ヨーロッパ鉄道の旅
2022.07.05 公開
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「フェ
リーで海峡横断 パリへ大旅行」
2016年の旅・第2章 (2016/03/08/火)
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(ニューヘイブンでフェリー「Côte
D'Albâtre」号へ。船首側の車の通路から乗り込んだ)
(青枠の写真は、クリックすると大きな写真が開きます)
★ニューヘイブン–ディエップ航路の過去と現在
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ロン
ドンからパリへ戻るルートは、英国のニューヘイブンからフランスのディエップに向かうことにしまし
た。左は前ページでも引用した 「Thomas Cook Continental
Timetable」の1976年10月号です。このルートもかつては英仏
間の主要ルートのひとつでした。
下の左は、76年10月号に掲載されている同ルートの時刻表。「Table
51」は国際連絡時刻表のひとつです。夏ダイヤを見ると、ロンドン・ヴィクトリア駅から、ニューヘイブン・ハーバー(Newhaven
Harbour)駅までノンストップらしい直通列車が走っており、乗り換え時間33分で連絡船が出
発しています。
下の右は同じ時刻表に載っているニューヘイブンの駅配置図です。これを見ると「Harbour」
駅(ホーム)は2つあるように見えます。英国の鉄道線路の変遷を比べる「RAILWAY ATLAS THEN AND NOW」
という本を見ると、この分岐している駅は1923年の地図 では「Newhaven
Harbour(Boat
Station)」という名前です。2012年の地図では「Newhaven
Marine(営業休止中)」となっていました。時刻表の「Newhaven
Harbour」は、たぶん(Boat
Station)が省略されているか、2つの駅が区別されていなかったのでしょうか。
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この「ボートステーション」は
1886年に開業し、1984年5月14日に「ニューヘイブン・マリーン」駅に改名。2006年か
ら客扱いを停止し、20年に廃止されたようです。
左の「Table 51」は、1987年3月号の時刻表です。こちらはノンス
トップではなくなり、駅の名前がニューヘイブ ン・マリーン(Newhaven
Marine)になっています。
なお、同じ「Table
51」には、英・ポーツマスと仏・ルアーブルを結ぶ連絡船の時刻表も載っています。
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さて
1994年のユーロスター開業で、このような鉄道連絡船は廃止されましたが、一般フェリーは今でも
運航してます。
右は
European Rail Timetableの2015
/ 2016年冬号。1日2往復が運航され
ています。午前10時の便に乗る計画をたてました。また「ニューヘイブンのフェリーターミナルは、ニューヘイブン・タウン駅に隣接してい
る」と説明が書いてあります。 |
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★ロンドンの上野駅? 広いヴィクトリア駅
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ロンドンを早朝に出発するため、
ホテルは駅に近い「The Rubens at the Palace」
です(左)。1泊素泊まりではもったいないホテルでした。
チェックインの際、翌日は早朝に出発することを告げ、「ニューヘイブンからフェリーでディエップ
に渡り、そこからパリまで列車に乗ります」と説明すると、「大旅行ですね」と言われました。
チェックイン後、地下鉄でロングエイカーにあった世界最大の旅行書専門店「スタンフォーズ」
へ。閉店時間が近かったので、少ししか楽しめませんでした。夕食後はバスでヴィクトリア駅へ。自動
券売機で翌日の切符を買っておきました。
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左が
ロンドンからニューヘイブン・タウンへの切符。運賃は28.40ポンドです。
右は領収書です。前夜の21:56に購入したことがわかります。
もう1枚、クレジットカードの領収書もありました。
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3月8日(火)、ヴィクトリア駅
6:47発の列車 に乗るため、6:17にホテルを出ました。駅前には「Little Ben
Clock」が建っていました(上左)。
上の右の写真のように駅前のバス乗り場が工事中のため、全景がうまく撮影できません。それでも様
式の違う2つの建物がくっついていることがわかるでしょう。駅の開業は1860年ですが、開業当時
