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★2013年12月23日(日) ニコンの雑誌あれこれ
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NikonDf、欲しいけれど買えま
せん。それに今は品切れ中。ゆっくり検討します。そのかわり、雑誌「Nikon
Dfの哲学」を買いました。なかなか読み応えがあります。
さらに実家に帰った際、古い雑誌を持って帰ってきました。真ん中は1999年7月の雑誌。タイトルは
「Fのすべて」ですが、いちおうF5までの1桁機と、FEやFAなども紹介しています。
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右は2000年5月、NikonS3が復刻版が発売されたのを記念した雑誌。S3やSPの形のままでデジカメになると
いいのになぁと思っている人が、大勢いるようです。
★2013年12月18日(水) RX-7(FD)のカタロ
グを追加
「マツダが好き」のカタログリストに、またRX-7(FD3S)の
カタロ
グを1冊追加しました。ちょうど車名が「アンフィニRX-7」から「マツダRX-7」に変わったときのカタログです。
★2013年
12月15日(日) 小さい一眼レフ Nikon EM + MD-E + SB-E
11月10日のところで、F4SとF2フォトミックAと買ったことを書きましたが、それから4年後、1994年の8月
にはニコンの一眼レフの中では超小型と言えるEMを買いました。さらにEM専用のモータードライブMD-Eと、専用のス
トロボ(ニコンの名前ではスピードライト)SB-Eも買いました。EMは1980年3月の発売なので、もちろん中古での
購入です。
発売時の愛称は「リトル・ニコン」。ちなみに同時期のカメラでは、F3が「スーパー・ニコン」、FEが「シンプル・ニ
コン」、FMが「マニュアル・ニコン」でした。EMのボディの寸法は幅134.5mm、高さ86mm、奥行き54mm、
重さは460gで、愛称の通り本当にコンパクトでした。同じモードラ付きのF2Aと比べると、こんなに違います。レンズ
はごく普通の50mmF1.8なんですが、ボディがコンパクトなので、大口径レンズに見えてしまいます。
EMは「絞り優先AE」の専用機で、
操作部は大変シンプルです。フィルム巻き上げレバーと同軸に、「B」「M90」「AUTO」と3種類の
切り替えレバーがあります。通常は「AUTO」にしておいて、絞りを自由に選べば、それに応じて適正露
出になるようにカメラがシャッター速度を決めてくれました。
「B」はシャッターを開きっぱなしにする「バルブ」、「M90」は「機械式の1/90秒」のことで、
電池が切れたときでも動く非常用でした。
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巻き上げレバーは「小刻み巻き上げ」が可能で、これは当時、F3やF2などの高級機しか出来なかった機能でした。
シャッターボタンの左側の小さなボタンはバッテリーチェッカーで、ボタンを押して下の赤いランプが点灯すればOKです。
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ファイダーをのぞくと、左側に指針式
のメーターが見えます。シャッターボタンを半押しすると、針がピッと揺れて、その時のシャッター速度を
示します。速度が赤字になっている1/30秒以下になる場合は、「ピッ」という電子音が鳴って手振れ注
意を 示します。
またボディの左手側の前面にある小さなボタンは露出補正ボタンで、逆光時などに押すとシャッター速度
が2段遅くなって、針が下の方へカクッと動きます。
右はSB-Eを取り付けたところ。当時のニコンのストロボは横型が多かったのですが、これは珍しく縦
型です。外光式オートなんですが、EMに取り付けると絞りの選択肢が広がり、今のTTLオート風に使う
ことができました。
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モードラのMD-Eは、F3用のMD-4に似たデザインで、斜めのラインがなかなか格好いいです。小型のため、電池は
単4を6本も使うのに、巻き上げ速度は毎秒2コマとゆっくりです。他のモードラのように専用のシャッターボタンはなく、
本体のシャッターボタンをそのまま使います。
30年も前の製品ですが、久しぶりに電池を入れてみたところ、今でもきちんと動きました。
★2013年12月8日(日) 赤穂城に「幻の天守」が出現
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赤穂城にご覧の通り、五層の立派な天
守が出現しました。
もちろん復元や新築ではなく、12月7日から始まった「忠臣蔵ウィーク」の開幕を記念したイベントで
す。天守台に建築用の足場のような骨組みをつくり、電飾を施したものです。
でも大きな破風には浅野家の家紋も取り付けられるなど、よく出来ていると思います。これは赤穂青年会
議所のメンバーが2006年から行っているもので、当初は二層の天守だったのが、年々立派になり、
2009年に五層になりました。電飾の色も年ごとに変わっています。
赤穂城には天守が建てられたことはなく、「幻の天守閣」としています。
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赤穂城は現在も城内の復元作業が続け
