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★2018年4月
11日(水) ディア
ナ・ディアーヌ・ダイアナ
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西欧で弓矢を持って鹿を伴った女性の彫刻や絵画があれば、それは狩猟の女神ディアナ(ディアーナ)です。左の写真はパリのリュクサンブール庭園の彫刻。
屋外なので傷んでおり、鹿の脚や角は欠けています。
これと同じ姿の彫刻は、ルーブル美術館にもあります。カリアティードの間にある大理石像は、紀元前4
世紀のギリシャ彫刻をローマ時代にコピーした大理石像です。またモナリザなどに近いグランドギャラリー
にあるブロンズ像は、覚えている人が多いのではないでしょうか。ルーブルでは「ヴェルサイユのディア
ナ」とも呼ばれているようです。
さて「ディアナ」はローマ神話での呼び名で、ギリシャ神話では「アルテミス」です。ゼウスの子供で、
アポロンとは双子の姉妹です(姉とも妹とも言われています)。男のような短い服を着て、ニンフを連れて
野山を駆けまわっていたそうです。
処女神としてツンデレの元祖のような存在で、水浴びしているところを偶然見てしまった狩人のアクタイ
オンを鹿に変えてしまい、彼の猟犬に殺させています。その一方で同じ狩人なのにオリオンにはデレデレに
なり、心配した(嫉妬した?)アポロンの企みで、海上にいたオリオンを自らの矢で射殺すことになってし
まいました。
下の左は、ボルゲーゼ美術館にあるバロックの画家ドメニキーノの「狩りをするディアナ」。右は里中満
智子さんの「マンガ ギリシア神話」。
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ローマ神
話では月の女神でもあるので、頭に三日月がついていることがあります。里中満智子さんの絵は、雰囲気が
よく似ています(本物は見たことないですが・・・)。
さてルーブルには別のディアナもいます。右は「アネのディアナ」。パリの西方、アネの城館の「ディ
アーヌの泉」を飾っていた彫刻です。ディアーヌはディアナのフランス語読みですが、
アネ城の主で、フランス国王アンリ2世の愛人だったディアーヌ・ド・ポワチエの名前でもあります。この彫刻の作者は不詳ですが、彼女をイメージしているの
は間違いありません。
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ディアーヌ・ド・ポワチエは、「芸術新潮2008年4月号」に
よると、「こんなに美しい人間は世界に存在しない、というほどの体型だった」とのこと。スレンダーで、
ちょっと胴長です。
右はルーブルのモリアンの階段を飾る「フォンテーヌブローのニンフ」で、やはり彼女がモデル。最初は
フォンテーヌブロー城にあり、その後、アネ城の入口を飾っていました(現在もコピーがあるようです)。
ルネサンスの彫刻家ベンヴェヌー ト・チェッリーニの作品です。
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ディアーヌ・ド・ポワチエは美女として有名でしたが、21世紀になって遺骸を調査したところ、遺髪か
ら高濃度の金と水銀が検出され、当時「不老の霊薬」と呼ばれていた「金のエリクシール」(塩化金をジエ
チルエーテルに溶かした液体)による中毒死だったようです。
さてディアナを英語読みするとダイアナです。ポール・アンカの歌もありますが、有名なのは英国のダイ
アナ妃。辻本はダイアナ妃がチャールズ皇太子と一緒に来日した際、京都の某所で間近に見たことがありま
す。
左はパリのセーヌ右岸、アルマ橋北詰にあるモニュメント「自由の炎」。1989年に自由の女神の修復
に対するお礼としてアメリカから送られたものですが、1997年にダイアナ妃がこの場所の下にあるトン
ネルで事故死したため、彼女を追悼する場所となっています。辻本も手を合わせてきました。
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★2018年3月31日(土) 天使が
いっぱい サンタンジェ
ロ橋
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ローマ市
内を流れるテヴェレ川には、ローマ時代に造られ橋を含め、魅力的な橋がいくつもありますが、今回は限ら
れた時間だったので、訪問は、サンタンジェロ橋だけになりました。
ローマの五賢帝の1人、ハドリアヌス帝の時代に架けられたこの橋は、サン・ピエトロ大聖堂への巡礼
ルートにあたり、ベルニーニの弟子たちによる天使の像が巡礼者たちを出迎えます。
「橋
が好き」からご覧下さい。