の建物ではありません。もともとは2つの鉄道会社の駅でした。右手(西側)はロンドン・ブライト
ン・アンド・サウス・コースト鉄道(LBSCR)、左手(東側)がロンドン・チャタム・アンド・
ドーバー鉄道(LCDR)です。それぞれ「ブライトン側」「チャタム側」と呼ばれていたそうです。
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1923年に両社は統合され、サザン鉄道となります。チャタム側の駅舎の正面に「SOUTHERN
RAILWAY」の文字があるのは、その後の建築なのでしょうか。
駅舎の東側にあるチャタム側入り口(上の写真)から中に入りと、下の写真のように広々とした大空
間が広がっています。巨大な発車時刻表が、かつての上野駅を思わせます。1行だけでなく、それぞれ の経由地まで示した詳しいタイプです。早
朝のため人は少ないですが、構内の店舗の多く が営業してい
ます。さすが主要駅です。ヴィクトリア駅はロンドン市内では、ウォータールー駅についで利用客が多
いようです。
右は構内の案内図。1–7番線がチャタム側、8–19番線がブライトン側です。14、15番
線はガトウィック空港行きの乗り場で、飛行機のマークも見えます。
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右の
写真は上の写真のさらに右手側、コンコースの中央付近。パンとコーヒーのスタンドのほか、花屋もあ
ります。構内図にも「Flower Store」の表示が見えます。
もともと大陸への連絡口であるドーバー行きの列車は、サウス・イースタン鉄道(SER)のチャリ
ングクロス駅から出ていたんですが、第1次大戦後は第1章で述べたNIGHT
FERRYのような豪華列車が発着するヴィクトリア駅が、大陸との玄関口の役割を果たすようになりました。バッキンガム宮殿にも近く、王侯貴
族の利用も多かったのかもしれません。辻本が物心ついた頃、ヴィクトリア駅はロンドンの代表駅でし
た。 |
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現在は大陸連絡の役割がなくな
り、駅の性格も変わっているようです。
左はブライトン側の改札口。ずいぶん雰囲気が違います。天井が低いためでしょうか。グーグル
マップを見ると、ホームの上に建物が覆いかぶさっています。早朝なのにどんどん人が降りてきます。
発車時刻表に6:47のイーストボーン行きは出ていますが、6:35になってもプラットホーム番
号が表示され ません。頭端式のターミナル駅では、ぎりぎりまで発車番線が決まらないこ
とはよくあります。他の乗客もおとなしく待っていました。
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6:40になって、ようやく発車ホームが表示されました。
乗り換え駅のLewes(ルイス)の名前もちゃんとあります。一番端の19
番線で、前夜の下見で、予想した通りでした。乗客が一斉に移動しました。
入ってきたのは右のような列車。緑色の車両は1等車です。ボンバルディア製造の377形で、第三
軌条から集電するタイプの電車です。8両編成だったかな。
英国にはこのタイプの電化路線が多く、ユーロスターも2007年11月にセントパンクラス駅への
新線が出来るまでは、第三軌条方式で速度が出せませんでした。
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★通勤・通学路線で港町へ
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2等車の車内は左のとおり、
2+3の5人掛け。窮屈ですが、通勤とは反対方向なのでよく空いています。5分遅れの6:52に発
車しました。
下は車内にあった路線図です。横幅が広くて両端が切れています。左側と右側それぞれ の拡大図も入れておきます。
左端に「Southern Network
Map」の文字、右端にも緑の丸に黒帯白抜き文字の「SOUTHERN」マークがあります。「サザン」
というのは2001年から2015年まで営業していた列車運行会社です。同年7月から「ゴヴィア・
テムズリンク・レールウェイ」に変わりましたが、サブブランドとして「サザン」の名が残っているよ
うで す。
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今回
乗っているのは水色のラインで、ルイス(Lewes)まで行きます。オレンジ色のシーフォード行き
に乗り換えます。
ニューヘイブン・タウン駅には船のマークが描かれており、黄色いラインに「to
France」と記されています。 |
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7時ちょうどに、クラパム・ジャ
ンクション(Clapham
Junction)駅に到着。この駅の手前でヴィクトリア駅からの路線と、ウォータールー駅からの路線が合流・交差し、この駅では3方向に分岐していくと
いう、文字通りのジャンクション駅です。
このホームは13番線ですが、ホームは9面、17番線まである大きな駅です。
