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★ 富山の橋(下)(2010 年12月)★ 「富山の橋(上)」はこちら。 富山の橋の(下)は、松川の西側です。 上の写真は安住橋。東側の桜橋と同じく、路面電車が渡る橋です。 コンクリートアーチ橋ですが、橋桁の側面が大きすぎてアーチ部分が目立っていません。 改めて地図を載せておきます。 橋の名前の次に掲げたデータは、橋の親柱などに記された竣工の年月です。 ▽七十二峰橋(しちじゅうにほうばし)1992
年3月竣工。
(下)の最初は七十二峰橋。富山県庁の南側にあり、橋を渡ると富山城址です。 写真は左岸の上流側から見たところ。奥が城址です。 高欄には花の絵が掲げられています。 橋の向こうは城址公園なので、車は通れません。歩行者専用です。 向こう側には赤い太鼓橋の景雲橋が見えています。 上流側、下流側のそれぞれ1か所にバルコニー風の場所が設けられており、 花の絵も集められています。 近くには右の写真のように、橋の名前の由来を記した銘板がありました。 この日は残念ながら天気が悪く、立山連峰は望めませんでした。 ▽景雲橋(けいう
んばし)1988年
3月竣 工。
景雲橋は松川ではなく、富山城址公園の中にあります。 赤い高欄に緑の擬宝珠と、神社にあるような太鼓橋です。 左の写真は城址側から見たところ。高層ビルは富山県庁です。 右の写真は近くにあった城址公園の整備計画図。 中央上部が七十二峰橋ですが、その下の景雲橋のところは広い橋に変わっています。 公園整備が進むと、この橋は様変わりしてしまうのかもしれません。 ▽安住橋(あずみばし)1998
年3月竣工。
安住橋は県庁の西側の主要道路にかかる橋。トップの写真と違い、電車のない写真です。 高欄はアーチ状になっており、サイドには絵が描かれています。 高欄の絵は、左の写真のように立山連峰です。天気が良ければこの方向に山が見えるはずです。 近くには右の写真のように、以前の安住橋の銘板が残されていました。 先代の安住橋は1934年12月に架けられたようです。 ▽舟橋(ふなばし)1989
年9月竣工。
これは舟橋で、見るからに曰くありげな形をしています。写真は下流側から見たところ。 横に飛び出した部分は舟の舳先をイメージしているようで、錨のような鎖もついています。 橋のたもと、右岸側には常夜灯が建っています。 松川は、かつて神通川の本流の跡だということは(上)にも書きました。 その頃は川幅もずっと広く、ここに舟をつないだ橋がかかっていたのです。 説明版の読めるサイズは次の通り。「神通川舟橋跡」、 「舟橋と神通川馳越線工事」。 それぞれ別ウインドウで開きます。両方読むとよくわかります。 説明にあったように、歩道部分は木の板を張ったようになっています。 ただし「板をイメージした」とあるので、コンクリート製でしょう。 親柱には4か所それぞれに、昔の舟橋の浮き彫りが取り付けられています。 ▽松川橋(まつかわばし)1996
年2月年竣工。
松川橋のあたりまで来ると、ちょっと町外れのムードが漂います。 でも橋はシンプルで美しい形です。写真は上流側から見たところ。 高欄には左の写真のように、桜の花と松川巡りの屋形船の絵が掲げられています。 こうして各橋を巡ってみると、松川の橋は高欄に絵がついている橋が多いですね。 また松川橋にも先代の橋の銘板が残されていました。先代は1951年3月竣工です。 ▽安野屋橋(やすのやばし)
1936年竣工。
最後の安野屋橋は、国道41号線にかかる橋。 橋の長さに比べて道幅が広すぎるので、道路を通っていると橋だと気付かないかもしれません。 この写真は上流側(南側)から撮った写真ですが、 北側は下の写真のように新しい道の工事中でした。 これは神通川にかかる富山大橋の架け替えに伴うもので、 現在の橋の北側に並んで架けられる新しい富山大橋に続く道路を造っていたのです。 新しい富山大橋は2012年3月に開通しており、現在では風景は大きく変わっているはずです。 ▽おまけ・富山大橋(とやま
おおはし)1936年竣工。
これは神通川にかかる富山大橋。路面電車が朝日を浴びています。 松川の橋を写した翌朝、立山連峰が望めるかと思って見に行きました。 見えたことは見えましたが、ご覧の通りの逆光で、シルエットしかわかりませんでした。 1936年に架けられた富山大橋は2代目で、幅16mのゲルバー式上路鋼鈑桁橋。 関東大震災のあと、東京のお茶の水橋や吾妻橋、両国橋などを設計し、 その後、富山県の土木課に移った小池啓吉技師が設計したそうです。 一方、2012年3月開通の新しい橋は、長さ466m、幅は30.5mと広がり、 単線だった路面電車の軌道は複線になりました。 「橋が好き」へ戻る |