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(更新終了)
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★2001年3月25日(日)
愛媛県は震度5強の地震で大揺れでした。
辻本は地震が起きた24日は休日だったので、内子町の古い町並みを歩いた後、一転、松山へ戻り、15時
28分には玉川町をドライブしていました。このため、地震には気が付かず、美術館を訪れて異変があったこと
がわかりました。職場に連絡がなかなかとれず、焦りました。また自宅もベランダにある温水給湯器のパイプが
破断するなどの被害がありました。
で、地震前に訪れた内子の話。浅黄色の漆喰となまこ壁の建物が並ぶ町並みは有名なので、ガイドブックや町
のページに任せ、町域の北部にある屋根付き橋を紹介します。
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市街地から車で約10分、麓川にかかる「田丸橋」です。川の両岸は田んぼと民家が
少しあるだけの、のどかな場所。橋の床板はぎしぎしときしみましたが、造りは本格的
で、「絵に描いたような」屋根付き橋になっています。この橋は町の文化財にも指定され
ているようです。
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田丸橋からさらに麓川をさかのぼり、段々畑の中の1車線のヘアピンカーブを走るこ
と約20分。山の上に忽然と現れるのが、弓削神社の屋根付き太鼓橋です。広い池を渡っ
て神社に参詣するための橋で、田丸橋と比べると華奢な感じがする美しい橋でした。
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★3月18日(日)
松山城の麓にある洋館「萬翠荘」を見てきました。現在は愛媛県美術館分館となってお
り、1階では無料の書道展、2階は有料で「城郭建築の美」展が開かれていました。
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この建物は旧松山藩主の子孫、久松定謨(さだこと)が、別荘として1922年(大
正11年)に建てたもので、松山で一番古い鉄筋コンクリートの建物です。設計者は県庁
や石崎汽船本社も手がけた木子七郎です。
鳥取や松江にもお城のそばに西洋建築がありますが、ここが一番本格的です。
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玄関を入ると、正面の階段の踊り場にあるこのステンドグラスが目に飛び込んできま
す。大海原をゆく帆船、見にくいですが、カモメも飛んでいます。これはハワイへ特別注
文した品とのことです。
昭和4年の県庁は約100万円で建ったそうですが、ずっと小さい萬翠荘は約30万円
かかったといい、その贅沢さがわかります。
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★3月15日(木)
昨日、松山の中央公園野球場、通称「坊っ
ちゃんスタジアム」で、巨人と日本ハムのオープン戦があり、のぞきに行ってきました。
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2000年7月にオープンした坊っちゃんスタジアムは、中堅122m、両翼
99.1m、収容3万人と中四国屈指の規模を誇ります。岡山県の「マスカット球場」と
は造りがよく似ているそうです。
内野のファウルエリアは人工芝ですが、外野は天然芝。スタンドの傾斜も急で、前の人
の頭を気にせずに試合を見ることが出来ます。
松山で巨人のオープン戦が行われるのは12年ぶりとあって、満員に近い2万9000
人が詰めかけ、松井の打席や、ルーキーの阿部が盗塁を刺す場面などに声援を送りまし
た。
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球場の目の前にはJR予讃線の市坪駅がありますが、ホームは片面のみの無人駅で
す。この日は大勢のJR職員が出て、お客の誘導にあたっていました。
写真は宇和島行き特急「宇和海」が臨時停車する場面。松山駅方面へ向かうお客は、下
で並んで待っています。
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坊っちゃんスタジアムの周辺は、松山市の中央公園として、現在お城の麓にある競輪場を移転させるほか、テ
ニスコート、サブ球場なども整備される予定です。このため、市としても、市坪駅は公園の玄関として、松山駅
から複線化し、ホームも二面にする計画があると聞きます。
駐車場はいくら用意しても必ず満杯になり、帰りは大渋滞が必至です。大量交通機関である鉄道の威力を発揮
してほしいものです。
★3月11日(日)
松山へ来て初めてしっかりと休める日。それで朝からドライブしてきました。とりあえ
ずの目的地は佐田岬半島の先端です。
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半島の付け根の八幡浜市から国道197号線が半島の先端に近い三崎港まで伸びてい
ます。この道は半島の尾根付近をいくつものトンネルで貫く近年にできた快適な道。しか
し三崎港から先は1車線の細い道になります。駐車場から灯台まではアップダウンの遊歩
道をしっかり15分歩きます。
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対岸は九州で、はっきり見えているのが高島。その右手の少しかすんでいるのが佐賀関町の地蔵崎です。灯台
の説明板によると、もともと豊予海峡は地蔵崎のほうに灯台があったのですが、その代役として建設され、レン
ズや灯器類一式を地蔵崎の灯台から移して大正7年(1918年)に建設されたそうです。
灯台の高さは18メートル。水面から灯火までは49メートル。明かりは19海里(約35キロ)まで届くと
いうことです。
★3月8日(木)
昨日は仕事で今治から新居浜へ行って来ました。松山から今治へはいろんなルートがあ
るんですが、今回は奥道後から玉川町を通る国道317号線を通りました。ほど良いワインディングロードでし
た。
今治では来島海峡大橋を間近に望む場所で昼食。来島海峡大橋は他の瀬戸大橋と比べて、補剛桁がむき出しで
なく、鋼板で覆われた扁平六角形断面を持つ「箱桁」になっているのが特徴です。それと色も、瀬戸大橋や明石
海峡大橋のような「ブルーグレー」系ではなく、かなり白っぽい色をしています。また自転車、歩行者も通れま
す。
今治から新居浜へは、東予市から東予有料道路を通って行きました。先週の土曜日には宇和島へ往復したんで
すが、南予地方は山がちで、何度も峠をトンネルでくぐりました。一方、新居浜などの東予地方は海岸部に平野
が広がり、大工場が林立しています。
愛媛県は江戸時代、8つの藩に別れていた珍しい国です。このためあちこちにお城がありました。現在天守が
残っているのは松山城と宇和島城だけですが、それだけに同じ愛媛県といっても各地方は個性的で、風俗・習慣
も大きく異なっているようです。
今治では昼食に「鯛めし」がついていましたが、県内の「鯛めし」は大きく分けると、鯛を一緒に炊き込む方
式と、鯛の刺身をご飯の上に載せる方式の2種類あり、今治では炊き込み型でした。
★3月4日(日)
松山に来て、ようやく少し休めました。それで、タイトルを作り直しました。職場も住
まいも松山城の麓に近いのですが、ビルに遮られて、城の建物は見えません。それで、市役所西側のお堀端まで
行って、望遠レンズで天守群をとらえました。位置的に天守が手前の小天守の陰になっているうえ、木立も邪魔
をしていて、今ひとつです。もう少し東側のビルの上など、いい撮影スポットがあれば、またチャレンジしま
す。
コンテンツの整理は、もうしばらくお待ちください。
ということで、お城にも登ってきました。現在メインの登山ルートは、東側のロープウェーとリフトですが、
今回はもちろん、本来の大手門への登城道であった黒門口登城道を登りました。
このほかのルートとしては、ロープウェーに平行する東雲口、搦め手にあたる古町口、それにロープウェー駅
前で東雲口に合流する県庁裏登城道があります。今回は黒門口から登って、県庁裏へ降りました。
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本丸は花見のメッカですが、現在は梅が咲いています。お城は市内のど真ん中にある
ので、周囲の見晴らしは最高です。でも今日は風が大変強く、観光客も首をすくめながら
歩いていました。
今回は時間が無く、天守には登りませんでしたが、またゆっくり歩いてみます。
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