ホームにあるパン屋さんは、やっぱりフランスっぽい名前がついているのが面白いです。
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7:10、今度はイースト・クロイドン(East
Croydon)駅です。こちらは3面6線の駅ですが、ヴィクトリア駅からの路線と、ロンドンブリッジ駅からの路線が出会う、サザンの主要駅です。
「クロイドン」という地名は、子供の頃に読んだF.W.クロフツのミステリー「クロイドン発12時30分」
で知っていました。犯人が事前にわかっている「倒叙形式」の古典です。ただし駅が舞台なのではな
く、題名は飛行機の時刻でした。
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7:27、ガトウィック・エア
ポート駅着(上の左の写真)。南ターミナルビルと直結しています。飛行機が何機も見えました。トー
マス・クックのロゴが描かれた機体もありました。
7:46、ウィヴェルズフィールド駅着(左)。ここはブライトンへの本線から、ルイス方面の「東
本線」への分岐駅です。小学生?が電車を待っていましたが、左の子は新聞を読んでいるのかな。
そして8時頃、少し遅れてルイスに到着。下の左の写真のように、思ったより大きな駅でした。レン
ガ駅舎の通路を出口へ進みます。下の右は通路にあった路線図。電車内の路線図と違って、位置関係が
よくわかります。拡大してみてください。
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乗り換えに時間があるので、駅舎
の外へで出ました。お洒落な駅舎です。制服を着た中学生?高校生?の男女が集まっています。
下の左は駅舎内の様子。ちゃんと自動改札があります。下の右は構内案内図。ルイスは3面5線で、
逆Yの字型の構内です。左側が北。左下がロンドン方面、右下がブライトン方面、上がイーストボー
ン、およびニューヘイブン方面になります。
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路線図を見るとルイスはX字型の
分岐駅なのに、構内図(ホーム配置)がY字型なのは、イーストボーン方面とニューヘイブン(シー
フォード)方面は、駅から少し進んだ信号場で分岐しているからです。
真ん中の三角形のホームは広いので、駅舎の下部分に待合室や案内所、トイレなどがありました。発
車時刻の案内表示版は、
時刻順の表示だけでなく、主要駅行きの列車は次は何時発なのかがわかる表示がありました。
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上の左がニューヘイブン方面行き
の3番ホーム。前方がニューヘイブン方向です。ホームは長いです。右側にあるのが島式ホームの4
番、5番ホームです。
上の右は、8:30発のシーフォード行き列車が定刻に到着しました。上の左の写真とは反対方向を
見ています。列車は313形で、4両と思ったけれど、3両だったかも。
そして8:39、左の写真の通り、ニューヘイブン・タウン駅に到着しました。反対側ホームには駅
舎があるけれど、こちらはホームだけで、屋根もありませんでした。
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★出航時刻は潮まかせ?
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駅には跨線橋もありましたが、
ホームの北端から直接外に出られるようでした。出口のところには左の写真のように、フェリー乗り場
への案内がありました。
ニューヘイブン・タウン駅からフェリー乗り場への道順については、何度もグー グルマップで確認しました。
下の左は駅北側の道路に出て、駅を見たところです。写真の右手へ進んでいきます。すぐ先の交差点
にまた大きな案内看板がありました。トラックと乗用車のほかに、クルマなしの乗客「foot
passenger」の表示もあり、安心しました(下の右)。駅で降りたのは我々の他にも数人いましたが、こちらへ来る人はいません。
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看板
のところを左折すると、前方にフェリーターミナルの建物が見えました。写真で見ると遠くて小さいで
す。
建物の手前に、ニューヘイブンとディエップを結ぶ航路の歴史的な説明版がありました(下の左)。
アップにすると読めますが、第1次大戦中に大きな被害があったようです。
そして駅から徒歩6分、8:45にターミナルに到着しました。地味なドアがパッセンジャー用の入
り口でした。
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ターミナルのチェックインカウン
ターです。これは少し時間が経ってから写した写真です。到着時は他の客はだれもいませんでした。
実は出航時刻が思っていた10時ではなく、11時だったのです。左のカウンターの中の時刻 表を見て、そのことに気がつ
きました。
確かにこのページの最初に掲げた時刻表を 見ると「Depature
