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★ パリの橋(2016 年3月)★ Les Ponts de Paris (その1・芸術橋から下流へ) (青枠の写真は、クリックすると大きい写真が開きます) パリの真ん中を流れるセーヌ川には、多くの橋が架かっています。 石橋、鉄橋、コンクリート橋と、素材は様々ですが、 いずれも歴史と物語をもち、風景になじんでいます。 上の写真は芸術橋(ポン・デ・ザール)。 背景にエッフェル塔が見え、左のドームは学士院です。 訪問した日は、どんよりした曇り空が多かったのですが、 パリの街はもともと原色の少ない落ち着いた色合いなので、 これはこれでパリらしい雰囲気かなと思います。 美しい橋、有名な橋は数多くありますが、 今回は時間にも限りがあり、 芸術橋、アレクサンドル3世橋、それにポンヌフの3橋が中心。 その他の橋は、通りすがりに写しただけです。 前半は、芸術橋から下流側の5橋を紹介します。 (その2・ポンヌフから上流へ)はこちらです。 橋の名前のあとは、現在の橋の開通年、全長、全幅。 データは、「Larousse Paris」(2002年)によりました。 参考文献によってデータは諸説あるので、参考程度に見て下さい。 ▽芸術橋(ポン・デ・ザール)Pont
des Arts 1984年、155m、11m
朝のポンデザール。左岸の下流側から見たところ。逆光です。 対岸の大きな建物はルーブル美術館です。 芸術橋の名は、ルーブルがかつて芸術宮殿(パレ・デ・ザール)と呼ばれていたことにちなみます。 また、左岸側の近くに国立美術学校があるためと書かれることもあります。 近くから見ると、橋の繊細な構造がよくわかります。 車の通らない、人道橋だから、こういう軽そうな構造で可能なのでしょうか。 2008年ごろから欄干部分の金網に、観光客や市民が南京錠を取り付けるようになり、 美観を損ねるとともに、2014年には錠の重みで橋の一部が破損する事態も起きました。 このため、2015年、金網はアクリル板に取り替えられました。 人道橋なのですが、予想外に広い橋で、驚きました。 正面はルーブルのシュリー棟で、写真に見えるアーチをくぐって中庭に入ると ピラミッド入り口方面に行けます。 ポンデザールから東側、ポンヌフとシテ島を見たところ。 雲間から朝日が顔を出したので、逆光がきついです。 これは逆にポンヌフからポンデザールを見たところ。 このページのタイトルに掲げた写真の少しアップです。 もともと橋は1804年、ナポレオン1世の時代に、 フランス最初の鉄橋(鋳鉄橋)として9連アーチで架けられました。 その後、1852年に左岸側の道路拡幅でアーチが8連に。 さらに20世紀になると船がぶつかる事故があったため、 アーチを7連に減らして現在の橋に架け替えられました。 7連という数は、ポンヌフ(右岸側)のアーチとそろえているとも言われています。 ▽カルーゼル橋 Pont
du Carrousel 1939年、168m、33m
ポンデザールから見たカルーゼル橋です。 右手はルーブル美術館、左にオルセー美術館、正面にはグランパレが見えます。 もともとは1831年に架けられた鉄のアーチ橋でしたが、 交通量の増加に伴い、3径間のコンクリートアーチに替わりました。 中央のアーチの下に、下流のロワイヤル橋の橋脚がのぞいています。 川岸にそって長くのびるのはルーブルのデノン棟。 橋を渡ったところのアーチをくぐると、橋の名になったカルーゼルの凱旋門があります。 橋のたもとには4つの銅像。手前に見えているのは「パリ」を象徴する女性の像。 他の3つは「豊穣」「産業」「セーヌ」ということ。 今回、なぜか、どの像も赤い布で目隠しをされていました。 ▽コンコルド橋 Pont
de la Concorde 1791年(1931年拡
幅)、 153m、35m
フランス革命のさなかに完成したコンコルド橋。 襲撃で壊されたバスチーユ牢獄の石材も、橋の建設に使われたといいます。 5径間の重厚な石造アーチ橋ですが、装飾は控えめです。 もっとも19世紀の一時期、政治家や将軍ら12人の像が建っていたこともあるようです。 よく見ると橋脚の基礎が3つに分かれています。両側が拡幅時の増設分です。 右岸側は、革命児に断頭台が置かれたコンコルド広場。 左手にオベリスクが見えます。現在では観覧車が目立っています。 コンコルド橋の隣り、アレクサンドル3世橋は、うってかわって装飾の多い橋です。 上の写真はコンコルド橋から遠望したところ。 逆光で陰になっていますが、エッフェル塔を背景に、橋のたもとに建つ4つの塔と金色の彫刻が目立ちます。 橋の上には、これでもかとばかりに街灯が並んでいます。 川の中に橋脚がなく、ワンスパンで川をまたぐ鉄製のアーチ橋で、 アーチの下から下流側のアンヴァリッド橋の橋脚が見えています。 1900年に行われた万博に合わせて架けられた橋で、 同時に出来たのが後ろに見えているグランパレと、その右側に位置するプチパレ。 ともに「鉄とガラスの時代」の到来を告げる建築物でした。 また、ロシア皇帝アレクサンドル3世とフランス大統領との間で結ばれた同盟を記念し、 皇帝を継いだ息子のニコライ2世が、父親の名をつけたこの橋を寄贈。 シャンゼリゼとアンヴァリッドを見通す、景観の重要ポイントに架けられました。 