橋の近くの川幅が広いため、
受付でもらったパンフの表紙のような水面に映る橋の姿が見えるかもしれません。



しばらく待っていましたが、風があって川面にさざ波があり、鏡のようにはなりませんでした。
もう1枚だけ、帰り道に撮った上流側の写真です。



きれいに陽が当たっています。
この写真をみると、ポン・デュ・ガールの橋脚が川の流れの中にはなく、
すべて硬い岩盤の上に建っていることがわかります。
このために2000年ものあいだ、洪水の被害にあうことがなかったのでしょう。

そろそろ上層部を歩く時間が近づいてきました。
また車道を渡り、左岸の橋のたもとから坂道を登ります。

 

坂を登ると橋の上層部の北端に着きました。広場があり、ベンチも設けられています。
橋の中へ入る入口には、ドアがあって鍵がかかっています。
階段の左手には仏英独3か国語の説明版があり、予約した団体客のみ入れるとあります。
また、橋の最上部へ登る階段は1842年から46年にかけて造られたとのことです。
しかし、英語版ウィキペディアが紹介している19世紀の写真の中の説明では
「水道へのアクセスを可能にする階段は、1855年に追加された」となっています。
(写真説明で「1819年の写真」とあるのは間違いでしょう)。

この年代の違いは10年前後ですが、この間にフランスでは大きな変化がありました。
1848年の2月革命で七月王政が倒され、
ルイ・ナポレオン(後のナポレオン三世)が第二共和制の大統領になりました。
ウィキペディアの説明では、彼は1850年にポン・デュ・ガールを訪れ
橋の荒廃ぶりを目のあたりにして、修繕計画を承認したとなっています。
1846年だと革命前なので、どうなのでしょう。
もしかしたら、修繕作業自体は1842年当時から進められており、
ナポレオン三世が、あとから自分の業績としてPRしたのかもしれません。



読みにくいのですが、橋の中層部のアーチの柱にプレートがあり、
「1855年に皇帝ナポレオン三世の命令によって修復された」との記述があります。

話がそれました。
定刻の11時半になると説明が始まりました。参加者は約20人です。



中央の赤いブルゾンを着た女性がガイドさんです。
説明はフランス語と英語のバイリンガル。
受付の際の話では「英語の説明もあるよ〜」とのことでしたが、
実際はフランス語3に対して英語1くらいの差がありました。

橋の入口の横に立つ男性の赤いブルゾンには「セキュリティ」と書かれており、
彼が入口の鍵を開け、1人ずつ入場券のパーコードに光を当てて検札していました。

入口をくぐると予想に反して狭いらせん階段になっていました。
そして最上部に出ます。



階段を出たところは屋根がありません。人が立っている部分が水が流れていた水路です。
この部分には下にスノコのような木材の台があり、景色がよく見えるようにしてありました。

 

左は下流側を見たところです。
右岸側の木立の後ろに見え隠れしているのはカフェ・レストラン「Les Terrasses(レ・テラス)」、
左岸側に見えるのはビストロ「Le Vieux Moulin(ル・ビュー・ムーラン)」です。

右は水路(導水管)のトンネル部分。パンフレットには「高さ1.9m、幅1.4m」と書かれていますが、
場所によっては天井が低くて、腰をかがめて歩いたり、
側壁に石灰が付着して幅が狭くなり、身体を斜めにして通ったりする部分もありました。
また天井部分の石板は、部分的に外れていました。明かりとりのためでしょうか。

 

右岸側まで渡ってきて、また屋根がない部分に出ました。
下流側を眺めると右側遠く、丘の上に教会の塔が見えます。Castillon-du-Gardの集落です。

トンネル部分を振り返ると、欄干部分にバッテンのついた掲示があります。
「上に登るな」との注意書きです。当然のことで、さすがに登る人はいないだろと思いました。
ところが2005年発行の「ヨーロッパの名橋巡礼」(小学館スクウェア発行)を見ると、
「導水路の上は歩行が可能」と書かれ、実際に人が歩いている写真が載っています。
その写真でも天井板はところどころ外れているように見えます。
両側の欄干部分を歩いたのでしょうか。驚きです。

 

左の写真を見ると、導水管部分の高さがよくわかります。
この部分には下のスノコがありません。写真を撮っている場所にはあるので、視点が高くなっています。

反対側を見ると、最上部の出口です。フェンスが設けられ、ドアに鍵がついています。
またセキュリティの男性が鍵を開けてくれました。
前方にはトンネルが見えます。これは水路ではなく、1865年に造られた通路です。

 
 
左はフェンスの外側から橋を眺めたところ。
この風景はツアーに参加しなくても見ることができます。
ドアには写真撮影用と思われるのぞき穴も設けられていました。

橋のたもと、トンネルの入口前は少し広場になっており、ここで最後の説明がありました。
チケットを買うときの説明では、ツアーは約30分とのことでしたが、
実際は約45分間でした。最初の説明がちょっと長かったですね。



説明場所を少し下がった場所から見るとこんな感じ。
右手に見えるのが水道橋の終端部で、左手前へ斜めに延びている石組みが水路の続きです。
ここで道は3つに分かれます。1つ目はそのまま川べりへ降りる階段、
2番目はトンネルをくぐる道、3番目は正面奥に見える石段を登る道です。
石段をさらに登ると展望台に至ります。
そのことは知っていたんですが、トイレに行きたくなっており、
トンネルをくぐってトイレに向かう道を選択しました。
しかし、展望台まではわずか100mt程度だったので、行ってみるべきでした。



トンネルを抜けて少し歩くと、崩れた水道橋が残っていました。
ユゼスからニームへの水道ルートには、あちこちにこういう遺跡が残っているようです。
ここから坂を下って川べりに出て、右岸側のトイレに向かいました。
ポン・デュ・ガール周辺のトイレは、最初に載せた衛星写真で見える
両岸の受付施設にあるだけです。少ないですね。
小さなトイレでいいので、橋のたもとにもほしいと思いました。
橋の周囲には、受付施設と、両岸1か所ずつのレストラン、ビストロがあるだけです。

しかし英語版ウィキペディアによると、1990年代までは後付け橋を一般車両が通ることが可能で、
川岸には違法建築の土産物店が並んでいたとのことです。
1996年から車両の通行止めと歩行者専用エリアにする計画が進められたようです。

さて、いよいよ橋をあとにする時間です。
最後にもう一度、川べりから写真を撮りました。



 

帰りのバスは13時20分発。遅れないようにバス停までまた歩きました。
パスは3分遅れでやって来ました。



間違いなくA15系統のアヴィニョン行きです。
でも、通り過ぎそうな走り方なので、あわてて手を上げて合図しました。
料金を払おうとすると、男性運転手が「チケット持ってる?」と聞きます。
ポケットにあった1枚を見せると、端末にピッと触れました。
あれ、まだ使えるのか。
帰ってからEdgardのページを改めて調べてみると、
このチケットはチャージ式のストアードフェア式のようです。
だとすると朝乗ったとき、やはり2回分の料金をとられていたのでしょうか。

ところで、乗車チケットは2枚買ったのですが、1枚が行方不明に。
結局、新たに1枚を買い直すことになりました。

最後まで行き当たりばったりでしたが、
ちょうど4時間のポン・デュ・ガール探訪を終え、無事にアヴィニョンに戻りました。


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