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(小立野台地南側の2) このエリアは、迷路のように小道が入り組んでいます。 だから地図もかなり詳細です。 (線がゆがんでいるのは辻本が下手なためです)
上の地図は、これまでと同じく、 急傾斜(崖)の部分を濃い緑色で描きましたが、 このあたりは家屋が密集しているために、 地肌が露出した崖はほとんどなく、 段差のような石垣、コンクリート壁がほとんどです。 このため、地図のイメージとはちょっと違うかもしれません。 さて、最初は白山坂に近い名称不明の2か所から。 左側が地図の1、右が2です。 右側の坂は、下の方の階段部分が金属(鉄?)製で、 錆が出ていたりして色が変わっています。 次は「二十人坂」です。 名前は、藩政時代に足軽二十人組が住んでいたことに因みます。 2車線の真っ直ぐな、どうってことは無い坂道なんですが、 ここは、金沢では珍しい立体交差になっています。 写真の中央に橋の欄干が見えますが、この下は道路なんです。 下は、こうなっています。 なかなか味のある風景ですね。 このあたりの道は、いずれも純然たる生活道路で、 地図でもわかるように、 不規則につながっている上に、袋小路も多く、 よほど詳しい地図が無いと、目的の場所へは行けないでしょう。 また、地図にも示した小川は「勘太郎川」です。 台地の北側で紹介した木曽坂のある木曽谷には 源太郎川が流れており、 台地の両側に太郎の名の付く川があることになります。 次はまた名前のわからない坂道。地図の4です。 上から見下ろしたところ。 猫がモデルになってくれました。 段差の小さい石段になってますが、 ちゃんと手すりが設けられています。 今度は名前の分かる2か所です。 番号順とは逆になりますが、左が「嫁坂」です。 ここは金沢の坂の中では有名な場所の一つで、 金沢市のホームページでも紹 介されているほか、 個人のページにもよく出てきます。 地名の由来は、「坂の上に住んでいた加賀藩の重臣が、 自分の娘を嫁がせるときに作った」ためとされています。 また、姑が嫁を突き落とした坂だから、という説もあります。 坂の上の方の踊り場には、坂の名を記した例の石碑も建っています。 またここからは、犀川方面の市街地がよく見えます。 このため、花火大会見物の穴場だと聞いたこともあります。 (ただし花火大会の場所など知らないので、未確認情報です) 右は「新坂」です。 エピソードが豊富な嫁坂に比べると、 こちらは「嫁坂より後に出来た新しい坂だから」と、 実にそっけない扱いを受けています。 が、それも仕方ないかなあと思ってしまうほど、 ごく普通の、車も通れる坂道です。 前のページ / その1へ 戻る / 次のページ |