time may vary owing to tidal
conditions(潮の干満により出航時刻が前後する場合がある)」との注記がありました。
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しか
し、1時間も変わるとは思っていませんでした。直前に確認するべきでした。ま
あ、乗り遅れたのではないので、乗船手続をしました。窓口の女性は慣れて
いないようで、上司らしき男性に尋ねながら発券してくれました。1人20ポンド。当時のレートは1
ポンド=164円くらいなのでで、3,280円です。チケットは単 なるプリントでした。
2時間も時間があったので、ニューヘイブンの町を歩くことも可能だったと思いますが、ずっとター
ミナルで待ちました。軽食堂があったので、コーヒーと紅茶、それにトーストで計3.35ポンド。ポ
ンドの小銭を使うことにしました。メニューの写真は
こちらです。紅茶が安いのはさすが英国です。
外には乗船する車の列が 出来ていました。
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10
時半を過ぎて、乗船が始まりました。右の写真は上のチェックインカウンターの右側です。「パスポー
ト」と書いてあるところでパスポートとチケットをチェックし、手荷物検査がありました。手提げかば
んの中も開けましたが、なぜかリュックはそのままでOKでした。不思議です。
そしてドアの外で待っていたバスに乗り込みました(下の左)。バスは数百メートル走ってとまりま
した。着いたのはフェリの目の前。乗る時にバスの写真を撮れなかったので、降りた後に撮影しまし
た。何も表示のないシンプルなバスでした。
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バスで移動中、左手にニューヘイ
ブン・ハーバー駅が見えました。まったく人影はありませんでした。ハーバーという名前がついていま
すが、埠頭側と行き来出来る通路はなさそうで、間は鉄条網で仕切られていました。
さて、このページのトップに掲げた写真のように、フェリーの船首側の自動車用の通路から乗船しました。
人が乗る間は、車は一時ストップされていました。実際に乗り込んだのは10:49でした。
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★「白い崖」号で海峡横断
船首
から中に入ると車両甲板です。その中央の隔壁部分にドアがあり、乗客はそこへ入っていきます。中に
はエレベーターがあり、6階へ。案内表示類は見当たらず、先客がいなければわかりませんでした。
エレベーターを降りて、すぐの廊下に船内の案内図がありました(下の左)。乗客のフロアは6階、
7階のようです。案内図の左が船首側です。
とりあえず人の流れに沿い、船尾側の円形の吹き抜け部分の階段を上がり、7階後部のラウンジ風の
場所に落ち着きました(下の右)。
さて船内案内図には「CÔTE D'ALBÂTRE」という名前があります。これが船名ですね。
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「Côte」は「海岸」ですね。「Albâtre」は英語でいう「アラバスター」で、石膏のような
美しい白色の鉱物のことです。まあ「白い海岸」ですが、具体的には「白い崖」で、英国側は「ドー
バーの白い崖」として有名です。フランス側にあるのが「コート・ダルバトル」なんです。
右は船内でもらった目的地ディエップがあるフランス・セーヌ=マリチーム(マリティーム)県の地
図。海岸部分に白い文字で書かれています。ちなみに裏面は絵地図でした。
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フェリーの運航会社はDFDS Seaways。もともとは
Transmache
Ferriesという会社だったので、看板には今でも両社の名前が出ています。
11:05、船が動き出したので、デッキに出てみました。左の写真を撮った時には気にしなかった
のですが、この白い大きな廃屋は、かつての「Boat
Station」「Marine」駅に間違いありません。背後に線路があり、建物から直接船に乗り移るためのボーディングブリッジも見えます。もっと観察
しておけば良かったです。乗船する時も左手に見えていたのに気 付きませんでした。
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フェ
リーの埠頭はウーズ川の河口近くにあり、フェリーはバックで河口に向かいます(上の左)。河口に出
ると左手(東側)に砂浜が広がり、シーフォードの町が遠望できます。ルイスからニューヘイブンへま
で乗ってきた鉄道路線の終点です。上の右の写真をアップにすると、電車が走っているのが見えます。
海岸の先端は右の写真のように「白い崖」です。このさらに向こう側は、7か所の凸部が目立つ白い
崖があり、「Seven Sisters(七姉妹)」という名の名所になっています。
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埠頭を離れてから13分あまり、