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★2018年3月26日(月) ベルニー
ニが好き・2
ロー
マ&ヴァチカン編
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ベルニーニの作品は、美術館以外にもローマのあちこちで見られます。最も有名な作品は、バロック芸術の最高傑作とも言われる「聖テレジア(テレサ)の法
悦」(1646)でしょう。
サンタ・マリア・デラ・ヴィットリア教会のゴルナーロ礼拝堂の装飾で、16世紀スペインの修道女が天
使に槍で心臓を貫かれたという幻視体験の様子です。口を半開きにし、気絶しそうな表情が生々しく、官能
的です。背後は金色の光の束で、窓からの間接光が導かれるようになっています。全
体の写真を見ると、両側に桟敷席が設けられ、人々がこのシーンを見守っています。これは礼
拝堂の依頼主であるコルナーロ家の 人々だということです。
教会の中は薄暗く、高感度で撮影しているものの、コントラストの低い写真になっています。コインを入
れるとしばらく照明がつく仕組みになっていましたが、あいにく小銭がありませんでした。観光客はそれな
りにいたのに、誰も入れてくれませんでした。
この教会の前の通りをローマの中心部に向かって数分歩いたところには、ベルニーニが建てたサンダンド
レア・アル・クィリナーレ教会があるのですが、残念ながら訪れた日は休館日でした。奥行きのない敷地の
ため、楕円形に造られた珍しい教会です。
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ベルニー
ニは広場の噴水も数多く手がけています。
左はバルベリーニ広場にある「トリトーネの噴水」(1643)。海神ポセイドンの息子で、半人半魚の
トリトーネ(トリトン)が座る貝殻を、イルカが支えています。
バルベリーニというのはローマの名門貴族の名前で、噴水の正面にある3匹のミツバチは一族の紋章で
す。後ろのホテルも「ベルニーニ」です。
右はすぐ近くにある「蜂の泉」(1644)です。いずれもバルベリーニ家出身の教皇・ウルバヌス8世
のために作ったそうです。
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ベルニー
ニは建築家としても才能を発揮しており、ヴァチカンのサン・ピエトロ広場も彼の設計です。1656年か
ら67年にかけて整備され、284本の巨大な柱が4列に並んで楕円形の広場を取り囲んでいます。中央に
は巨大なオベリスクが建っています。
広場は2つの円が組み合わされた形で、円の中心に立つと4列の柱が重なって1列に見えるように造られ
ています。
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上の写真で、オベリスクと噴水の中間に見える白い点がその中心
で、「チェントロ・デル・コルナート(柱廊の中心)」と書かれています。
そこから見たのが左の写真。南側(上の写真では右側)を見ています。見事に柱が重なって、1本ずつの
柱が並んでいるようにしか見えません。見事です。
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現在のサ
ン・ピエトロ大聖堂が完成したのは1626年で、ベルニーニは内部の装飾を担当しています。
左は聖堂の中心、教皇の祭壇を覆う天蓋「バルダッキーノ」。ブロンズ製で黒々とした、ねじれた柱は迫
力がありますが、あまり美しいとは思えませんでした。
その奥、聖堂の最奥部にあるのが右の「ペテロの司教座」(1666)です。4人の教会博士が支えるブ
ロンズ製の椅子の中には、キリストの弟子で初代教皇のペテロが実際に使ったとされる木製の椅子が収めら
れているそうです。
拡大写真で司教座の右に見える「ウルバヌス8世の墓碑」もベルニーニの作品です。
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左はバル
ダッキーノの左手にある「アレクサンデル7世の墓碑」(1678)。ベルニーニ最晩年の作品です。この
場所には元から扉があったため、それを利用し、扉から出てきた骸骨が重そうな布をまくりあげ、祈祷中の
教皇に砂時計を差し出しているという奇抜な像です。
右はバルダッキーノを取り囲む四方の壁面の一つ。ニッチの中の「聖ロンギヌス」はベルニーニ自身の作
品。キリストが息絶えたのを確かめるため、ローマの兵士だった彼が貫いた槍は、聖遺物となり、壁面の上
部にある祭壇に祀られています。
祭壇両脇のねじれた柱は、古い聖堂の天蓋に使われていたものだということです。
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★2018年3