そんな来歴と、ベル・エポックと呼ばれる華やかな時代を背景にして、 この橋はひたすらに豪華な装飾を身につけています。 橋の中央には、川に落ちそうな2人の女性像。 手に持っている棒のようなものは何でしょうか。 まわりには魚や水鳥らしき姿も見えます。 真ん中の紋章は「杖と冠を持つ双頭の鷲」なので、ロシア皇帝のシンボルですね。 4隅に建つ塔は高さ17m(諸説あり)。塔の上には金色のペガサスと女神の像。 これはそれぞれ「芸術」「農業」「闘争」「戦争」を象徴しているとのこと。 別の資料では、右岸の上流側が「芸術」、下流側が「科学」、 左岸の上流側が「商業」、下流側が「工業」とされています。こっちのほうがそれらしいです。 また塔の足元には橋の入口側に向いて4人の女性像。 こちらはフランスの各時代を表している擬人像で、 右岸の上流側が「シャルルマーニュ(カール大帝)時代」(8-9世紀)で、下流側が「近代」、 左岸の上流側が「ルネサンス時代」(16世紀)、下流側が「ルイ14世時代」(17-18世紀)だそうです。 上の右の写真は「ルネサンス時代」です。 女性像の下には、橋の建築に当たった人たちの名前が記してあります。 上の写真では、万博の委員長だった「Alfred Picard」の名前が読めます。 もっとしっかり写してくれば良かったです。撮影時は気がつきませんでした。 【2017年10月9日・訂正】この像は女性像ではなく、 国王・フランソワ1世でした。 ルネサンス時代なので、イタリア風の衣装を身につけています。 持っているのは月桂樹の小枝を添えたクロスガードの王剣。 像の上にある浮き彫りは、フランス王家の「フルール・ド・リス」(百合の花)で、 左の「F」は、フランソワ1世のモノグラム、下のサラマンダーはフランソワ1世のエンブレムだとか。 照明は、橋の建設時に盛んだったアールヌーボー様式。植物の葉が特徴的です。 1本の街灯に1つのランプではなく、大小3つの明かりが付きます。 さらに川岸よりの4本は明かりが5つで、足元に裸の子供が取り巻いています。 子供(キューピッド?)の足元には、魚やカエルもいます。 【5.22追記】ガリマール社のガイドブックによると、こ のランプは 帝政ロシアの首都、サンクトペテルブルクのトリニティ橋のコピーとのことです。 歩道も広くてゆったりしています。後ろに見える建物がプチパレです。 上の写真は、下流側、アンヴァリッド橋からの遠望です。 背後にコンコルド広場の観覧車、その右手にはルーブルも見えます。 下流側の中央にも、上流側と同様に2人の女性像。 ただし、真ん中の紋章が違います。船が見えます。 パリの紋章の船とは違いますが、反対側がロシアなので、フランスに関係する紋章でしょうか。 資料によるとこの2人は、上流側が「セーヌ川のニンフ」で、 下流側はペテルブルグを流れる「ネヴァ川のニンフ」とのこと。 紋章からすると逆のような気がしますが、相手に敬意を表しているのかな。 上の左は右岸側の2つの塔。右は左岸側です。 ペガサスと共にいる女神は、ラッパや剣を手にしているようです。 右岸側の2つの塔の上の彫刻は、エマニュエル・フレミエの作で、 この人は、モン・サン・ミシェルの僧院の先頭の先に飾られたサン・ミシェル像の作者です。 オルセー美術館に、元になったサン・ミシェル像があります。 【5.22訂正】フレミエのサン・ミシェル像は、モン・サ ン・ミシェルがオリジナルで、 オルセー美術館のほうが複製でした。 左岸側を近くまで戻ってきました。 堤防下の道路脇、水面近くにある突起物も、橋の付属品のようです。 拡大するとわかりますが、上に金のトカゲ?が這っています。 キューピッドの街灯のさらに川岸よりにも、彫刻があります。 これは水の精たちのようですが、チェック漏れです。 橋の側面のアップを見ると、アーチと橋桁を結ぶ支柱の上、ひとつおきに顔がついています。 左岸側、アンヴァリッド側の広い道路の中央から、北側、右岸側を見通しました。 映画「ジャッカルの日」の冒頭、ドゴール大統領を乗せたシトロエンDSが、 大統領官邸を出発して、この橋を渡ってくるシーンが印象的でした。 最後はおまけで、エッフェル塔から見下ろした夜景です。 観覧車の見えるのがコンコルド広場で、そこがコンコルド橋。 ひとつ手前がアレクサンドル3世橋です。街灯の多さかが一目瞭然です。 その手前がアンヴァリッド橋。一番手前がアルマ橋。 アルマ橋の右岸(左手)側、橋のたもとの広場の下を通る道路トンネルが、 ダイアナ妃が事故死した現場です。 ▽イエナ橋 Pont
d'Iena 1814年(1937年拡幅)、155m、
35m
イエナ橋といえば、エッフェル塔の足元、という印象ですが、 5径間の立派な石造アーチ橋で、側面にはナポレオン1世の象徴である鷲の浮き彫りがあります。 でもやはり、せっかくなのでエッフェル塔の全景と一緒に。 右は、エッフェル塔のビューボインとであるシャイヨ宮のテラスから見たところ。 アップにするとよくわかりますが、 橋の中央部が工事中で、橋の周辺は大渋滞でした。 もちろん観光客の姿も目立ちます。 こちらは正面からのさらにアップ。 橋の4隅に建つ馬と兵士の像がよくわかります。 エッフェル塔の向こう側、シャン・ド・マルスは元々練兵場なので、兵士の像なのでしょう。 右岸側(手前)が「ガリアの戦士」と「ローマの戦士」、 左岸側が「アラブの戦士」と「ギリシャの戦士」だということです。 (その2・ポンヌフから上流へ)へ 「橋が好き」へ戻る |