少し沖へ出ると、ニューヘイブンの西側にも「白い崖」が続いているのが見えました。でもあんまり白
くない場所もあるようです。
目立っている白い建物は、中学校と思われます。
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沖へ
出たのでデッキから船内に戻り、ラウンジのバーカウンターでビールとおつまみを買いました。写真は
ちょっとブレてます。
船内はユーロを使用。ビールの値段は記録忘れです。ポテトチップは1.66ユーロでした。パッ
ケージの絵柄が船に似合っています。
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ディエップの到着予定時刻は16
時。時差が1時間あるので、所要時間は4時間です。時計をフランス時間に合わせ、13時を過ぎてか
ら6階に降りてレストランに行きました。セルフサービスです。
クスクスやポテトサラダなど、ビーフシチューにフライドポテト、野菜スープ、白ワイン(ロワール
のサンセール)の小瓶など、計38.43フランでした。
食事後に8階のデッキにも出てみました。下の左が船首側、右が船尾側です。煙突に○にTのマーク
があるのは、Transmanche Ferries時代のマークです。
DFDS Seawaysのページには船のデータが見当たりませんでしたが、この「Côte
d'Albâtre」号は、2005年建造で18,564トン。同型の僚船には、英国側の白い崖「Seven
Sisters」の名が付いているようです。
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フランス時間の15時半ごろ、フ
ランスの海岸が見えてきました。白い崖「コート・ダルバトル」が見えています。でもこのあたりは茶
色い部分も多く、あまり美しくはありません。
フランス側の海岸で一番の名所は、エトルタの「象の鼻」でしょ う。
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上の
写真から12分後、ディエップの町がはっきりと見えてきました。
ディエップの人口は約3万4000人、ニューヘイブンは約1万2000人。でも人口の差以上に、
ディエップのほうがずっと都会に見えます。圧倒的にビルが多いですね。海岸部にずらりと建ち並んで
います。
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上の写真からさらに6分。フェ
リーの埠頭に近づいてきました。背後に「白い崖」が迫っています。ニューヘイブンでは船首側から車
が乗り込みましたが、到着地のディ
エップでは、車がそのまま前進で下船できるよう、船尾から着岸します。
桟橋上に乗客用の連絡バスが待っています。ニューヘイブンでのそっけない白いバスとは違
い、水色が鮮やかです。
セーヌ=マリチーム県の地図もそうでしたが、フランスは水色の使い方が上手だと思っています。
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フェ
リーが埠頭について、ランプのドアが開いていくのをデッキ上から見ていると、下船のタイミングを逸
してしまったようで、ほかの乗客の姿が見えません。あわててエレベーターで車両甲板へ降りました。
ところが人の気配がありません。すぐ前には連絡バスが見えており、幸い下船通路に車の姿も見えま
せ ん。他の乗客はすでにバスに乗り移ってしまったのかなと思い、あわてて下船しました。
しかし、そうではなかったようです。バスは空車で、しばらくすると他の乗客が下りてきました。ど
こで待っていたのでしょうか。
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ター
ミナルの建物まですぐでした。ガラス面積が多くて、明るい建物です。ここで荷物の✓を受け、入国の
スタンプを押してもらいました。
スタンプを見ると船の絵が描かれています。あっと思って、パリ北駅での出国スタンプを確認する
と、鉄道の絵、それも蒸気機関車のイラストでした。
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ター
ミナルの玄関はこんな感じ。タクシーもバスも止まっておらず、案内表示もありません。駅まで2、3
キロで、歩けない距離ではありませんが、当初の計画より遅れていることも有、チェックインカウン
ターの女性にタクシーを呼んでもらいました。すぐに来ました。
下の左はターミナル内にあった「コート・ダルバトル」号のイラスト。タクシー車内から船の全景を
ようやく見ることが出来ました。
ディエップ駅まで8.90ユーロでした。
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★立派なルーアン駅。そしてラストスパート
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フランス国鉄(SNCF)のディ
エップ駅は、駅舎取り壊しの最中でした。建物の中も防護ネットだらけでした。三角屋根の味のある駅
