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★ 九州の石橋(2002年1月)★ ▽ 通潤橋(熊本県矢部町) 通潤橋は、その名の通り、 道路橋ではなくて、 逆サイホンを利用して水田に水を送る水路橋です。 橋の中央には、水路にたまったゴミや泥を放出するための 水抜き穴があり、 弧を描いて放水されるシーンが有名です。 2002年3月まで送水管の大規模な補修中で、 残念ながら水は流れていませんでした。 このため、橋の上を渡ることもできません。 そのかわり、仮設の展望台が設けられ、 むき出しになった3本の送水管の様子がよくわかります。 通潤橋が完成したのは1854年7月。 全長は79.6m、幅6.6m、アーチの幅約26.5m、 水面からの高さ21.4mと、 次に述べる霊台橋と並ぶ、堂々とした姿です。 (数値は1984年の町の保存修理工事報告書より孫引き) またアーチを高くするため、 基底部には鞘石垣と呼ばれる立派な石垣が築かれています。 これは熊本城の石垣を参考にしたとも言われています。 とにかく、肥後の石工の技術の集大成と言えます。 【追記】日経コンストラクションの記事によると、 補修工事は終了して、4月21日に放水が再開されたそうです。 今回の補修では、送水管の219か所の目地を漆喰で詰め、 送水管の石管20か所を交換したとのことです。 ◆ ▽ 霊台橋(熊本県砥用町) こちらは日本最大の石橋として知られており、 通潤橋とともに重文に指定されています。 緑川の深い渓谷に架けられ、完成は1847年2月。 全長約90m、幅5.7m、アーチ幅約28m、 水面からの高さは17mです。 1966年、すぐ上流に平行して新しい橋が出来るまでは、 国道218号線の橋として、大型車も渡っていました。 このため、自動車が走りやすいように改変されていました。 新橋の完成後、昔の姿に近いように復元されており、 その経緯が橋のたもとに図解して表示されています。 こちらも本当に見事な石積みです。 ◆ ▽ 二俣橋(熊本県中央町) 緑川の支流である釈迦院川と津留川の合流点にかかり、 ほとんど同じ規模の橋が二つ直角に並んでいることから、 二俣二橋、また双子橋とも言われています。 右の写真を見るとその様子が分かるでしょう。 津留川に架かる第二橋には、平行して新しい橋、 (といっても、かなり古いクラシックな趣のある橋です) が架けられており、 これも含めて二俣三橋と呼んだりもしているようです。 長さは第一橋が28m、第二橋が27m、 幅は第一橋が3.3m、第二橋が2.5m、 高さはともに8mです。 さらに釈迦院川にはすぐそばに国道218号線の橋が架かっています。 上の右の写真を撮った橋です。 双子橋の側から見るとこんな感じです。 奥の石橋が年祢(としね)橋、手前が新年祢橋です。 年祢橋は長さ60m、幅5.8m、高さ24mの堂々たる橋です。 この二つも合わせて、二俣五橋と呼んだりもするようです。 これほど、橋が密集しているエリアも珍しいでしょう。 ◆ さて、熊本の石橋については、 多くのホームページがありますが、 お薦めは熊本国府高校のホームページ、「肥後の石橋」です。 読み応えのあるページなので、ぜひ訪れてください。 ◆ ▽ 耶馬渓橋(大分県本耶馬渓町) 霊台橋が単一アーチの日本最大なら、 全長で日本最長の石橋が、この耶馬渓橋です。 有名な「青の洞門」の少し下流にあります。 全長116m、幅4.2m。 八連アーチというのも日本唯一です。 完成は意外と新しく1923年(大正12年)。 左岸側の橋のたもとに立派なレリーフの説明板があり、 それによると、 1944年の水害で橋面が流失したがすぐに復旧、 1978年には県の有形文化財に指定。 そして1999年、架橋当時の写真を元に修復、補強がされています。 石積みは熊本の石橋とは違って長崎の眼鏡橋スタイルで、 このため地元では「オランダ橋」とも呼ばれているようです。 ◆ ▽ 羅漢寺橋(大分県本耶馬渓町) 耶馬渓橋と同じ山国川の少し上流に架かるのが、この橋。 三連アーチで全長89m、幅4.5m。 完成は耶馬渓橋より少し早い1920年(大正9年)です。 大分県は大正時代に入っても 何か所も石橋が架けられており、 熊本県とともに石橋のメッカです。 本耶馬渓町の東にある院内町は、 特に石橋の町として、町おこしにも活用しています。 「橋が好き」へ戻る |