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★様々な転用材

 さてこれからは姫路城の石垣のもう一つの特徴である「転用材」を探してみましょう。見学順路に沿って見ていきます。

地図・青の1。
 「ろの門」を入ると順路は左へカーブしますが、右手の土塀沿いの石垣のコーナーに石棺のふたが使われています。大きな石の下の方です。くぼみがわかります。
 ここも柵越しにのぞかないと、気が付かないかもしれません。

地図・青の2。
 「はの門」の右下で、石灯籠の台座が基礎に使われています。
 ここには解説板が付けられています。

地図・青の3。
 「はの門」から「にの門」に向かうヘアピンカーブを曲がったところ、目の高さに五輪塔の一部が使われています。よく見ると梵字が彫られているのがわかります。

地図・青の4。
 「ほの門」をくぐった右手に、姫路城の転用材で最も有名な「姥が石」があります。石臼です。
 有名なため、金網で保護されています。

 「姥が石」の位置関係はこの通り。女性の足元に解説板があります。視線の先に金網が見えます。

 この石は、秀吉築城の時、城下で餅を焼いて売っていたおばあさんが、秀吉が石垣に使う石が足りなくて困っているという話を聞き、自分が使っていた石の臼を差し出して秀吉を喜ばせたという言い伝えがあります。
 しかし、辻本は、この話は脚色してあると思います。

 伝説によると、おばあさんの話が伝わると領民たちがわれもわれもと労働や資材の提供を申し出て、工事が順調に進んだ、となっていますが、それはできすぎの話でしょう。
 おばあさんが差し出したのは本当だったかもしれませんが、それが後世まで伝わったのは、秀吉が「おばあさんだって協力してくれたんだから、お前たちも協力すべきだ」というふうに、築城に都合のいいように利用したのではないでしょうか。
 築城には大変な資金と労力が必要であり、当然領民にも何らかの資金の取り立てや労働者としての使役の義務が課せられたように思います。そして人々から不平不満が出ないように、このエピソードを意図的に流したのではないでしょうか。
 さらに、秀吉時代のエピソードでありながら、石臼が使われている石垣は第二期、つまり輝政時代のものとされています。このあたりも謎がのこるのですが、伝説は伝説として、深く追求しない方がいいのかもしれません。

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