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サンタンジェロ橋(2018 年2月)
Ponte Sant'Angelo
(青枠の写真は、クリックすると大きい写真が開きます)



ローマ市内を流れるテヴェレ川には、ローマ時代の橋がいくつか残っています。
4か所、5か所と諸説あるのですが、
それは、一部改築された橋を、「ローマ時代」の橋と呼ぶかどうかで変わってくるのでしょう。

このサンタンジェロ橋も、5連のアーチのうち、中央の3連はローマ時代のままですが、
両側の2つは1894年、川の拡幅にともなって追加されたようです。



建設は、ローマ五賢帝のひとり、ハドリアヌス帝時代の西暦139年。
上の写真はサン・ピエトロ大聖堂のドームから見たサンタンジェロ橋で、
橋の左側にあるのが、もともとハドリアヌス帝の霊廟として建てられ、
その後、要塞となったサンタンジェロ城です。
サンタンジェロ橋は、この霊廟への通路として、同時に完成しています。

今回は、城の側から渡ったのですが、歴史的な経緯として、
城に向かう方向から紹介します。
もともとは霊廟への通路だった橋ですが、
その後は、サン・ピエトロ大聖堂へ向かう巡礼路のルートとして有名になりました。



これがテヴェレ川左岸、南側から見た橋の入口です。
両側に聖パウロと聖ペテロの像が建っています。左がペテロで右がパウロのようです。
像の向きから見ても、こちら側が橋の入口とわかります。

サンタンジェロ橋といえば、その名前からも10体の天使像ばかりが有名で、
この2人の聖人の像のことはあまり紹介されているのを見ません。
同朋舎出版「望遠郷」によると、
橋の手前に礼拝堂があったが、1530年にクレメンス7世が礼拝堂を壊し、
パオロ・ロマーノ作の聖パウロと、ロレンツェット・ロッティ作の聖ペテロの像を収めた、とあります。
その像が、今は橋の親柱を飾っているのでしょうか。

 

こちらは、テヴェレ川右岸、サンタンジェロ城の前から南側をみたところです。
大勢の観光客でにぎわっています。
橋は歩行者専用なので、道端で土産物を広げる人たちもいます。

さて、10体の天使たちはいずれも橋の中央を向いています。
天使たちが手にしているのは、キリストの受難にゆかりの品、「聖遺物」です。
具体的には、 柱、むち、イバラの王冠、聖骸布、聖衣とサイコロ、釘、十字架、INRIの銘、海綿、槍です。
(それぞれの説明は省略。調べてみて下さい)。

巡礼者が向かうサン・ピエトロ大聖堂には聖遺物そのものが何点かあるわけですから、
この天使像の間を通り抜けながら、巡礼者たちの期待も高まったことでしょう。

  

上の2枚は、最初に掲げた写真を撮った場所からの、ややアップの写真。
左の向こう側は「十字架」、右の向こう側は「釘」です。

天使像が橋に加わったのは1667年から69年のこと。
クレメンス9世の依頼で、ベルニーニの弟子たちが作りました。
ベルニーニ自身も、「イバラの王冠」と「INRIの命」の2体を作りましたが、
風雨で像が傷むのを心配したクレメンス9世がコピーに替え、
オリジナルの2体はスペイン広場に近いサンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に納められています。



橋の上から見上げた天使の像はこんな感じ。これは「聖骸布」です。
天使が持つ布に、キリストの顔の輪郭が見えています。
この時は、ベルニーニの2体がどれか、しっかり調べていなかったことと、
あまり時間に余裕がなかったこともあり、10体すべてを写してきませんでした。

ところで現在のサンタンジェロ橋は、4つの橋脚の上、両側に計8体、
両岸の親柱の上に計4体と、12体の彫像が立っており、収まりがよい形です。
では、19世紀末にアーチが2つ追加されるまでは、どういう配置だったのでしょうか。

聖パウロと聖ペテロは、「望遠郷」の説明のように、
橋が延長されるまでは、橋近くの教会跡にあったのかもしれません。
それでも残りの天使10体の配置が気になります。

2018年4月4日・追記
「The Brigdes that Changed the World」という本に
18世紀中頃のサンタンジェロ橋の絵が載っていました。



これを見ると、中央の3連アーチの両側にも橋は延びています。
左岸側は狭いアーチ、右岸側は大きな岩盤の上に橋が載っています。
このため、10体の彫像があっても不自然じゃないですね。


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