月26日(月) ベルニーニが好
き・1
ボルゲーゼ美術館編
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今回のヨーロッパ旅行で、ローマを訪問したのはベルニーニの彫刻を見るためでした。ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)は、バロック
の時期を代表する彫刻家で、建築
家としても活躍しました。ローマの街のあちこちでベルニーニの作品を目にすることができますが、その初
期の傑作が集まっているのがボ
ルゲーゼ美術館です。
左は「アポロンとダフネ」(1625)です。ホワイトバランスがうまく調整できず、色が黄色いのはご
容赦ください。
愛の神エロス(キューピッド)に金の矢を射られたアポロンは、ニンフのダフネを追いかけますが、エロ
スに鉛の矢を射られたダフネはアポロンを拒絶して逃げます。しかし川べりに追い詰められたダフネは、川
の神である父に頼んで月桂樹に身を変えてしまいます。彫刻はまさにその瞬間の姿で、ダフネの指先から枝が生え、下半身は 幹に変わり始めています。
この話は多くの絵画に描かれています。モ
ローによる小さな絵が、モロー美術館に掲げられてい ました(ピンぼけですが・・・)。ま
たモローが私淑したシャセリオーの絵は ルーブル美術館にあります。
絵画と違って、等身大の彫刻は、神話の風景を目の前に再現してくれています。彫刻が最初に美術館に収
められた時は、一目見ようとローマ市民が殺到したようです。当時は壁際に置かれていたとのことですが、
今は部屋の中央にあるので、周囲から眺めることができます。
アポロンの顔立ちやヘアスタイルは、ヴァチカン美術館にあるアポロンの古代彫刻を
参考にしたとも言われています。比べてみてください。
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左は「ダ
ヴィデ」(1624)。ダヴィデは古代イスラエルの王で、青年時代に敵の戦士・ゴリアテを石を投げて倒
した場面が多くの作品になっています。フィレンツェにあるミケランジェロの彫刻が有名ですが、ベルニー
ニの作品はまさに石を投げる瞬間の像です。背後の絵も、ゴリアテの首を手にするダヴィデです。
右は「プロセルピナの略奪」(1621)。冥界の王・プルート(ハデス)が、一目惚れした女神の娘・
プロセルピナ(ペルセポネ)を連れ去る場面です。プルートの指が彼女の身体に食い込むさまは、大理 石の
彫刻とは思えぬリアルさです。
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左は「ア
エイネスとアンキセス」(1619)。トロイ戦争でトロイが陥落する際、トロイの武将アエイネスが父ア
ンキセスをかついで脱出する様子です。写真では見えませんが、背後には幼子アスカニオスもいます
(名前は様々な呼び方があります)。
以上の4点はいずれもベルニーニ20代の作品。それぞれ部屋の中央に置かれています。
右は「真実」(1645)。これは晩年の作品。本来は「時があきらかにする真実」という作品で、ベー
ルをはぐ「時」の像とセットになる予定だったものらしいです。このためベールが不自然にまくれ上がって
います。
今回は美術館でベルニーニの特別展が開催中で、この像は入口近くにありました。
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最後は
「眠れるヘルマプロディートス」。これは古代彫刻をローマ時代にコピーしたものなのですが、ベルニーニ
が修復し、大理石のマットレスを追加しているので、おまけで紹介しておきます。
ヘルマプロディートスは、いわゆるアンドロギュヌス(両性具有)。この写真の撮影位置と反対側から見
た写真はこちらにあります。
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★2018
年3月13日(火) 渡れない
けど踊れる? アヴィニョンの橋
2月18
日にも載せた写真ですが、南仏にあるサン・ベネゼ橋(ア
ヴィニョンの橋)の訪問記をアップしました。
「橋
が好き」からご覧下さい。
ポン・デュ・ガールと比べると短時間の訪問なので、写真は少なめです。でも歴史の話などが長くなって
しまいました。苦手な方は読み飛ばして下さい。
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★2018年3月11日(日) 世界遺産 ポン・デュ・ガールを堪能
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今回のヨーロッパ旅行のテーマは大きく分けると4つありました。