られています。とくに右の写真の「二の丸庭園」は、1998年から2001年にかけて全面発掘調査が行
われ、山鹿素行が日記に「錦帯池で船遊びをした」と書いている大規模な池泉が確認されました。
このため、2002年には本丸の庭園とともに「旧赤穂城庭園」として国の名勝指定を受けています。復
元前に名勝になるなんて、珍しいと思います。それだけに整備も慎重です。
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上の写真の中央が錦帯池で、小さい中
島が見えますが、その向こう側の陸地も大きな中島です。
ご覧の通り、まだ樹木が少なくて整備の途中なので、普段は門が閉まっていて立ち入ることは出来ませ
ん。ただし、忠臣蔵ウィークの初日と最終日の14日だけは、門が開き、山鹿素行の故事にちなんた屋形船
が1回200円で観光客を乗せていました。今はまだ庭園としては淋しいので、200円はちょっと高いか
な。
なお、左の写真の中央に「幻の天守閣」の骨組みが見えています。その左手前は本丸門です。
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上の写真は庭園の入口に掲げられていた復元予想図。完成予定は未定とのことですが、楽しみです。これくらいの規模な
ら、有料の観光資源としても成り立つのではないでしょうか。
★2013年11月22日(金) 今年の紅葉は・・・・・・
桜の写真と比べると、紅葉は少ないです。難しいから。まず、色鮮やかな紅葉を目にすることが少ないです。
上の写真は大阪府南部の某寺院。そんなに鮮やかな紅葉ではなかったけれど、なんとかそれらしい写真になりました。もう
少し枝が下の方まで垂れてくれていたら良かったのに・・・・・・。
★2013年
11月10日(日) 大きいカメラも好き Nikon F2フォトミックA & Nikon F4S
Nikon
Dfが発表され、デジタル以前のカメラが改めて注目されています。Dfは特に、ファインダー部分はFMをイメージしているようです。
Nikon
FMは、辻本が最初に使った一眼レフなので、大変愛着があります。その後、F-301を買い、F4が出ると、F4Sを買いました。上の写真の右側です。
さらにその後、F2(F2フォトミックA)を中古で買い、モータードライブのMD-2とバッテリー
ケースのMB-1を買い足しました。上の写真の左側。背の高い独特のスタイルは、迫力があります。
右の写真はF2のディテール。単機能のボタンやレバー、ダイヤルがいっぱいあります。
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左はNikon
Fから続く「フォトミックシリーズ」の一番フォトミックらしい部分です。
カメラ本体のシャッターダイヤルに、フォトミックファインダーに付いているフィルム感度ダイヤルが重
なって一緒に動きます。ギザギザのついたダイヤルを回すと、下のシャッターダイヤルが動き、感度を切り
替えるときはダイヤルを持ち上げて回します。
シャッター速度はB-1/2000。1/60と1/125の間の赤線は、シンクロ速度の1/80で
す。フィルム感度(当時はASAでした)は6から6400までありました。
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右はNikon
F4Sの軍艦部。シャッターダイヤルが存在感を示していますが、それ以外の部分は現在のデジタル一眼レフに通じる形です。露出モードや撮影モードの切り替
え、露出補正ダイヤルなど、現在と同様です。
F2が発売されたのは1971年。F2フォトミックAは1977年。F4とF4Sは1988年の発売
です。
F2はモータードライブを外せば、カメラ自体は電池が無くても動きます。ボタン電池が入っています
が、それは露出計を動かすためなので、絞りとシャッターは完全な機械式です。このため40年以上たって
も古くなりません。これはFMやFM2も同様。だから今でも根強い人気があるのでしょう。
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★2013
年11月6日(水) ダイヤル大好き人間向き Nikon Df
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11月5日に発表になったニコンの新
型一眼レフ、Nikon Df。しばらく前からティーザー動画で世界中に話題を巻き起こしていました。
実際に発表されると、賛否両論のようですが、ダイヤル操作が大好きな辻本は気に入りました。
確かにもう少しボディの厚みが薄い方が格好良いですが、液晶はほしいし、仕方ないですね。ただ、やっ
ぱり高いですね。もう少し安くなってほしい・・・。
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シルバーのほうがよりクラシックな感
じがしますが、やはりブラックのほうが精悍でいいかな。右は軍艦部の右側ですが、モード切替ダイヤル
は、持ち上げてロックを外してから回す仕組み。
懐かしい仕組みです。F2を持ち出して見ると、シャッターボタンの回りにある「T(タイム)」と
「L(ロック)」の切替ダイヤルや、F2用モータードライブの1枚撮りと連写の切替ダイヤルもこの方式
でした。
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