舎なのに。
と、この時は思ったのですが、現在、グーグルマップを見てみると、2020年の画像で同じ姿が見
られます。取り壊しではなく、修復だったんですね。
コンコースには自動券売機は見られず、切符売り場へ。時間も列車も指定せず、パリまでの2等をお
願いしました。当初の計画ではディエップ16:00発でしたが、すでにその時刻は過ぎています。
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右が
購入した切符。座席の指定はありませんが、列車は指定されています。
ディエップ発は17:13で、ルーアンに18:19着。そしてルーアン発18:59で、パリ・サ
ンラザール駅到着は20:10です。
当初の計画ではディエップ16:00発でルーアン着は16:47だったんですが、ずいぶん所要時
間が違います。パリ到着は2時間遅れになりました。
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上の左の写真のように、ホームは
頭端式の2面3線。屋根は十分ながく設けられています。左手には使われていないホーム跡が見えま
す。上の右のように駅舎とホームの間もゆったりしています。
「C」乗り場に到着したルーアン行きの列車は、ピカピカの新車でした。アルストム社の
「Régiolis(レジョリス)」で、ディーゼルと電気の両用式です。ルーアンまでは非電化路線
です。フランスのローカル線の主役を担う車両のようです。
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1等
車のないモノクラスで、車内は向かい合わせの2+2配置。固定式のテーブル付きです。ドア部分が低
床式になっていますが、高い部分とのあいだはステップではなく、スロープになっています。
色遣いは落ち着いたブラウン系統で、照明も暖色系。枕部分の読書灯がユニーク でした。
ルーアンまでは小さな駅ばかりで、無人駅ばかりに見えました。下の左は「Cléres」駅で、
ホームが段差なしで町の道路に続いています。表示を見ると「
Gare」ではなく「Halte」とあるので、駅というより「停留所」ですね。右は「Montville」駅で、「山の街」でしょうか。
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18:19にルーアン着。正式な
駅名は「Rouen
Rive-Droite(ルーアン右岸)」駅です。ホームは半地下で、地上に上がると壮大な空間でした。写真の奥に、ホームから上がっ
てくる階段があります。自動券売機も並んでいます。
まず出発表示板で、パリ
へ向かう列車を確認します。18:59発のインターシティー列車が確かに表示されています。
反対側、出入り口側の様子は
こちらです。当初の計画通り16:47に着いていれば、街を歩くことも考えたのですが、遅れている
のと疲れているので断念。駅の正面写真だけ撮影しました。
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高い
時計塔が目立つ立派な駅です。1979年にツアーでこの街を訪れた時も、1人で駅を見に来ました。
コンコースに、ルーアン駅の変遷を紹介する展示がありました。それによるとこの場所に最初の駅が出来たの は1847年3月21日。現在の駅舎は
1928年7月4日に開業したようです。
ちなみに上の写真の中央ホールは、長さ44m、幅23m、高さ20m。時計塔の高さは37m、文
字盤の直径は3.5mで、1km以上離れたセーヌ河岸からも見えたそうです。
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発車番線はなかなか表示されず、
18:45くらいになって、2番線とわかり、ホームへ向かいました。上の左は入選してきたインター
シティー列車の先頭車。形式は不明です。上の右は1等車です。
乗ったのは2等車。パリでは出口が前方なので、前のほうの車両が混んでいます。後ろ寄りの車両に
乗ったので、ガラガラでした。お見合い型(対面型)の2+2座席です。中央は広いテーブル付きなの
で、そこに座りました。
下の左は、降りる時に急いで撮ったのでブレています。派手な色遣いです。
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パ
リ・サンラザール駅には、15分遅れて20:25に、22番線に到着しました。上の右の写真の右手
にホームがあります。このエスカレーターを降りるとショップや地下鉄への連絡口があります。
サンラザール駅では到着後、翌日のモン・サン・ミシェルへ往復するTGVの切符を購入したのです
が、そのことは次の第3章で紹介します。
さて2日ぶりに「オテル・ミレジム」に戻ると、サプライズがありました。部屋に白ワインのハーフ
ボトルのプレゼントです。氷は溶けてしまっていましたが、うれしかったです。元気が出たので、近く
のビストロで夕食を食べました。
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