長門丸と隣接する藤兵衛丸には、入場無料の「城山郷土館」があります。古い民具や祭りの
用具などに混じって、辻本の好きな地図関係の展示がありました。
ひとつは、昭和初期の町並みを描いた手製の絵地図。非常にリアルに描かれています。
もともとは小さな地図だったのを、郷土館の依頼で大きく書き直したということです。描いたのは製図屋さ
んとかで、さすが専門家です。
もうひとつは、この吉田初三郎のパノラマ地図。(原画かな)。高い位置に架けられていたので、詳しく見
られませんでした。撮影も手を伸ばして撮ったので、手ぶれでした。
初三郎は「大正の広重」と自称した鳥瞰図作者で、最近再評価の動きが高まっています。10月には別冊太陽
「吉田初三郎のパノラマ地図」が出ました。。辻本は堺市立博物館で開かれた展覧会を見に行ったこともありま
す。(初三郎については、例えばこ
のページを参考にしてください)。
初三郎は1922年(大正11年)、皇太子だった昭和天皇が宇和島に来たのに合わせ、翌年に「東宮殿下行
啓記念宇和島交通鳥瞰図」という地図をだしています。この
ページの「大正の宇和島」の中で紹介されていますが、この原画は、それとは違うようです。別冊
太陽の目録によると、1953年に「観光の宇和島市」「全南予観光大鳥瞰図」というのを出しています。もう
少しアップで見られたら、大正の地図か戦後の地図かは見分けがついたのに、残念です。
郷土館のおじさんと、初三郎の話をしていると、「こんなのもある」と近くの火鉢を指さします。なんと、大
正11年の行啓の際、宇和島中(宇和島東高)で休んだ皇太子が、暖をとった火鉢でした。宇和島東高で大切に
保存されていたようです。