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★ 金沢の橋(浅 野川編・上)(2010年12月)



金沢の中心部には、浅野川と犀川のふたつの川が流れています。
ふたつの川を対比させ、
浅野川を「女川」、犀川を「男川」と呼ぶことがあるそうです。
今回は浅野川の橋を訪問しました。
トップの写真は中島大橋。観光客はほとんど通りませんが、美しい橋です。

2020年8月28日・追記】写真の中島大橋は架け替え のため撤去されました。
詳細は下の中島大橋の項目を見てください。



上は金沢市中心部の地図。
今回は下流側、JRの線路に近い応化橋から、上流に向かって鈴見橋まで訪ねていきました。
もっとも訪問してから2年半もたちましたので、現況は変わっているかもしれません。

橋の名前の次に掲げたデータは、橋の銘板や、様々な資料を参考にしました。

     ▽応化橋(おうげばし)1987 年3月架橋。長さ41m、幅13m。


最初の応化橋はシンプルな桁橋です。
ただ川の真ん中部分の歩道が外側に向かって張り出しており、アクセントになっています。

 

架橋年代が新しいので、歩道も広めです。
橋桁の外側に、銘板が取り付けてありました。

     ▽旧・中島大橋 (なかじまおおはし)1955 年5月(54年?)架橋。長さ37m、幅13m。


金沢駅前から市の東部に向かう主要道路・東大通りにかかるのが中島大橋。
上の写真はこのページのトップの写真よりは近づいた場所から写しています。
下路アーチ橋です。アーチ部材は細身で、薄いピンク色に塗られた美しい橋です。

金沢大の梶川康男教授の2005年11月の講演によると、
アーチ部材だけでなく、桁部分にも剛性を持たせているローゼ橋で、
もともとは垂直材だけで吊っていて、設計荷重が13トンだったのを、
20トンの車を通すために斜め材をいれて補強したとのことです。

 

東大通りは4車線ですが、橋の部分は2車線になっています。
親柱は存在感のある造りです。
銘板には写真では見づらいですが、「昭和三十年五月架」とあります。
その一方、アーチ部材のすり減った銘板には「昭和29年(1954年)金沢市建造」とあります。
上に書いた補強した際に歩道部分や現在の親柱が造られ、それが1955年5月なのでしょうか。

2020年8月28日・追記】写真の中島大橋は、 2018年4月から6月ごろにかけ、
架け替え工事のために撤去されました。
現在は下流側に仮橋が架けられ、元の位置で新橋の建設が進んでいます。
新しい橋は東大通りと同じ4車線で、橋脚のないワンスパンの桁橋のようです。
旧橋は美しいアーチ橋だったので、ちょっと残念です。

     ▽昌永橋(しょうえいばし)1954 年(55年?)架橋。長さ38m、幅4.5m。


細い生活道路に架かる昌永橋。トラス橋です。
上の写真は下流側から見たところです。

 

左の写真は南詰めから見たところ。上流側にだけ歩道橋が付けられています。
アーチ部材は上部が連結されておらず、いわゆるポニートラスです。
トラス部材には、中島大橋と同様の銘板がありました。1954年です。
梶川教授によると、1953年に浅野川の洪水があり、多くの橋が流されたようです。
なお梶川教授は「昌永橋を1955年に架けます」と話しています。

     ▽彦三大橋(ひこそおおはし)1988 年3月架橋。長さ34.8m、幅21m。


彦三大橋は近代的なワンスパンの桁橋。背の高い街路灯が目立っています。
親柱の銘板によると架橋は1988年3月。4車線の広い橋です。

 

欄干は鉄製のシンプルなものですが、途中に花の透かしが入っています。
また西詰めの下流側には、右の写真のようなモニュメントがありました。
像の名前や作者はわかりません。
2017年1月2日追記】像は村井良樹さん作の「夢飛 行」でした。


     ▽小橋(こばし)1953 年10月架橋。長さ36.1m、幅10.5m。


昌永橋とよく似たポニートラスの小橋。
ディスカバー・ジャパンのポスターで一躍有名になった飴の「俵屋」は、この橋の東詰近くにあります。
クレーンが見えるのは、橋の下流側にある可動堰の工事をしているからです。

 

下流側から見ると、こんな感じでした。
橋近くの川縁には右の写真のような可動堰の案内板がありました。大きいサイズはこちら

 

昌永橋は1車線でしたが、小橋は狭いながらも2車線。両側に歩道橋が付いています。
クラシックな街灯の建つ親柱。右側の銘板によると、1953年10月の架橋。
浅野川の洪水の直後に架けられたようです。
橋のたもとには「小橋町」の案内標柱が建っています。橋の説明が以下の通り書かれています。

「藩政時代、小橋は犀川大橋、浅野川大橋とともに金沢の三ツ橋と呼ばれ、
金沢城防衛上の重要な拠点であった」

大橋と違って「浅野川小橋」とならなかったのは、
「犀川小橋」がないためでしょう。
浅野川大橋、犀川大橋も、古い地図には単に「大橋」と書かれていることがあります。

     ▽ここでちょっと中休み

小橋から浅野川の左岸を上流に向かって歩いて行くと、
次の中の橋から、浅野川大橋、梅ノ橋、天神橋までの4橋が重なって見えました。
とはいえ、浅野川大橋はアーチの橋脚だけ、梅ノ橋はほとんど見えません。
でも一番遠い天神橋はアーチが目立っています。
背後は卯辰山の緑。遠くの山も見え、美しい風景です。


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