「五芒星」探しに手間取ったため、西の丸を出て天守のほうへ向かうと、もう一行の姿は見
えない……、と思いきや、「はの門」へ至る坂道の下で、岡さんと西川さんが写真撮影の真っ最中。
カメラファン(注・写真ファンではなく、写真機ファンです)でもある辻本は西川さんのカメラが目に留まりまし
た(岡さんのカメラは先日チェック済み)。なんと辻本が新入社員のころに使っていたニコンのFMではないです
か。その進化型であるNewFM2はいまでも現役ですが、FMは珍しい。でもマニュアルカメラは古くならないの
で、十分現役です。
そんな話をしていたので、ますます遅れてしまったのですが、みなさんはまだ「はの門」にいました。
この門は見所が多いところで、河本さんの解説にも熱がはいっていたのです。足元には転用材が使われてい
るし、敵に破られそうになったら石で埋めてしまえるし、門の上の櫓に侵入されても内側には窓はないし……、
などなど。恐れ入りましたの立派な門なのです。辻本は思わず、「はの門じゃなくて、ははっーの門ですね」と
つまらないギャグをとばしてしまいました。
それにしても、辻本の写真はかんじんの門が見えませんね。城内は狭い場所も多いので、広角レンズが必須で
すが、辻本のRollei35は40ミリと、ちょっと長め。PowerShotは普通のカメラに換算すると
35ミリ程度のはずだけど、やっぱ28ミリ、できれば24ミリがほしいところです。
「はの門」からは、天守に背を向けるヘアピンカープや、トンネル城の「にの門」、瓦の十字架マーク、油
壁、姥が石、敵を惑わす下り坂など、姫路城のハイライトとも言うべきコース。辻本も見学と解説を聞くのに忙
しくて写真がありません。
河本節を一つだけ紹介するなら、姥が石の部分。辻本も「石垣探訪」ページでこの伝説には疑問を呈しました
が、河本さんの説明では「……と言われています。が、ウソです」と明快でした。
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やがて一行は「への門」から備前門へ。途中、やっぱり列から離れて、独自の行動を
とる人がいます(辻本も人のことは言えませんが)。
でも、ここは別に立ち入り禁止の柵はなかったようです。(普通の人は、そんな行き止
まりのところにいってみようとしないだけですね)。
ちなみに石垣の色の違いは、雨があたるかどうかの違いです。姫路城の軒は深く、雨に
濡れない部分が意外と多いのです。
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ようやく天守直下の備前丸へ。すると岡さんから「双眼鏡を貸して」との申し出がありました。どうやら大天
守の石垣に、文字が刻まれているのに気が付いたようです。辻本は何度も来ていながらちっとも気が付いていま
せんでした。まだ新しい石だったので、近年の修理の際にはめ込まれたものらしいですが、ちょっと無粋でし
た。
みなさんは天守攻めを前に小休止です。
大天守を仰ぎ見る強者たちの図、です。何人判別出来るでしょうか。もちろんここに写っていない人もいま
すが。
天守の中でも河本さんの名調子は続きます。大変参考になりました。逐一ここで再現出来ないのが残念です。
「石落としは天守で1か所だけ、開くところがあります」との河本さんの言葉に、片っ端から開けてみる人が
いたり、「千鳥破風の窓から屋根に出られます。天守の大屋根だけは最上階の屋根裏から出ます」との言葉を覚
えていて、最上階に着くと「屋根裏への上がり口はどこですか」と「追及」したり……。参加者も強者ぞろいで
した。
そうそう、天守の最上階にはどこかのテレビクルーが来ていて、西の丸や化粧櫓あたりを狙って撮影していま
した。そして、辻本たちが天守を出ようとすると、入れ替わりに赤い振り袖姿の女性が天守に入ろうとするとこ
ろでした。黄梅さんのような和服ならともかく、振り袖で天守の階段を上るのは尋常じゃないです。なんかテレ
ビの番組で、千姫役でもやるのかな、と思ってしまいました。
で、再び備前丸に戻って小休止です(ここにはトイレと、木陰のベンチがあります)。あちこちで談笑の輪が
出来ました。
あれれ、なんか群からはぐれてる人がいますね。
その後も、「腹切り丸」「上山里丸」「ぬの門」と、順路に沿ってきちんと見学。三国堀あたりまでもどって
きた時には16時半をまわっており、菱の門の大きい扉はすでに閉じられた後。横の小さい扉から出ました。