まず「橋を見る」。ローマの「サンタンジェロ橋」、「リアルト橋」をはじめとするヴェネツィアの多く
の橋、「アヴィニョンの橋」、そして「ポン・デュ・ガール」です。なかでもポン・デュ・ガールはパリか
ら遠く離れた南仏にあるため、見に行くにはそれなりの時間が必要です。でも、橋好きにとっての聖地とし
て、ぜひとも訪れたいところです。今回の旅行は、特にポン・デュ・ガール訪問をメインに考えました。
そのポン・
デュ・ガールの探訪記をアップしました。「橋
が好き」からご覧下さい。他の橋も順番に紹介していく予定です。
左の写真は現地で手に入れたパンフレットです。日本語版がありました。オールカラーの32ページ、
2002年の発行です。
他のテーマは、▽彫刻を見る▽エッフェル塔で誕生日を祝う▽夜行列車や特急列車に乗るーと盛りだくさ
んでした。これらもいろいろな形で紹介していきたいと思います。
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★2018年3月9日(金) 雪景色のパリ
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今回のヨーロッパ旅行で、パリには2月9日に着いたのですが、街は雪景色でした。左の写真は午後0時半ごろにホテルから外を見たところです。拡大すると
わかりますが、まだ雪が降っています。大通りはともかく、脇道は路面にも雪が残っていました。
約1時間後、雪がやんだときの写真がこちら。さっきは雪でかすんでわからなかったけれど、ポ
ンヌフとルーブルが見えています。位置的にセーヌ川が見えるホテルとは思ってい
なかったので、感激しました。
下は翌10日の午後0時40分ごろ、閉鎖が続くチュイルリー庭園です。
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下はアン
ヴァリッド橋からアルマ橋に向かうセーヌの左岸です。雪は凍って滑りやすくなっており、そろそろと歩き
ました。右はギャルリー・ラファイエット百貨店の屋上テラス。誰かが小さな雪だるまを作っており、撮影
スポットになっていました。
ヨーロッパは2月末から3月にかけて、再度の寒波に襲われました。訪問時も寒かったですが、まだまし
だったんですね。
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★2018
年3月6日(火) モロー美術館が好き
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ギュス
ターブ・モロー美術館の話の続きです。
美術館はパリの中心を少し外れ、サン・ラザール駅から歩いて10分程度、モンマルトルの麓のピガール
広場に向かうロシュフーコー通りにあります。
4階建ての邸宅は両親がモローに買い与えたとのことで、裕福な家だったんですね。入口には日本語の注意書きもあり ました。
1階は受付と事務室。2階は住居部分ですが、居間や寝室にも壁いっぱいに絵がかけられています。
3階と4階がアトリエだった広い展示室です。3階から4階への螺旋階段が美術館のシンボルです。課外
学習?の小学生たちが降りてきました。
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右は螺旋
階段の上から3階の展示室を見たところ。大作がずらりと並んでいます。モローは生前、自分の死後に国が
自宅を美術館にすることを条件に、作品をすべて国に寄贈することを決め、自分で自宅を美術館に改造した
そうです。
正面の中央が「求婚者たち」。
オデュッセウスが長い苦難の航海の末に自宅に戻り、妻・ペネロペ−に言い寄っていた男たちを弓矢で射殺
していくという残虐な絵です。右奥の扉の前にいるのがオデュッセウスで、中央で目立っているのは彼を助
ける闘いの女神ミネルヴァです。その他の絵も、モローの解説本に出てくる有名作品ばかりです。
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4階は少
し小さい作品が並んでいます。辻本が一番気に入ったのは左の「妖精とグリフォン」。モロー自身の解説に
よると「彼女は切り立った崖の、人が近寄れないような洞窟にいて、その番をしているグリフォンたちは、
こうして彼女を野卑なものたちの無謀な企てから護っている」とのことです。洞窟の光と同じような、妖精
のブルーの瞳が印象的でした。
右は「一角獣たち」。有名な一角獣のタピスリー(大阪に来たときに見ました)がクリュニー美術館で公
開されたのが1882年で、モローもそれを見て着想を得たのだと言われています。
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4階は大きな2部屋に分かれているのですが、中央を仕切る壁の前で、ひときわ豪華な額縁に飾られているのが、晩年の大作「ユピテルとセメレ」です。ユピ
テル(ジュピター、ゼウス)の愛人・セメレが、ユピテルに真の姿を見せてほしいと願い、ユピテルが変身
した雷光に撃たれて死んでしまう場面です。2人のほかに多くの人物が描かれています。
モローの解説によると「彼女とともに官能的で地上的な愛の妖精、牡山羊の足を持つ妖精も死んでしま
う」「サテュロスたち、ファウヌスたち、ドリュアスたち、ハマドリュアスたち、水と森の主たちも皆威光
に打たれ、喜びと熱狂と愛に我を忘れている。地上の塵から抜け出した彼らは、頂上を目指し、登り、また
登り続けるだろう。ある者はもうすでに高位の天使の形を成している、翼を広げた宗教的な天使だ」「王座
の両側には、祭式を執り行う役目を担う二人の少年が、この『神』を崇めている」とのこと。拡大写真も特
大にしたので、じっくり見て下さい。
モローの解説は「ギュスター
ブ・モロー【自作を語る画文集】夢を集める人」(藤田尊潮訳、八坂書房、2007年)から
引用しました。その他の解説書では「ギュスターブ・
モロー:夢を編む画 家」
(創元社「知の再発見」双書、1998年)がおすすめ。モロー美術館の受付でも発売。 画集では「ギュスター
ブ・モローの世界」(新人物 往来社、2012年)でしょうか。
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★2018年3
月3日(土) サロメがいっぱい パリのモロー美術館
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パリのギュスターブ・モロー美術館で、
見たかったサロメの絵に会ってきました。左はモローの代表作の
ひとつでもある「出現(L'Apparition)」(1876年、油彩、142 x
103cm)です。
サロメは、新約聖書に登場する女性で、古代パレスチナの領主、ヘロデ王の王妃・ヘロディアの娘で、ヘ
ロデの前で踊った褒美に洗礼者ヨハネの首を求めたとされています。
その場面はルネサンス、バロック時代に多くの絵画に描かれましたが、モローの絵は、ヨハネの首が空中
に出現するという他に類を見ない描き方をしています。生首から血がしたたり落ちている過激な絵ですが、
一度見たら忘れられない構図だと思います。
同じ構図で同タイトルの水彩画も有名で、ルーブル美術館にあるはずなのですが、2016年の訪問時に
は見つけられませんでした。また探しに行きたいです。オルセー美術館なのかもしれません。
この絵が描かれたあと、オスカー・ワイルドが1893年に戯曲「サロメ」を書き、「ファム・ファター
ル(運命の女、魔性の女)」というサロメのイメージを決定づけました。翌年に出版された英語版の添えら
れたオーブリー・ビアズリーによる挿絵も有名です。リヒャルト・シュトラウスによるオペラ(1905年
初演)も、人気作品となりました。
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「出現」
はモロー美術館の3階(日本式では4階)にありますが、館内のあちこちに様々なサロメがいます。小さい
作品が多く、下書きや習作のような作品もあります。
左は「踊るサロメ」(1875年、油彩、92 x
60cm)。「入れ墨のサロメ」という通称で有名で、拡大写真を見るとその理由がわかります。
右は「ヘロデ王の前で踊るサロメ」(1876年、油彩、60 x 36cm)。下段の左は同じ構図の
着衣版で、「踊るサロメ」とのタイトル。下段中央と右はいずれも単に「サロメ」というタイトルでした。
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「ヘロデ
王の前で踊るサロメ」の着衣版は、完成版と言える絵がロサンジェルスのアーマンド・ハマー美術館にあり
ます。見 に行きたいですね。
左の絵はタイトルチェック漏れ。「ヘロデ王の前で踊るサロメ」の習作のようです。
右も単に「サロメ」とのタイトルですが、他の絵と違って顔立ちが現代的ではっきりしており、魔性の
女っぽさ は少なめです。
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【2019年9月8日・追記】大阪で開かれた「ギュス
ターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」で、このうち「出現」と、下から2段目の左側と右側、そして最下段2点の計5
作品と再会しました。最下段の左側、タイトルチェック漏れと書いているのは「サロメ」でした。
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